【昔は獣害なんてなかった?5】
【タガが外れた明治初期の異常事態】
よくある誤解ですが、
昔は獣害なんてなかったから、
今は増えすぎだ、
獣害のなかった頃ぐらいまで、
数を減らそう、
…この場合の「昔」は、
歴史的にみて、
とても限定的な「昔」です。
じつはこれ、
明治以降の、
わずか100年ちょっとの間だけのコトです。
農業が始まって以降の、
二千年ほどの時間、
そう、江戸時代までは、
獣害はあたり前にあり、
野生動物と闘い続け、関わり続けてきました。
しかし、いつ頃から
「獣害がなかった頃」になったのでしょうか?
前回までに、昭和9年の
「日本山林史 保護林篇 上(1934)」にある、
「猪鹿除林」という
防護柵などの「防除」のことが書かれた項目を紹介し、
「明治維新後狩猟の発達に伴い、野獣漸次減少すると共に、本林もその意義を失い、現今にては殆ど其の存在すら聞かざるに至れり」
この時すでに、その意義を失うほど、
野生動物は減っていた、というコトを紹介しました。
「獸害は何れの地も之なきはなし」(獣害の無いところなどない)と記述されていた、
吉野林業全書(1898)が出てから、わずか30年余りで、
そうなってしまった要因はなんだったのか、
ココまでがこれまでのおさらい&前フリ
そして、今回紹介する写真の一つは、
「猟銃免許人の外発砲相成らず」
明治5年(1872)に出された、
滋賀県令です。
内容を見てみると、
「猟銃免許を持った人以外は銃を撃ってはならない。
免許を持っている者でも、市街地村落はもちろん、たとえ山辺であっても人家近くでは厳禁。
それと、猟の時以外はみだりに発砲してはならない。」
とあります。
つまり、この通達は、
市街地や村落で、猟でもないのに、鉄砲をぶっ放す輩がいた、
というコトの裏返し、と理解できます。
背景として、
江戸幕府の下で規制されていた銃器、および
銃猟に対して規制がなくなり、
無秩序でタガが外れた状態になってしまっていた、と考えられます。
しかもこの通達は翌年明治6年にも、
同じものがたびたび再通達されています。
明治新政府としては、江戸時代と同様に、
再び引き締めを行い、
銃を取り締まり、社会秩序を取り戻す必要があったと思われます。
じつは同じ年、明治5年には
「鉄砲取締規則」が公布されており、
一応、銃器、鉄砲を取り締まるための制度はできてはいました。しかしそれが浸透するにはある程度の時間が必要だったのでしょう。
江戸時代、
銃は規制され、一挺ずつ登録され、
管理がなされてはいましたが、
それでも獣害のある農山村には、獣害防止・有害駆除の目的で、多数の銃があったことが知られています。
「生類憐みの令」と呼ばれる規制があった時期でさえも
シカやイノシシは対象外で、駆除の対象でした。
そのように、
農山村で所持されてきた銃を用いての、
治安の乱れが垣間見え、
明治新政府がタガを締め、再び規制しようとしたのが、
明治5年正月にでた
「鉄砲取締規則」であり、
その年の8月にでた、
「猟銃免許人外発砲相成らず」
だったわけです。
市街地でも構わず、
ワケもなくぶっ放すぐらいですから、
社会秩序の崩壊だけでなく、
無秩序な狩猟・捕獲はこの時、
すでにあたり前にあり、
「野獣漸次減少する」の始まりは、
この時すでに始まっていたのではないでしょうか。
そして、今回紹介する写真のもう一つは、
明治6年(1873)に出された、
「鳥獣猟規則」です。
先の「鉄砲取締規則」では
銃の所持に対しての取り締まりを行う一方で、
この「鳥獣猟規則」では、
銃を使った狩猟・捕獲を取り締まる目的で制定されました。
いわばこれは、現代でいうところの
「銃砲刀剣類所持等取締法」と
「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」の役割をそれぞれ担うものでした。
この「鳥獣猟規則」では、まず、
職猟者と遊猟者に分けて管理をしようとし(第一条)、
そして、
有害捕獲については、別の「臨時免許」の制度としたようです。(第二条)
そして、
第十条では、
「猟銃免許人の外発砲相成らず」においても
鉄砲をぶっ放すことを禁じたエリアでは、
銃猟禁止としています。
特筆すべきは、
第十一条で、銃猟に用いてよい銃を定めており、
その中で軍用銃は不可としています。
そう、猟銃でないとNGだったわけです。
その
猟銃については、「鳥獣猟規則」だけでなく、
「鉄砲取締規則」においても遵守することを求めており、
現代の取り締まり制度の原形がすでにできあがりつつあったようです。
このように
明治新政府としては、無秩序な狩猟と、
野放図な発砲を戒める、
しくみ・制度としては、ある程度完成された法体系を確立したようですが、
それでも、無秩序な捕獲は止まらず、
乱獲が横行したようです。
このことについては、またの機会に。
こうして、
獣害のなかった頃の、
100年余りの時代の足音がひたひたと聞こえてきました。