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【連載エッセー第27回】テレビから離れる
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
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家でテレビを観なくなってから1年くらいになる。録画していた『となりのトトロ』を家族4人で観たのが最後だ。
冷蔵庫や洗濯機と違って、「やめてみよう」と決意したわけではない。今の家に移ってきてから、だんだんテレビを観なくなった。すると、ほとんど観ないテレビが部屋の中に居座っているのが厄介に思えてくる。そこで、配線をはずして、テレビを奥の部屋の隅に追いやった。そうなると、たまに観たい番組があっても、テレビを運んでコードをつなぐところから始めないといけない。それは大変なので、結局はテレビを観なくなった。
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子どもたちは前からほとんどテレビを観ていなかったので、子どもたちの生活に大きな変化はない。テレビのない生活を子どもたちがどう思っているのかは、いまいちわからない。納得しているのか、あきらめているのか…。とりあえず、「テレビを観させろ!」という暴動は起きていない。図書館で借りてきた本やマンガを読んだり、将棋をしてみたり、最近ではニワトリたちの相手をしてみたりしながら、子どもたちなりに楽しみを見つけているようだ。
子どもたちには、「いろんな暮らし方がある」「テレビを観ない家もある」「自分たちの“先輩”や“仲間”もいる」という感覚をもってもらいたい。親の勝手な希望かもしれないけれど、そんな思いもあって、今年の夏、子どもたちといっしょに、(京都府北部の)綾部市にある農家民宿におじゃました。田んぼや畑をしているご夫婦が、自分たちの育てた米や野菜を使ったビーガン料理を食べさせてくれるところだ。中学生の娘さんがいるのだけれど、家にテレビはない。娘さんは、うちの子たちと、トランプをしたり、木のパズルゲームをしたりして、遊んでくれた。
テレビを観ない生活になって、親のほうはどうかと言うと、思った以上にすんなり慣れてしまっている。「多少はテレビを観ないと世間についていけないのでは…」という漠然とした不安があったものの、今のところ困っている実感はない。考えてみると、私の場合、少しくらいテレビを観たところで、世間にはついていけそうにない。テレビを観ていたときから、もともと流行にはついていけてない。
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それから、近頃では、「地元の大事な話は、テレビでは流れない」とも感じている。○○さんが入院して手術をすることになった、とか。駐在所に新しい人が来る、とか。あそこの空き家が取り壊された、とか。あの人は卓球がうまいらしい、とか。AさんとBさんは小学校からの同級生で2人とも70歳、とか。あの子のお父さんは庭師で、あの子のお母さんは写真家、とか。○○さんが補聴器を新しくした、とか。知る必要があるのかどうか謎なものも含めて、少なくとも芸能人の結婚話や東京のグルメ情報より、気になる話だ。
最近は、新聞のテレビ欄も見なくなった。少し前までは、テレビを観なくても、ときどきテレビ欄を見ては、「こういう番組をやっているのか」とか、「今のワイドショーの話題はこれか」とか思っていたけれど、そういうことさえなくなってきた。テレビ欄は、我が家には関係の薄いページで、物を包んだりするときにしか使わない。新聞にテレビ欄が必要なのだろうか、などと思い始めている。
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