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7月1日のお話

50年以上前の街並みがそのまま残っている、ここは「ふみつきついたちの島」と言います。今から二世代前、昭和の全盛期と呼ばれていた時代は、この島はとても人気がありました。

子どもたちは、この島に行けるのを楽しみにしていましたし、大人たちも、どこか楽し気な、特別な島として大切に思っていたのです。

人々から人気が出ると、島はもちろん栄えていきます。街は広がり、家がひしめき、細い路地のいたるところで子供たちの楽し気な声が響いていました。島自体もそんな様子を楽しそうに眺め、自慢の浜辺を開放して、たくさんの人たちの「夏の思い出」の一ページに残り続けました。

しかし、この島の専売特許だと思っていた「海開き」という行事が、時代の変化と共に、別の島に横取りされるようになってしまいました。観光客の収益を目論む人々は、水無月の島々に移動さえする始末です。まだ梅雨も明けず、夏越の祓いも終わらないうちに、人間たちを海にいざなうなんて非常識です。ふみつきついたちの島は、商業主義に流されゆく人々を悲しい気持ちで眺めていました。

今では、ふみつきついたちの島のことを楽しみにしている人々は、めっきりと減りました。同時に島民もひとりひとりと引っ越してゆき、街の建物のほとんどが空き家になってしまいました。今年はさらにひっそりとしてしまい、いよいよ、ここも無人になってしまうのかと心配になるほどでした。

そんなふみつきついたちの島に、今日は珍しく、外からのお客さんがやってきました。お客さんは、ミキという名の女性で、30代後半の、ウェーブのかかった髪を肩の上で揺らし、タンクトップに半ズボンという格好で、大きなリュックとカメラを持っていました。少し前から流行っていた写真女子が、歳を取ったという感じでしょうか。

どうやら島の中心にある森に興味があるようで、1日に一往復しかしない汽船を降りた彼女は、手元の地図を見ながら、ひとりでてくてくと歩き進んでいきます。

同じ汽船で他の島から用事を済ませて帰ってきた島民の呼びかけで、10人ほど残っている島の人々全員に、ミキの存在はあっという間に広まりました。みんな、驚き、珍しいと言い、そしてあとから、少しだけ、うれしい気持ちにもなりました。この島はこのまま、誰からも忘れられてしまうのだと考えていたからです。

老人のうち、元々町会議員をやっていた社交性の高い「センゲンさん」が、島民を代表してミキを呼び止めました。

「お嬢さん、お嬢さん。」

最初は自分が呼ばれていると思わなかったのでしょう、ミキの反応は少し間が空いて、「私、ですか?」とおそるおそる振り返る様子でした。

「そう。お嬢さん。どこに行かれるの?森に行くのかい?」

ミキは、あ、はい、と少しバツが悪そうにして、「森のてっぺんに、展望台があると、地図にあったので…」と行先を告げました。

すると、少し遠くから二人のやり取りをそれとなく見守っていた島民の何人かが、「展望台!」「展望台?!」「あちゃあー」と口々にざわめきました。

「え?」

不思議そうな顔をするミキに、センゲンさんが説明を加えます。「展望台に行くのには、その恰好では、だめだよ。」この気温だし、暑いのはわかるけど、肌を出しすぎてる。そういうと、周囲にいた島民たちもミキを囲むように近寄ってきて、口々にだめだだめだと言いました。その誰もが、怒っている様子はありません。呆れている人と、本気で心配している人とが半分半分くらいでしょうか。

「森にいる蚊は、強いよ。」

センゲンさんの話によると、この先の森には、藪蚊がたくさん発生しており、展望台に行くと、それはもう蚊に囲まれて大変なことになるというのです。

「私たちはね、もうこんな年だから、ずいぶん行ってないけどね。だからその分、蚊たちには久しぶりにありつく御馳走になるよ、ぜったい。」

ミキはそこまで聞くと、自分の格好が、皿の上に載ったごちそうよろしく、蚊に「吸ってください」と言わんばかりになっていることに気づいて、あっという顔になりました。

「どうしても今日いくというなら、ちょっとまっておいで。」

センゲンさんは、そういうと、自分の家に戻り、ミキの背丈にあったモンペと長袖のシャツに、ハンドタオルをいくつか持ってきてくれました。

タオルを首に巻いてね、暑いけど、咬まれたらそれはそれは腫れるから。ミキは、近所のまだ人の住んでいる家を貸してもらい、さっそく貸してもらった服を身につけました。そうして道へ出てきてみたら、いつの間にか、遠巻きにしていた島民たちも待ち構えていて、一斉にああだこうだとアドバイスをくれました。

たくさんのアドバイスをもらったミキは、少し戸惑いながらも、親切にしてくれた島民たちに笑顔を向けると、いってきます!と手を振り歩き出しました。再びミキは、目的の展望台を目指します。

ミキがふみつきつちたちの島の展望台を目指そうと決めたのは、つい、先日のことでした。きっかけは元旦にたてた一年の目標について、何も努力できていないまま、半年が過ぎようとしていると気が付いたことにありました。

