Interplayを探究するJazz (&Funk) Jam Session

京都は岡崎、東大路丸太町の東、平安神宮の北西にあるジャズカフェ ZAC BARAN の木曜セッションのひとつとしてこのセッションを催している。
京都で50年近く続くZAC BARANでは、2024年の夏よりあらたな企画として毎週木曜をセッションデーとし、週替わりのホストがそれぞれのテーマを設定してセッションを運営している。
そのなかで、私がホストを務めるセッションのテーマは、標題のとおり「Interplayを探究するJazz (&Funk) Jam Session」と定めることにした。

演奏する楽曲のジャンルについて

このセッションの目的は"Interplayを探究する"ことであり、本来楽曲のジャンルは関係ない(題材は何でもよい)が、便宜上(演奏への参加のしやすさや参加しようと考える人に安心してもらうためなど)ジャズからジャズファンクのスタンダードあたりを主に扱うこととする。
例としては以下のような曲が挙げられる。

  • Autumn Leaves

  • Someday my prince will come

  • The girl from Ipanema

  • Spain

  • Feel like makin' love

  • 丸ノ内サディスティック

基本的には所謂ジャズスタンダード(黒本などに掲載のもの)が多くなると考えられるが、そのときどきのお客さんによって曲目の傾向は変わる。
これらの曲を題材としていかにジャムるか、Interplayするかが重要なため、例えばSoftly, as in a Morning Sunriseを8ビートでやることあるし、そのソロパートではコード進行を追わずにCm一発にする、というようなこともあるだろう。奇をてらったことを行うのが目的ではないが、"いつもの曲"を異なるアプローチで演奏することによって、思わぬ発見や収穫を得られることがある。

セッションの"回し方"について

ホストがステージに張り付いて参加者をひとりずつ呼ぶような"発表会"型はできるだけ避けたいと考える。折角のセッションなのだから参加者同士でその場その場のアンサンブルを楽しんでもらいたい。
ただし、参加者の出足が遅いとき、その時点の参加者の中で明らかにジャンルの異なる希望曲がある場合(特に参加者の練度が読めない場合)などはホスト+参加者1名という形で演奏を回すこともある。
理想のセッションは、ホストがいなくても(選曲含め)回っていく状態である。

協働的な即興演奏を目指す

個人の内側から捻り出される創造性というのは素晴らしいものであるが、ここでは奏者同士の相互作用によって"引き出される"創造性に主眼を置きたい。
折角複数の他者とジャムセッションを行うわけである。ひとりでできることよりも、他者との対話により生まれることを目指すところとしたい。
他者との対話は2者間(call and response)に留まらず、3者以上での協働的な即興・創造となるとよい。
理想的な例を挙げるならば、Bill Evans Trioが実現した三位一体のような状態である。

背伸びをすること

これは、難しい曲をしよう、という意味ではない。各自が各自にとってちょっとだけ背伸びをしないと届かない領域を目指そう、ということである。
簡単な曲であっても、ジャムセッションにおける対話を・即興を・表現を、自分ひとりでは実現できない、他者との協働(他者の助けを借りるという意味も含む)によってようやく実現できるところに引き上げたい。

上述の協働と背伸びについては、著名な発達心理学者であるレフ・ヴィゴツキーの理論(社会構成主義)をベースとした考え方であり、下記の記事にまとめているので、時間が許すときに一読いただきたい。

Interplayを探究するために

では、Interplayを探究するには、どのような姿勢・マインドが必要になるだろうか。

  • 既存の役割に囚われないこと
    リズム楽器には呪いがある。ピアノはコード(和音)を出すこと、ベースはルートを弾くこと・ウォーキングを続けること、ドラムは刻み続けること。支えなければならない、音を出し続けねばならないという呪縛である。(リズム隊という呼び名がそれを象徴している。)
    逆に、フロント楽器はテーマとソロを取る以外は音を出さないことが多い、というか巷のセッションではそれがほとんどのように思う。リズム楽器を含めた他の楽器の伴奏をしたり、リフを作ったりしてもいいわけだ。
    フロント楽器がバッキングする、リズム楽器が刻まない、などその場のメンバーで役割を相対化して担い合う。いちど自分(パート)の役割を忘れ、全員が同じ地平に立つようにしたい。

  • 受信すること
    Interplayに重要なのは、発することよりも受けること・聴くことが重要であると考える。聴いて・感じて、他者の演奏をより深く引き出す。いわばカウンセリングマインドのようなものである。
    もちろん、受信してもらうには発信しなければならないので、(大きさは問わず)”仕掛ける”ことも必要である。
    常に受信し続けながらも、自他共に発しているのか受けているのか区別がつかないのは、Interplayとしてよい・深い状態である。

  • 正解を定めないこと
    役割に囚われないことと同様に、正解を決めつけてしないことが重要である。
    ビバップの終焉は、(こういう時にはこういう風に演奏すればよいという)”正解”が完成してしまったことにより訪れたともいえる。
    例えば初心者が参加している曲では、ついつい中上級者が”正解”に導こうとしてしまうが(ときには必要なことであるが)、おぼつかない演奏を単に矯正するのではなく、その音にカウンターメロディを当てて引き立たせる・アンサンブルとして成立させるといったアプローチを心がけたい。
    決められたゴールを目指すのではなく、参加者の協働により新しいゴールを探す・作り出すようにしたい。

まとめ

理屈っぽく書いたが、要するに、ジャズの原点(?)に立ち返って新しい音を生み出そう、お互いの音を聴き合って・発信し合ってアンサンブルを作ろう、ということである。
見方を変えると、自らを縛ってしまうような決まりごとはいったん忘れて、プリミティブに音を出そう、セッションを楽しもう、ということでもある。
これらはむしろ(よくある決まった"ジャズ"の形をなぞるよりも)高度な要求であるともいえる。
この素朴でかつ骨の折れる課題にともに挑戦する仲間を求める。

おーい磯野、セッションしようぜ!


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