東京少年4_002

東京少年は此処にいる!!!#002

12年前とは時が立つのは早いもんだなぁと感じます。
僕の人生を変えた出会いがあった2007年。
場所はアフリカ マダガスカル。
当時、僕は19才。
ひとり、自転車でマダガスカルを横断していました。

東京少年は此処にいる!!!#001

マダガスカルカツアゲマンに屈服したかっこ悪い記憶を、都合の良いことに一旦リセットした後、僕はコンパスで西を確認してペダルを回し始めたのでした。

▼前書き
※このnoteは専門知識も英語も現地言語もなにも身についていない未成年が色々な人のお世話になりながら旅をしたお話っす。
※100%主観で書いておりますので、"ふーん。少なくともこいつはこんな体験をして、こんな事を感じて、こういう風に理解したんだなぁー。"ってぐらいに受け取ってもらえたら幸いっす。
※故に正しい歴史、事実と違う可能性が多いにあるっす。
※実はこの半年後にもう一回マダガスカルに訪れたのですが、その半年間で現地にはものすごい変化がありました。そこから12年が経過しているので今のアフリカやマダガスカルはこのnoteから受ける印象の限りではないと思うっす。

▼首都"アンタナナリボ"

俺の全力はまだ全然出し切ってねー!!
それもそのはず。
空港から出て10kmも移動していないので、気力も体力もほぼ満タンです。
(気力は一回ゼロになったけど。)
今までは空港周辺ってことと、人目をさけていたので街並みや雰囲気をちゃんと感じていませんでした。

自転車を漕いで程なくすると"おいでやす!アンタナナリボ!!"的なゲートが現れ、ようやく首都に到着しました。
カラフルな文字で装飾された賑やかなゲートとは裏腹に、街の空気感はあまり楽しげなものではありませんでした。

▼2007年マダガスカル予備知識①

僕がマダガスカルに行った2007年当時。
マダガスカルの内政はあまり良くなかったことを記憶しています。
大統領が2人いたからです。
後に知り合う青年海外協力隊員から教えてもらうのですが、マダガスカルには大きく分けて3つの部族がいるようです。

▼メリナ
>歴代大統領はメリナしか就任していない。
>一番肌が白い。アジアっぽい感じもする。
>ほとんどは首都近郊に住んでいる。
>道路がちゃんと整備された地域に住んでいる。

▼サカラバ
>当時のもう一人の大統領。
>サカラバから初の大統領就任になるか?って感じ。
>肌や顔つきはメリナとバラの間な感じ。
>いわゆる地方に多くは住んでいる。
>道路はひかれているが補修はされていない地域に住んでいる。

▼バラ
>おそらく通常の観光客はほとんど会う機会がない。
>肌や顔つきが一番アフリカっぽい感じ。
>グーグルアースにも乗っていないような村や集落に住んでいる。
>政府がひいた道などない地域に住んでいる。

ってなわけで、人が多く集まる首都アンタナナリボはあまりいい雰囲気って印象は少なかったです。

▼マラガシー、フレンチ、チャイニーズ、ジャパニーズ

ちなみにマダガスカルに観光に来るのは大体ヨーロッパから。
そのほとんどがフレンチ(フランス人)でした。
歴史的な背景があるのでしょうか?
現地のマラガシー(マダガスカル人)たちはフレンチに遠慮をし、観光に来ているフレンチの方が堂々と歩いている印象でした。
なので自転車を押して歩く東京少年はとっても街中で目立ったのでしょう。
すごく声を掛けられます。
ネガティブな意味で。
"シノッ!!シノッ!!"
後々知るのですが中国人を差別する言葉だそうです。
どうやら当時の中国は賃金が安いからという理由でマダガスカルに工場を作り、重労働をさせていた企業もあったそうです。
日本の企業も中国で同じようなことをしてそうですね。
残念だけども。
"違うよ!僕は日本人だよ!"
というと、今度は、
"じゃあリッチマンだ。"
お金くれよ。これ買ってくれよ。こっちに来いよ。
再度、現地の若者から絡まれるのでした。

▼東京少年 vs マラガシー Round2

※あまりにも小さな争いをしているので、このnoteに書かないで置こうかとも思ったのですが、(自分の器の小ささに恥ずかしくなる為)当時を振り返る為にも書く事にしました。


覚悟はできていたつもりでもカツアゲ初戦は無様に屈服してしまった。
しかし、一度挫折を味わった東京少年は強い。
今度は僕だって負けてません。
まずは距離を保つ事。
あんまり近付き過ぎたらダメだということを学びました。
囲まれちゃうから。
無視して行っても良かったのだけど、むしろそうする方がトラブルにならないから絶対に良いのだけれど。
当時の僕はまだ十代。
やられっぱなしは腹の虫が治りませんでした。

若者マラガシーは4人組。
僕はひとり。
数の有利からか言葉はわからなくっても、むちゃくちゃおちょくってきていることはわかります。

▼東京少年の反撃


こっちを見ながらヘラヘラしている彼らに日本語で反撃してみました。
"なに見て笑ってんだよ。"
向こうも言葉はわからなくても僕からの敵意を感じとったのか、より威圧的な口調で攻撃されます。

カツアゲ初戦で一番僕が怖かった事。
それは何を言われているかわからなかった事です。
なので僕も若者マラガシーに日本語で切れてみました。
すると一瞬ビクッ!と若者マラガシーの攻撃が止まりました。

そのタイミングで自分が知っている一番汚い英語を叫ぶと若者マラガシーがこっちに向かってきます。
でも僕は自転車を持っているので追ってくるマラガシーを後ろに見ながら高笑いで逃げることができました。

う〜ん。。。
やはり改めて書いてみると、なんと小さな事にムキになっていることか。。。
でも、やっぱりちょっと気分が晴れる感覚も覚えるっす。
絡んできたのはむこうからだし。
くだらないプライドかも知れませんが、こっからやってやるんだ!っていう当時の僕なりの決意表明だったのだと思います。

▼僕がみんなにシェアしたい言葉

この旅に出る前。
家族との会話の中で、理解してもらえない事で諦める前に理解してもらえるよう努力することの大切さを学びました。

当時、僕が家にいる時間は週に24時間もありませんでした。
家族と喋る時間はほとんどありません。
そんな中僕は、
"マダガスカルを自転車で横断したいんだ。"
家族に相談したのですが両親共にすんなり理解はしてもらえませんでした。
"二十歳になる前に自分の全力と限界を試してみたいんだ。"
わざわざ時間とお金をかけて恐らくあぶないであろう国に息子が一人で行く意味が二人とも理解できないでいました。
いつもは、"んじゃ勝手にするわ。"で終わらせてしまいますが、
この時ばかりは何回も自分の気持ちを話そうと努力した記憶があります。
最終的に父はとりあえず話を聞いてくれる感じになってくれました。
母は最後まで話を聞いてくれませんでした。
僕もは今までで一番、自分の気持ちを一生懸命話しました。
その時の返ってきた言葉です。

無事に帰ってこい。
そして行くからには必ず成長して戻ってきなさい。
お前が言っていることの全ては理解はできないが、
こんなに、
お前が自分のことを父さんに話すなんて、今までになかったと思う。
複雑な気持ちだけど、父さんはそれが嬉しかった。
帰ってきたらまたお前の話を聞かせて欲しい。
応援しているよ。


父より

最後まで読んでいただきありがとうございます! ここまで見てくれたことがとっても嬉しいっす!! 心からさんきゅっす:-)