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【〈フラバル・コレクション〉『十一月の嵐』刊行記念】ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』レビュー公開

〈フラバル・コレクション〉(松籟社)の続刊『十一月の嵐』(石川達夫 訳)の刊行を記念して、『カモガワGブックスVol.1』内「《東欧の想像力》全レビュー」に収録した、ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』(石川達夫訳、松籟社)のレビューを公開します。執筆は蟹味噌啜り太郎さんです。

ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』(石川達夫訳、1976 年)


 タイトルが魅力的な本は多々あれど、ここまでの威力を持つものには出会ったことがない。あまりにも騒がしい孤独って何だろう? 「三十五年間、僕は故紙に埋もれて働いている――これは、そんな僕のラブストーリーだ」こんな文章から始まる本書の主人公はハニチャという。彼はもうずっと長い間、古紙に埋もれながら働いているらしい。古紙を潰し、本を潰し、そのうち「心ならずも」教養がついてしまった。まるで魔法のピッチャーのように、彼の頭を傾けたら美しい思想が滾々と湧き出てくる。プレス機のある地下室で、黒埃に塗れながら彼は穴から紙やら本やらが滑り落ちてくるのを待ち、思いがけなくここにやってきてしまった本達を埋葬してやる。そして時々、濁流のような故紙の中に、彼は掘り出し物を見つけてはそれを持ち帰る。救い出した美しい本の、美しい文章を読むときだけが彼の救いだ。本を読むときだけ、より美しい世界、真実のちょうど心臓部にいることを彼は知っているし、自分自身からそれほど離れられることに彼は毎日十回は驚いてしまう。彼の思想はどこからどこまでが自分のものだか分からなくなって、世界と一体化してしまった。定年まであと五年、彼はこう考える。「僕は、決して見捨てられた人間ではないけれど、放っておかれるという、贅沢を味わえることができる。僕は、いろいろな思想が住み着いた孤独の中に暮らせるよう、独り身でいるだけだ」そんな孤独の中、地下室にはハニチャ以外の住人がいた。そう、ネズミ達だ。彼らは文字を食べているという点でハニチャの同類だった。よく故紙や古典達と運命を共にする彼らの出すかさかさという音で地下室は埋め尽くされている。そしてそれをかき消すようなプレス機の音。そのあまりにも騒がしい孤独の中、彼はひたすら言葉たちをつぶし続ける。食肉公社から来た血まみれの紙と、シラーと、ニーチェを混ぜ合わせる。そうしてビールと汚れの臭いをさせながら本で埋め尽くされた家に帰り、寝て、また地下室に向かう。彼はその時々カントの言葉を思い出したり、ゴッホの絵を見つめたりしながらなんとか生きているのだ。そして夢うつつには、青春時代の恋人であるジプシー娘のことを考える。彼女はある日消えてそれっきり、戦争が終わっても帰って来なかった。彼女がどこかの強制収容所の焼却炉で焼かれたことをハニチャはずいぶん後になって知ることになる。ナチズムにもスターナリズムにも押し潰されながら、それでもなんとか生きてきたハニチャの前に今回現れたのは工業都市ブブヌィの「非人間的で巨人的な」プレス機と生き生きとした若い労働者たちだった。彼らが恥ずかしげもなくオレンジジュースや牛乳を飲み、笑いあうところを見た時、彼は一番ショックを受ける。「心ならずも教養をつけ、いつか自分を質的に変化させるものに巡り合うという途方もない希望を胸に本を読んできた古い故紙回収業者たちはみんなおしまいなんだ」汚らしい本の中から美しい本を救い上げることを心の拠り所にしていた僕が、真っ新な新しい紙を潰さないといけないなんて!ハニチャは絶望する、そしてこう考える。そんなことをするぐらいなら、自分の地下室での墜落を選ぶ、それは上昇なんだ! そういいながら彼は本と一緒に蹲り、縮こまり、目をつぶった瞬間あるものによってどうしようもない生に引きずり戻されてしまう。けれど彼は微笑んでいる。悲しくってやり切れないのに、なぜか生きようとしてしまう。長い人生のうちの、ほんの僅かな思い出がハニチャを、そして私たちを支えているのだ。
 個人的には本シリーズ中、いや外国文学で最も素晴らしい作品なので、ぜひ一度手に取ってもらいたい。この文章を読む人は、本を愛するハニチャの同類であるはずだから。本を愛する人は読むべき小説だ。

(蟹味噌啜り太郎)

作者紹介:
 ボフミル・フラバル(Bohumil Hrabal 1914-1997)
 チェコのモラヴィア地方に生まれる。カレル大学で法学を修めた後、様々な職に就きながら執筆活動を続ける。自由化が進んだ60年代、『水底の真珠』(1963)の出版が許されデビューする。以後毎年のように文学賞を受賞するが、68年「プラハの春」の際ソ連の軍事介入を非難し、国内での作品の発表を禁止される。そのため、作品の多くはタイプ印刷の地下出版か外国の亡命出版社で出版された。共産党政権崩壊以降は全集19巻も発売されるなど、ミラン・クンデラ、ヨゼフ・シュクヴォレツキ―と共に20世紀後半のチェコを代表する作家であり、本国においてはクンデラよりも人気がある。他の邦訳に、『わたしは英国王に給仕した』(河出書房新社)、『厳重に監視された列車』『剃髪式』『時の止まった小さな町』(松籟社)がある。

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