【連載エッセー第29回】ニワトリを弔う
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
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我が家のニワトリたちが死んでしまった。
ある朝、モモコがうずくまり、外に出ようとしなかった。いつもと様子が違う。「いよいよ卵を産み始めるのかな?」などと家族で話しつつ、モモコをそっとしていた。
午前中、モモコ以外の3羽は外に出ていた。ミミコが地面にしゃがみこんでいて、なんだか変な雰囲気だった。でも、日向ぼっこをしているのかな、と思った。
15分くらいしてから窓の外を見ると、畑の脇でミミコがひっくり返り、つぶれたようになっていた。絶望的な状況だと、見た瞬間に直感した。何かの獣に襲われたのかもしれないと思った。
外に出て、ミミコを見ると、外傷はないようだった。獣に襲われたのなら、連れて行かれていないのも不自然だ。モモコの様子がおかしかったことを思い出し、病気の可能性が高いと思った。モモコのところに戻ると、モモコは完全に動かなくなっていた。ミミコも、しばらくして息を引き取った。
ケイゾウも昼頃から元気がなくなり、今までにない声で鳴いたり、翼をバタバタさせたりして、苦しそうだった。数時間のうちにぐったりして、夜の間に逝ってしまった。
幸い、ノブコに異変はなかった。モモコとミミコとケイゾウの死因は、わからない。
前の日までは元気にしていたのに、当日の朝も歩いて食べものをつついていたのに、あっけなく3羽が死んでしまった。
私たちは、ケイゾウやミミコやモモコが生きていたときを思い出す。
家に来たばかりの頃は、「ピーヨ! ピーヨ!」と鳴いて、外出や米を私たちに求めていた。ニワトリたちの部屋の戸を開けると、4羽はそろってダッシュする(めざせ、食べもの)。よくミミズの取り合いをしていた。ところが、大きな幼虫を前にすると、気になって近くを囲みながらも、口は出さない。けっこう慎重だ。ヒラヒラする布をとても怖がり、私が首に巻いた手ぬぐいをはずしただけで、一目散に逃げていく。一方で、なかなか自由でたくましく、私たちの目が届いていないときを見計らっては、庭から脱走する。出てはいけない道路に出ているのを見つけられると、「しまった! まずい…」という素ぶりを見せる。
私は、チャボたちと暮らすなかで、彼らが羽ばたいて飛ぶことを知った。高さ2メートルくらいの薪棚の屋根に軽々と上がる。カラスやトンビのようには飛ばないけれど、本気を出したらけっこう飛べる。ひどく驚いて怖がることがあったときには、かなりの高さと距離を飛んで柵を越え、家の隣の畑に逃げこんだ。また、ある日のケイゾウは、いつの間にか家の屋根の一番上に乗って、遠くを眺めていた。
ミミコは、わんぱくで、食べものの横取りが得意だった。モモコは、頭を使って、私の開墾作業についてまわり、地表に出てくる虫を捕まえていた。それぞれに個性があった。
一般的な養鶏場のニワトリと比べると、はるかに幸せな一生だったかもしれない。そのことは、多少の慰めにはなるものの、意味のない比較のようにも思える。
雪を見せてあげたかったね、などと、私たちは話をしている。
彼らは、息子の畑の下で眠り、土に還ろうとしている。