8月28日のお話
「八百万の神々が見てるよ」と育てられた日本人は、どうにも人の目を気にしすぎるきらいがあります。
自分は他者からどう見られているだろう。
自分は世間様から正しく見られているのだろう。
自分は神様からどう評価されているのだろう。
このままで、いいのかな。
そんなふうに、私たちはいつも何処かで不安がっているのです。
程度は違いますが、西洋の一神教であっても「神様があなたの行いの全てを見ているぞ」なんて教えられるので、人々はどこかで「神に背いてはいけない」と思いがちです。そうすると、自分が何をやりたいかではなくて、神の意向はどうだろうと考えるようになります。
このままで、いいのかな。神の意向は、こっちであってるのかな。
そんなふうに考えているからいろいろ間違うのよね。と、私は思っています。ずっと自分のことを見ているのは、神様でも世間様でもなくて、自分自身のはずです。世界中から崇められている神様が、全部の人のあれこれを見られるはずがありません。たまに見逃したり、この子は一年くらい放置してもいいかなとか、手を抜いたりしているかもしれません。
でも自分自身は、見ないことはできないんですよね。目を背けても、自分のやることは見なかったとこにできません。
だから、一番気をつけるべきは、自分自身。もう一人の自分です。もう一人の私に、嫌われないか、もう一人の私に愛想をつかされないようにすることが大切。
自分に見られている自分が、自分に好かれるように。そうやっていろいろを選択して生きていたら、大きくは、間違わないと思うんですよね。
そうしたら、誰のせいにも出来なくなるわ、人生のどんなことも。彼氏に振られても、夫に逃げられても、仕事で失敗しても。
だから、いま、私は大丈夫。
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