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8月11日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4203年8月11日

その日、海辺の街に仕事で出かけた帰りに”西向きの海岸”を見つけたカリノがヒイズを誘い出して「夕陽が見たい。夕暮れまで時間を潰そう」と提案したことから、二人の寄り道が始まりました。

日没まではまだ1時間近くあります。どうやって時間を潰そうかと思案するカリノに、ヒイズが提案したのは”ただ眺めるだけ”という時間でした。

「カリノはさ、何かしなきゃいけないと思いすぎなんじゃないかな。」

二人の性格は一致する部分もあれば相容れない部分もありました。その相容れない部分の最たるところが”予定を細かく立てたがるカリノ”と、”予定は極力立てないヒイズ”という差でした。

カリノの予定を立てる性分のおかげで、効率的に仕事ができているので、仕事の面ではヒイズもそこに文句をつけず彼女の指示に従うのですが、ひと度仕事を終えると、ヒイズはカリノの”予定癖”に難色を示します。

「何もかも決めてしまうとさ、予定外のことが入り込む隙間がなくなるよ。」

そんな風に、彼は予定を立てない美徳を解きますが、そういう言葉を聞くたびにカリノは「ただ予定を立てるのが面倒なだけじゃないの?」と反発します。いつもならそう返すのですが、今日のカリノは特別に「ヒイズがそれでいいなら。」と何もしないことを受け容れることにしました。

その変化は、先ほど、仕事をしている最中に入った、ヒイズへの知らせを聞いたために起こったものです。その知らせとは、ヒイズが所属するコトダマ派の魔法使いギルドの中で、彼がニューヒーローとして選出されたという吉報でした。

魔法使いギルドが毎年選ぶニューヒーローとは、業界が若手育成のために定めた称号で革新的な行いで魔法界をリードする人物に送られます。その称号を得た魔法使いは周囲の模範として様々に紹介されるため、自ずと露出が上がり活躍の場が広がります。そういう制度を作らなければ、どうしても伝統踏襲と技術の秘匿に走りがちな魔法界の生き残りのための苦肉の策ではありましたが、この制度のおかげでオープンソース的な考え方が定着し、最近は少しずつ、科学技術と拮抗する力を魔法界も取り戻しつつありました。

そういうものに選ばれるということは、魔法使いにとっては大変名誉なことでした。

だから、カリノは今日はヒイズにとって良き日で終わらせたいと思ったのです。当の本人がどのくらい喜んでいるかは、カリノから見るとわかりにくいものでしたが、いつもより口数の多いヒイズの様子を見ると、おそらく喜んでいるのでしょう。

ちょうど浜に向かって空き地になっているスペースに車を駐車し、正面に西の空と海を眺めながら、二人は何を話すともなく外を眺め、ゆっくりとした時間が流れるのに身を任せていました。

それから沈黙を感じない沈黙が社内をたっぷり満たした頃。本当に何もしないまま、空が茜色に染まる時間がとなりました。

太陽が海の向こうの小島に沈もうとした時、その時を待っていたかのように、カリノが「外に出よう」とヒイズを誘いました。

カリノは幼い頃、西海岸の街で育った経験がありました。そこで様々な海の表情に慣れ親しんだこともあり、彼女の愛する写真や絵画は、海を、特に夕焼けの海を表現するものが多いという特徴を作っています。そんなカリノが、この海を通りかかった時、ここの夕陽をヒイズと見たいと思ったのです。いつかヒイズが、西の海に沈む夕陽をあまり見たことがないと行っていたのを記憶していたためでした。

カリノがこの海岸を、と選んだ理由は他にもありました。

この時間が引き潮であること、遠浅の地形が続く海岸であること、西の空に雲がないこと。これらの条件が重なった時、そこには”干潟”という場所が現れます。この干潟に夕陽が差し込む時、そこにはいつもは見えないものが見えるのです。

何が見えるかはわからないけれど、今日見える何かを、ヒイズと見たい。カリノはそう思ったのでした。

夏の暑さも少し穏やかになる夕暮れ時、二人は人のほとんどいない浜辺に向かって歩き出しました。干潟は少し湿っているものの、足を取られるほどではありません。硬く締まった砂が、その浜辺の美しさを物語っています。所々に点々と見える蟹の巣を見ながらしばらく歩いていると、あっと声をあげてカリノが右手に大きく曲がるように走り出しました。

「ヒイズ。ここ。ここから見て。」

カリノはまだうっすらと水がたまる干潟の水溜りに躊躇なく踏み出すと、ヒイズを呼び込みました。え、濡れるよ、と怪訝そうにしているヒイズを無理やり引き込むと、水溜りの中心から夕陽の方を指差しました。

するとそこには、光の道が太陽に向かってまっすぐにのびているのです。

「光の道。現れるのはレアなのよ。」

カリノがそう説明します。干潟が現れても、水溜りが真っ直ぐに伸びるかどうかは、潮が引いていく時の波の匙加減により変わるものです。人の手ではどうしようもない造形が、この干潟の光の道でした。

まるで、今日からのヒイズの歩む道を示しているみたい。カリノは心の中でそう思いました。彼女自身、干潟の光の道を見たのは、そんなに多くありません。もしかしたら見られるかもしれないと、思いはしましたが、こんなにまっすぐ太い道を見られるとは思いませんでした。

この光の道は、間も無く、潮が満ち潮に変わると消えてしまいます。けれどまたその時が来れば、現れたり消えたりするのです。本当に綺麗な光の道は、いつも足元にあるわけではないと教えてくれているようでした。

実際、ヒイズのこれまでの活躍は、光に向かって進んでいるものだとカリノは信じていましたが、その歩む道が光の道だったかといえば、道無き道だった期間の方が長かったのです。太陽が昇らない日から徐々に時代が変わり、人々がこのままではいけないと気づき始め、時代に認められるようにヒイズの活躍が”今”認められたようなものです。

そして今日、ヒイズが歩いていた道が、どんなものだったかを海が見せてくれたような、そんな気がして、カリノは思わずこの景色の持つ意味と美しさに息を飲みました。

「太陽は、すごいな。」

隣でヒイズが、ポツリとそう呟きました。

昇らない日があれば人々に不安と絶望を与えるのに、こうして沈む間際に道を示してくれることもある。そしてその道は、必ず”自分に向かって歩め”と言っているような気がするよ。

ヒイズは、そう心の中で言ったつもりの言葉が、無意識に口から漏れてカリノに届いていることには気づいていません。

カリノは夕陽と光の道とヒイズとを交互に見ながら、そっと微笑みます。

昔から人間が太陽に”祝福”という思いを重ねた理由が、カリノは、今日、わかったような気がしました。

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