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ラーンネットを振り返る
※サムネ?はHPから借用しています。
ラーンネットとは?なぜ今振り返るのか?
私は神戸市六甲山の山中にあるラーンネットという学校6年を過ごし、同系列の中学的な学校であるエッジでの1年を経て、公立中学校へ進んだ。
ラーンネットのカリキュラムは一般的な学校とは大きく異なる。国語と算数はあるものの、単位はかなり少ない。理科や社会の授業もない。
故に非一条校(教育基本法第1条で国に学校として認められてない組織…泣)という扱いになっている!
つまり、ラーンネットに通って、卒業するだけでは小学校卒業の資格は受けられない(!)ということだ。
ラーンネットに通うと、近所の公立小学校には通えない。困ったことに、この状況に神戸市の、小学校の積極的不登校を除籍するという方針が加わる。
こうして私は小学校を除籍となり、公立中学校卒業まで最終学歴は保育園卒業であった。自動的に義務教育スキッパーとなる仕組みだ。
私の記憶だが、ラーンネットの生徒は私も含め、小学生ながらに籍とか義務教育とか言っていた。
ただ、義務教育スキップはなかなか珍しい人生の要素と言える(今のところラーンネット以外で義務教育スキッパーに会ったことがない)。
私はだいたいのことにおいては人と違うほうが良いという価値観(逆張り人生)なので、ラーンネットに居たことを後悔するどころか、良かったと思っている。
↓ラーンネットについて詳しくはこちら
特にパンフレットを読んでほしい!
突然だが、先日高校で百人一首大会があり、上位で表彰をもらうことができた。
実はラーンネット、今はどうだか知らないが百人一首ガチ勢が多く、毎年冬には大会が大いに盛り上がる。
ラーンネットでは普通の小学校(通ってないから断言できないが)で競争が生じるであろうテストも、いわゆる勉強もない。Oplysningという理念に基づいたものだと思う。
Oplysning(オプリュスニング) とは、デンマーク語で"教育"を表わす言葉で、「自分を照らし、相手も照らし、お互いに成長する」 という意味。
英語の"enlightenment(啓発)"と同義。
しかし、私はかなりの負けず嫌いで、競争を求めていた。そのはけ口となったのが百人一首であった。一時期は作者名を全部覚えていたし、弟に試合で負けて泣きながら六甲山を下山したこともある。
そんな百人一首愛は高校になっても消えておらず、他の強い生徒と真剣に勝負できる時間には半袖でも寒くないくらいに熱中できた。
これを機にラーンネットが自分に与えた影響などについて整理しておくことは留学試験の面接にも活きてくるだろうと思うと同時に、高校生となった自分から見るラーンネットがどんなものか興味が湧き、文章を書いている。
ラーンネットの記憶
以下、長目なので適当に読み飛ばしてください。
・修学旅行企画
ラーンネットでは、自分たちの修学旅行を行先から宿、予算まで全部自分たちで企画する。決定方法は全会一致の合議制。
行きたい場所がある人はプレゼンを作る。
中学受験をする人もいて温度差がかなりあるのだが、全く中学について考えていなかった私はこの修学旅行企画にのめりこんだ。
金沢を主張し、徹底的に北海道を中心とする他意見を攻撃したり、役割分担を超えて他の人の仕事をしたり、今から見ると愚かしいことだが、とにかく夢中になっていた。
最終的な目的はみんなで楽しく修学旅行に行くことなのに、その企画の段階で他人を攻撃して良いことなんて何一つない。目的と手段のはき違えは十分に警戒する必要がある。
結局コロナ禍で修学旅行はなくなってしまったが、宿探しやオフィスソフトを使う能力は養われたと思う。
・全体キャンプ
ラーンネットでは、年に一回全体キャンプというイベントがある。三田や箕面のキャンプ場に全校生徒約60人と引率のナビ(先生みたいなもの)で泊まる。リーダーキャンプと呼ばれる、5,6年生だけでの事前学習のようなものまであり、もちろん企画は生徒中心である。
実はあまり記憶がないが、とにかく火起こしをやっていたのを覚えている。ラーンネットには校庭に焚火場があり、火起こしや火の管理は超実用的なスキルの一つだ。
慣れてきている上級生は「ふっ、この火が安定している時に落ち葉を入れる(無駄な煙がたくさん出て不快)なんてまだまだだな!」みたいな感じだ。
ただ大きな火を起こすのではなく、少ない薪で、ちょうど良い火力を安定して作ることが評価される。
