それぞれのやり方がある
出張で個人であんまをやっている。
だから仕事がない日が続くこともある。
そんな時は小説を書く。noteを始めたおかげで随筆を書くこともできる。
慎ましやかな生活をしていれば、障害者年金と稼ぎで最低限の暮らしはできる。
知識欲はあっても物欲が少ないのか、これで生活を回せている。
とはいえ最近の物価高にはちと頭が痛い。
まぁなんとかなるだろう。
今でこそこんなのほほんと生活を送っているけれど、毎日仕事をしないことに最初は焦りを感じていた。
みんなは普通に働いてるのに申し訳ない。
私は仕事に意欲が持てないダメ人間。
お金稼げないダメなやつ。
……などなど卑屈の塊。
もういい年をした大人なのに甲斐性がない。
持ち家もない。貯金もない。
パートナーもいない。
欠陥人間だ私……
そんなことを気にしてきたのは全部、母親の目を気にしていたからだった。
私の全ての基準は「お母さんに怒られない」だった。
恐ろしいぞ。昔の自分……
離婚した時もすぐに自立しなきゃと焦った。
「お金」のために仕事をしなきゃ、とにかくお金に困らない、そしていい服を着ていいものに囲まれた生活をしていたらお母さんは安心してくれて文句は言われない。
全ての基準は「お母さん」だった。
それを無意識でやってたんだから本当に怖いな私。
全ての行動原理が「私自身」ではなく「お母さんに認めてもらう」だったので本当に見事なズレっぷり。
そりゃ人生もずれるわけです。
そんな私にカミサマは人生の軌道修正のチャンスをいっぱいくれていた。
「病気」と言う形で。
しかしそうなればなるほど身内から「あんたは体弱いから」のレッテルを貼られ、就活の時も「そんな会社はあんたには無理。普通の仕事しなさい」とよくわからない理由で阻まれた。
無意識で「母親に従う」を最終的には選ぶのに、さらに奥深い本能ではそれに反発しようと争っていた。
そんな感じだったな。
そら精神破綻するよね。私。
父が死んで母が認知症になったら、今度は姉が出てきた。
姉の監視下で私の体はおかしくなっていく。
なんとか自立しなきゃと盲学校を卒業した後に学校が紹介してくれた治療院はセクハラ、モラハラ、パワハラついでに補助金不正受給のとんでもないブラック治療院だった。
だから入って三ヶ月とたたずやめた。
辞める時、「この業界ってこんなとこ多いのに、そこで勤め上げられないって私ってば根性なし」と自分を責めた。
そのことがおかしいことだったと今ならわかる。
その後どうしよう?と悩んだ末にアロマセラピスト時代からお世話になっている先輩たちに相談し、場所を貸してもらって、出張あんまを始めた。
そして時を同じくして、今も私が師匠と勝手にこもって切る鍼灸師の先生と巡り会って、その先生の治療院も借りることができるようになった。
けれどどうしてもセルフプロデュースができず、イマドキの開業で帰着いけてるオンナにはなりきれずにきた。
商売人の家に生まれたのに詳細がない。
やるべきことはわかってきるのに……
みんなができている普通ができない。
これが私にストップをかけていた。
そのことを最初に私にわかるように指摘してくれたのは師匠だった。
師匠は鍼灸だけでなく、波動を整えることもできる人だった。
「おはぎは家族と周波数あってへんから離れたほうがいい」
それは薄々感じてた。馴染めない実家の人たち。
でもどうやって切り離す?
師匠のスピリチュアルなセッションを受けること数回。
出てきた結果は「私に取って実家、本家は毒以外の何者でもない」だった。
さりとて意識はそんなバーン!とは変わらない。
とにかく距離を置いた。
そんな最中にコロナ禍がやってきた。
コロナは怖いけど私に取っては超ラッキー!
実家、親戚縁者と距離を取り、母の葬式にも
「このご時世なので」と断った。
薄情に聞こえるかもしれないけれど、ある意味ここまで追い詰めた原因となってる場所に義理立てすることはない。
相続についても何も言ってこないような残った人たちに何を執着する必要もないだろう。
そう思ったところらへんから、無意識に気にしていた母の目は消えて行ってしまった。
毎日仕事がなくても焦らなくなった。
むしろゆっくり過ごせるし体の調子は良い。
通勤して体疲れるより「おはぎ先生にぜひ」と言ってもらえる人のところに行って、心ゆくまでその人の体と向き合ってる方がいい。
そして、今は一人で過ごすべき時間なんだと思う。
自分を無くして母親軸で行動を決めていた私の自分軸を確立するための時間。
一人でいるからトランスジケンダーで中性という自分に辿り着けた。
毎回書いてるけど、これがわかってから本当に自分の軸がぶれなくなった。
根っこができたみたい。
私自身が否定していても周りの友達は「会社に頼らず腕一本で生きてるんだからすごいよ」って褒めてくれていたのにね。
今ならその言葉に素直になれる。
私には私の生き方がある。
色々あっていいんだよ。
仕事のやり方もね。
春の嵐を聴きながら、今日ものんびり文章を編む。
お読みいただきありがとうございます。