南房総 こてらんねぇ店 〜 「鮨 笹元」 〜
鴨川のグルメと言ったら、誰しも最初に答えるのが魚であろう。
そんな鴨川でおすすめしたい一軒の寿司屋がある。
地元の人に愛され、県外の人も足繫く通う鴨川の名店「鮨 笹元」である。
暖簾をくぐると、いらっしゃいませの掛け声と共に小越友さん・咲樹さん夫婦が素敵な笑顔で迎え入れてくれる。この二人の仲の良さから出ているものなのか、何とも言えない居心地の良さを感じ、何度もこの店に足を運びたくなる。
実際、僕もこの店の大ファンであり、いつもカウンターに座り、季節の一品と地魚寿司、日本酒を楽しみ、そして何よりお二人との会話を楽しんでいる。
そんな「鮨 笹元」の名物料理を紹介しよう。
炭で焼くこだわりの『焼き寿司』
1つ目は『焼き寿司』である。寿司好きの僕はこの焼き寿司の虜の一人である。お皿の上で輝かんばかりの脂を身にまとった焼き寿司達は、「僕たちは脂の乗った地魚ですよ。」とまずは目に訴えかけ、こちらも「はいはい。美味しいということはすぐに伝わっていますよ。」と思わず声を掛けたくなる。そして、口に入れるとひとたび、一言。「ありがとう。お魚君。ありがとう。小越夫婦。」
舌の上で凝縮された魚のうま味と酢飯がほろっとほどけ、炭で焼いた香ばしい香りが余韻として口一杯に広がる。まさに絶品である。炙り寿司という巷の寿司の括りには入れられないまさに『焼き寿司』。地元の樫木を使った炭を使用しており、鴨川愛に溢れた小越夫妻ならではの一品である。
その焼き寿司発祥のエピソードを聞くとこれまた面白い。もともと焼き寿司は先代の咲樹さんの父が考案した料理で、上海に行った時に小籠包を口にし、その衝撃から発想を得たそうだ。火傷するほどの熱い汁が口一杯広がり、驚きと美味しさが相まって、そのような逸品を寿司にできないかと考えたのがことの始まり。「最初は、お客に手渡しで熱々の寿司を出し、口の中を火傷させるのを楽しんでいたんですよ。性格悪いですよね。」と笑いながら咲樹さんが話してくれた。そして、「皮の部分が美味しい魚っていっぱいあって、その部分をしっかり楽しんで欲しくてそう言った魚を焼き寿司にしています。」と。確かに焼き魚を食べる際も皮と身の間にうま味が凝縮されている。熱い寿司なんてなかなか思いつかないが、魚を味わい尽くすといった点で理にかなった逸品である。
さんが焼きから派生した『寿司屋のグラタン』
2つ目は『グラタン』である。寿司屋にグラタン。全国の寿司屋を見渡してもグラタンを置いてある寿司屋はここだけかもしれない。スプーンで一口運ぶと口の中には爽やかな風味が広がり、魚介のうま味を感じる。最後にご飯の一口大をいただき、余った汁の中に浸し最後の最後まで楽しめる逸品である。咲樹さんになぜこのような逸品が生まれたのか聞いてみると、先代である父親が郷土料理の『さんが焼き』から派生したものらしいが、どのような経緯でグラタンになったのかは咲樹さんにもわからず、父親のアレンジ力に感動したとか。そして、そのグラタンは実際かなりの手間がかかった逸品である。口の中で広がる爽やかな香りの正体は夏みかんポン酢であり、魚介のうま味を邪魔しない癖の無いコクの正体は、紅花マヨネーズである。この二つが味の決め手であるのだが、夏みかんポン酢は、毎年夏みかんの水分量や酸味が異なり微調整がかなり難しく、紅花マヨネーズは山形の紅花不作で思うように油が手に入らない年があるなど、『グラタン』は笹元の代表的な逸品であると同時に最も手間のかかっている逸品という側面もあるようだ。
焼き釜で焼くこだわりの『皿』
そして、笹元は料理の出し方にも一つこだわりがある。
それは『皿』である。笹元は先代から寿司を寿司下駄で出さず、先代の奥様や先代自身、また陶芸家が実際に焼いた皿を使用して出している。実際焼き窯で焼いた皿であり、咲樹さんも幼い時によく火の番をさせられていたそうだ。実際にお皿の上に乗った寿司達は寿司下駄に乗っているものより幾分輝いて見えるのは、その皿の絶妙な色合いから来ているものなのかもしれない。
夫婦で飲み歩いて選んだ『日本酒』
寿司に欠かせないものは何と言っても日本酒である。僕は、人生最後の晩餐は刺身と日本酒と決めている。寿司と日本酒は切っても切り離せない関係であり、笹元でももちろんその日本酒にもこだわっている。笹元で出されている日本酒は地元千葉の地酒だけでなく、全国各地のものを出している。小越夫妻が実際に飲んで美味しかったはもちろんのこと、休みの日には店で出している日本酒の酒蔵を見学しに行くほどである。咲樹さんが日本酒について話している姿に根っからの呑兵衛であるという印象を持ったのはここだけの話にしよう。
カウンター越しに友となり、会話に花が咲く。
これらの料理とお酒に舌鼓打ちながら、一番の楽しみなのがお二人との会話である。いつも笑顔のお二人に不躾ながら、バックグラウンドを伺ってみると、お二人の人柄が見えてきた。
旦那さんの友さんは、埼玉県出身。遠洋航海の船乗りに憧れて、海上技術学校に入学。卒業後は高速船の運転を行っていたが、退屈に感じていたようだ。奥様の咲樹さんとの出会いはその海上技術学校の時。咲樹さんは船と海が好きで海上技術学校に入学。海上技術学校は当時、男性ばかりであり、女性は学年に3,4人いるかどうかだったそう。そして、海技大学校まで進学したが、笹元の職人が辞めることとなり大将である父親に誘われた。父親の姿を幼い頃から見ていた咲樹さんは、寿司職人になることを決意。そして、当時付き合っていた友さんも咲樹さんと結婚をし、それを機にご自身も寿司職人になることを決めた。咲樹さんは先代の父親の下で、友さんは東京で修行することを決断し、新婚ながら別居生活からのスタートとなった。友さんの修行先は築地にある『すし大』。自ら東京の寿司屋を練り歩き、すし大に決めた。友さんのお話だと、すし大上がりの寿司職人はなかなかおらず、ほとんどの職人が独立する前の修行先として働いている人が多い。友さんの場合は笹元に最終的に戻ることが決まっていたので、他の職人からやっかみを受けることも少なくなかったが、持ち前の明るさとコミュニケーションで溶け込んでいったそうだ。
寿司職人は天職。
一体この世の中で、何人の人が自分の仕事を天職と言えるのだろうか。僕は普段医師として働いているが、自分の仕事を天職とはなかなか言えない。
友さんは寿司職人を自分にとって天職と言う。それはこの鴨川の地に店を構えていることで、その日に水揚げされた新鮮な魚の下処理を一早く出来、自信を持って美味しい寿司を提供できるという根本がある。それに加え、友さんが人との出会いを大切にしており、店に来る様々なお客と会話をすることに喜びを感じている。確かに友さんのコミュニケーション能力は友さんの強みであり、その強みを十分活かしていることを考えると私から見ても友さんにとってこの鴨川の地で行う寿司職人という職業はまさに天職であるのかもしれない。
カウンター越しに友となり、会話に花が咲く。
小越友・咲樹夫妻が営む鴨川の名店『鮨 笹元』。ここにあり。
寿司 笹元HP https://sushisasamoto.jp/
担当:賢ちゃん
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