色々な流派があり、とても楽しかった。ちなみに薪作りも、のこぎりやなたを使って自分でやる。
今高校で山岳部にいるのはなんやかんやでこの自然の中のキャンプ!という経験の結果なのかもしれない。
・のびフェス
六甲山上の校舎で毎年11月に文化祭のようなイベントが開催される。ラーンネットでは小4から大人の衛生管理のもと食品模擬までやることができる。高校で3年生しか食模擬をやらないというのが不思議でしかない。
小5の時は、文化祭のテーマが「物語」で、私の学年は昔話をモチーフにした店を作ろう!ということになり、私はきびだんごを作ることにした。
店をたくさん周り、桃太郎のおじいちゃんおばあちゃんが使ったものと同じかは知らないが、「かたきび」という穀類をget。これをコーヒーミルで挽き、団子粉と混ぜて団子にする。正直普通のだんごの方がおいしいような気はするが、コンセプトが重要だろう。大学時代チンドンをやりすぎて建築学科志望だったのに気づいたら土木をやっていたという父の衣装を借り、歩き売りである程度の利益を生み出した。
小6では、なぜ思いついたかは知らないが、燻製をやった。学校にあった組み立て式燻製機を使って、鶏肉や卵、チーズなどを燻製した。鶏肉は先に祖ミュール液につけておくとか、チーズはQBBチーズの下面だけ残してアルミをはがすと良いとか、地味な工夫を重ねたのを覚えている。ちなみに利益計算から買い出し、調理まで全部自分でやる。
食品模擬以外にも自分の絵を売る人や、保護者陣のガチ食品模擬、高さ20mぐらいまでの木登りアクティビティなど、色々な店があって面白い。
・テーマ学習
ラーンネットでは理科と社会がない。その代替という意味なのかはわからないが、約2~3か月、「水」「光」「福祉」「歴史」「生物」などの決まった題材について実習を通じて学ぶ「テーマ」という授業があった。
最後には学んだ内容の中で特に興味があること(例えば生物ならバイオミメティクスとか)を調べたり、それにかかわるものを作ったりして発表する。
この「テーマ」の設定とプログラム作りがナビ達の腕の見せ所である。
あまり詳しく覚えていないが、テーマ福祉では、ナビの一人とつながりのあるアートを取り入れた障がい者施設や老人ホームに実際に訪れた。このように、文字を通じてだけでなく、本物を体感して学ぶという姿勢はラーンネットの根底にあると思う。
また、テーマをあえて細かく定めることでより深く、広い学びができるのではないだろうか。言語化が難しいが、「理科」は、理科の範囲で学ぶ。でも「水」だったら、その学びは教科の線引きにとらわれない自由なものとなるだろう。社会問題からでも、その構造からでも、色々なとらえ方ができる。私が中3でサンゴに惹かれたのも、サンゴがとにかく色々な研究を包含するものだったからだと思うと、ラーンネットが私の価値観に及ぼした影響は計り知れない。
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私のころは多分「天体」というテーマがあったはず。
西播磨天文台で草原に寝転がり星を夜遅くまで眺めた。
・和太鼓
部活とかは特に何もないラーンネットだが、有志の生徒で和太鼓を神戸のスタジオで習うプログラムがあった。私は2年だけだったが、他は3,4年やっている人も。音楽センスはほぼ皆無だったが、締め太鼓というリズム?を作る太鼓を担当していた。今でも曲の流れをある程度思い出せるぐらいで、小さいころにやりまくったことの残留力はすごいんだなあと思う。
・探究とプレゼン
ラーンネットは探究の中で、発表とフィードバックからの展開を重視していると思う。年に2,3回「探究シェアリング」という、保護者なども参加する発表会があり、それに向けて模造紙やパワポなど、自分の方法で発表準備をする。内容は前述のテーマ学習の最終発表だったり、プロジェクトの成果発表だったり。
プロジェクトというのは、一般的に言う探究活動のことだ。私は漫画がきっかけで歴史にハマっていたので訪れた城跡の話をしていた気がする。投石器を作る、カタツムリを研究する、などガチ探究をしている人がいる一方、私を含め調べ学習的な感じで終わっている人も多くそこは残念だった。おそらくもうちょっとナビに相談すれば良かったのだろうが……
しかし自分の好きなもの、知りたいことは何かという問いとの対面を促すことは全学校が取り組むべき教育課題だと思う。