いつの間にか梅雨の季節になり、ふと、夏越の祭りの広告を電車でみかけたときです。半年、無事に生きたお礼と、その間にたまった穢れを祓うための…と書かれた説明書きを読み、一年に「半年」という区切りがあることを知りました。

子どもの頃は、4月の新学期と、9月の二学期が主な区切りで、大人になってからも「年度」という数え方と、多くの会社が「決算期をその年度」に合わせているため、元旦正月は一年の始まりだと意識しても、その後は、なんとなく年度の考え方で一年を過ごしてしまっていました。

だから、新年度になってまだ2ヶ月。そんな余裕が心のどこかに潜んでいたのです。でも、よくよく考えると、元旦からはもう6ヶ月です。

これは、とんだトラップだ。そう思ったミキは、自分の人生の目標をもっと真剣に追うために、今年から、7月1日を二分の一の元旦と決めて、折り返し地点にいることを意識するための儀式を行おうと考えたのです。

その儀式が、展望台に上ることでした。本当は山梨側の富士山の山開きという日でもあるらしく、富士山に登るということも頭をよりぎりましたが、自分では、ちょっと続かなさそうで却下しました。

ひとりで森の中を歩き、雑草だらけになったけもの道をたどりたどりするうちに、ミキはこの半年に起きたたくさんのことを振り返りました。人は歩くと脳が活性化すると言いますが、こういう自然に囲まれた環境では尚更良いようです。今年は感染症の広がりもあって、特に半年のうちの後半は怒涛のように過ぎてしまいました。ミキは、そうして色々振り返るうちに、当初の目標にはまだ遠いけれど、それなりに色々頑張ってきた半年でもあったなと少し気持ちが軽くなりました。

人は、先の道が見えないと、もっと早くは知らなければとか、もっと何かやらなければと焦ってしまうものです。しかし、そこで少しだけ立ち止まって、来た道を振り返ると、意外と超えてきた道のりが険しく困難なものであったり、実りある道のりだったりするのです。そういう道を歩んできた自分なのだから、これから先の道がちょっとくらい見通しが悪くても、きっと大丈夫。そういう余裕すら出てきます。

いよいよ展望台につきました。

モンペと一緒に持たせてくれた、虫よけスプレーは、すでに半分くらいなくなっています。(そのくらい、蚊の気配を感じては吹きかけていました。)おかげでまだ体にかゆみはありません。

展望台からは、小さな島を囲う海がぐるりと眺められました。

ふみつきついたちの島は、なかなか素敵なところでした。それが忘れ去られそうになっていても、素敵な場所だったことに、変わりはありません。

今ではふみつきつちたちの島をミキのように「区切りの日」と思う人は少なくなっていますが、実は366個ある「いちねん諸島」の島々は多かれ少なかれ、どの島も少しずつ島民は減少していました。ふみつきついたちの島はまだ良い方で、すっかり、無人になってしまった島も少なくありません。それは、昔に比べ、人々が区切りを意識しなくなってしまったからです。

昔の人々は、明日生きるのも、保証のない時代が長く続きました。明日は生きても、次の季節まで、次の年まで、必ず生きられるというようになったのは、実はこの80年ほどです。保証がなければ、迎えるその日その日に意味があり感謝がありました。保証があると、昨日と今日は同じ一日で、今日も明日も同じ一日になっていくのです。

昔の人が大切にしていた節句、区切り、祭事、習慣が失われていく毎に、いちねん諸島の島々の人口は減り、無人島が増えていきました。そこには、昭和初期の街並みのまま、植物の成長に吞み込まれた当時の建造物が、まるで何かの警告のように退廃的な雰囲気を醸し出しています。

「戻りましたー!」

展望台を堪能し、行よりも速いペースで森を戻ったミキは、先ほど着替えをさせてもらった民家の前で、大きな声でただいまと言いました。すると、「思ったより早いねぇ」などといいながら、その家で茶飲み話をしていた様子のセンゲンさんや島民たちが、おかえりなさい、と迎えてくれます。

すみません、汗だくになってしまって、お借りした服。と謝るミキに、そりゃあこの暑さだもんね、と笑い、なんもなんもと、麦茶を出してくれるセンゲンさんの顔を見て、ミキは「ん?」と首をかしげました。なんだか、どこかで会ったことがあるような気がするのです。でも、ご老人は同じような顔に見えることもあるし…などと考えていたミキは、もう一つ謝らないといけないことを思い出し、思考を止めて再び「すみません、あの」と謝罪を申し出ました。

「虫よけスプレー、もう、ほとんどなくなっちゃいました」


久しぶりに、ふみつきついたちの島に大きな笑いが響きます。島はそんな笑い声を幸せそうに聞き、この島はまだもう少し、誰かの区切りになることが出来そうだと胸をなでおろしました。

令和二年文月一日。富士山吉田口登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社で、毎年7月1日行われるはずの、浅間大神様に開山を御奉告し、富士登山者や登山道関係者の安全を祈念する開山祭 中止

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