主体的な学びが良いというのはよく言われることだろうが、それを本質的に実践できる学校はどれぐらいあるだろうか。
そういう面で、ラーンネットの教育理念、カリキュラムの完成度と先見性はすごい。
・マイスタと基礎学力
いくら非一条校で義務教育カリキュラムを逸脱しているとはいえ、ちゃんと勉強をする時間もある。マイスタディ、略してマイスタは毎日40分ぐらいあって、国語算数を中心に自分に必要な勉強をする。
……という話なのだが私はとにかく勉強が嫌いで渡されたドリルと流石にまずいと思い勉強を促してくるナビから逃げ回っていた。
もちろんちゃんとやっている人もいるのだが……
表紙に落書きをしていた記憶しかない。
わざわざ別で時間をとって分数の計算を根気良く教えてくれたナビには感謝してもしきれないが、結局計算弱者 且 漢字キモ書き順となってしまった。ちなみに中3でjが一番下の線より下に突き出ることを知った。
高校入試まではなんとかごまかせていたが、高校で計算速度の遅さが露呈して困っている(自己責任)。
ただ、基礎学力とは別の、学びに向き合う態度や好奇心は最大限に育まれたと思うので、総合的に学力はラーンネットに行かなかった場合より向上しているのは間違いない。
エッジについて
ラーンネットの本体は六甲山上で6年間学ぶ小学校のような過程だが、灘の街中に同系列のエッジという学校がある。
私はこの学校に中1にあたる1年間通っていた。
簡単に言うと、ラーンネットのメイン過程より自由で幅広く、自分と向き合う機会が多いという印象がある。
中学校に入り、ステージが上がった焦りでのせいか、この学校にいる間、私は「探究」という言葉の呪いのどん底にいた。
今でもそれは完全にはぬぐい切れておらず、「探究」という言葉、というよりその軽い扱われ方が嫌いだ。
探究というのは自分の本当にやりたいことを行動にし続けることだと思う。
すごくひねくれた意見になるが、
なんか賞が取れそうとか、
大学入試などの報告書に書けそうとか、
大して興味もなく原体験もない課題が解決できそうとか、
そんな風に始まる取り組みを探究と呼びたくない。
そんな価値観を今より抑えることなく発散し、自分にプレッシャーをかけ、周りを批判していた。そして結局何も成し遂げることはなかった……
今でもこの考えが完全に間違っているとは思えないけど、エッジでの1年、思いっきり迷走した末に芸術という自分の一つの軸になるテーマを見つけたことで自分も周りもある程度認められるようになった気がする。
ラーンネットは自分にとってどう活きているか
中学ではそうでもなかったが、高校に入ってからはラーンネットの価値を度々再認識している。
百人一首はわかりやすい具体的なイベントだが、どちらかというと、自分の価値観や哲学の根幹には結局ラーンネットでの日々があるということに気づいたという感じがする。
実際に行動して本物から学ぶことの大切さ、だと思う。
例えば、「絵に興味があります!美術の授業と美術館見るのが好きで……」ということを話していたら、自分の場合、周りからどう思われるかは置いといて、自分自身に対し、「本当に絵と美術が好きなの?もっと別に興味ある分野あるんじゃないの?」という問いがすぐに湧いてくる。
でも、「絵に興味があります!美術館の学芸員の人の鑑賞の授業やアートセラピーの授業から絵の力を知り、今は自分でコンテストに出す絵を描いたりプロジェクションマッピングを作ったりして、将来の、美術を活かして社会に貢献するという夢に向かっています(事実)。」
だったらなんとなく自分自身を納得させられる気がする。
実物に触れることは印象を強く残すだけでなく自信や自分のストーリーを構築するのにも役立つのではないだろうか。
そんな実物に触れるタイミングがラーンネットにはあふれるほどある。ラーンネットにいたという経験自体も教育に関する原体験になるはずだ。
そして、それをもとに次の行動に踏み出せる。そんな良い循環の起点となった。
また、6学年+aで約60人という超少人数体制の中で育った同級生は卒業から3年経った今でも互いの発表を見に行ったり、誰かの家に集まったりする仲だ。いきいきと活動している気心の知れた仲間というのはなかなか得難い。
在籍中良い生徒だったかと言われたら絶対そんなことはないし、手放しでべた褒めするわけでもないが、今の自分の中核を育んでくれたラーンネットを誇りにしていきたい。
また、他の卒業生にもラーンネットインタビュー企画やってみたいな……