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6月28日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4203年6月28日

その建物にはじめて足を踏み入れたとき、瞬間的に感じた冷やりとした空気と視界を眩ますような建築美の荘厳さは、後から振り返ってもカリノの人生史上最高に素晴らしいものでした。空間の左右にはシンメトリーに等間隔で配置された丸柱。その間の壁面はまばゆい宗教画のステンドグラスがはめられており、そこから落ちる虹色の光が、中央に整列した座席を清めるかのように照らしています。

ここはカリノたちの暮らす新都心エリアの東の端にある「教会」と言われる宗教施設の中です。太陽が昇らなかった日から増え続ける不登光症候群の患者の中でも、貧しく治療を受けられない人々の多くは、その病からの回復を求め、こういった旧式の宗教施設に集いはじめました。科学と魔法の発展の中で、信仰が廃れたように思えていた時代は昨年のあの日以来様相を変え一気に勢力を戻したというところです。

カリノはそういった宗教などの信仰について、否定派ではありませんでした。しかしいつも「信じることだけを信じて生きる人々」に自分はなれないということを感じるのです。そういう点で、彼らとは考えを異にする立場をとっていました。

そんな彼女が教会を定期的に訪れているのは、不登光症候群の治療を行うためでした。カリノが行うのではありません。彼女はあくまでマネージャーで、彼女自身がこの世界で一番優秀だと確信しているコトダマ派の魔法使い・ヒイズを連れてくることが彼女の役割でした。

不登光症候群が流行り出して一年。

症候群の患者の数に比べて、コトダマ派の魔法使いが希少だったことで、治療費は高騰しました。そのため、この集落のように貧しいところでは治療が受けられないという、治療格差が広がってしまったのです。

カリノが、ヒイズの「本業」である仕立て屋の手数料についての契約を改めたのはそんな時でした。ヒイズから「治癒を受けられない人々に無料で術を提供するために、富裕層などから発注される仕立て屋の仕事の手数料の一部を、その治癒料としたい」と相談をされたときは驚き悩みましたが、治癒格差による悲しい事件が増加の一途をたどっていた最中のことです。カリノに拒否する選択肢はありませんでした。

そうしてこの新都心エリアの教会に、二人は月に一度のペースで訪れ、教会に集う病の人たちを順に診て回っていました。

最初は「ボランティア」で回診に来るコトダマ派の魔法使いなんているはずがないという先入観からか、ヒイズへの相談は多くありませんでした。しかし、月を重ねるごとにその希望者は多くなり、冬頃からは一日で対応しきれず、翌月までの予約がすべて埋まってしまうことも少なくありませんでした。いつしかヒイズの魔法は、教会の人々からこう表現されるようになります。

静かに深まる闇夜の中で、そっとろうそくを灯すようだ。と。

カリノはその表現を聞いた時、なるほど言い得て妙だと感心しました。不登光症候群は、コトダマ派の魔法使いにかかっても特効薬などはありません。彼らの魔法をきっかけに、自分自身をどう保つかの術を患者自身が学ばなければならないのです。そもそも「患者」という表現も正しくはないかもしれません。なぜなら彼らは、太陽が毎日疑いもなく昇る世界であれば、何の不具合もなく世界の一員として幸せに暮らすことが出来ていた人々だからです。むしろ、あの日以前は、彼らの方が忠実に世界のシステムを回す優等生だった可能性の方が高いとさえ思われます。

ただ、少しだけ保守的で、「変化」に対して消極的な考え方を持っていただけ、そういう性格の人というだけでした。

それが急に「不具合」となり病のように治癒という表現を使うようになったのです。カリノはあれから一年がたつ最近になって、「患者」を「患者たらしめた」のは実は(民衆という集合体としての)彼ら自身だったのではないかと思うことが増えました。

そういう性質のものですから、結局のところ、それぞれに共通するワクチンなどという薬や治療術はありませんでした。本当に、自分の人生に対してどうすればよいか見えなくなってしまった人の夜に、光を見せてあげるという表現はまさにそうでした。

夜が明けるものだという常識が信じられなくなってしまった今、夜が夜のままであっても、光を見ることが出来る、光を作り出すことが出来る、そういう「拠り所」が人間には必要になったのです。太陽が昇る朝を、ただ待っていたような人生の人にとっては、難易度が急に上がったゲームのようなものでしょう。

受付をし、ヒイズの書いたカルテを読みながら彼女はさらに考えます。

ヒイズの魔法は、ある人には信仰の果ての奇跡として映り、ある人には信仰だけではない選択肢を示すきっかけになるのです。前者はしばらくすると再発に患い、後者は教会に通う日数自体が減っていきます。ろうそくの灯を、ろうそくのまま大事に持って眺めている人と、その灯をランプや松明に移し替えて歩き出す人の違いだな。と想像して、前者の人たちに対して、ろうそくの灯をランプに移し替えられなかったとしても、なんとか、「光」の存在を消さないことはできないだろうかと思いました。

カリノからしてみると、再発・再来者はコストでした。このボランティアは実施回数に限度があり、患者が増えればいずれ赤字の取組になってしまいます。そして受け入れの教会側からしても、再発者が出ることは望ましくなく、すでに再発を繰り返すことに疲れてしまっている人もいることを考えると、なんとかしたいという気持ちもありました。

そんなことも重なり、そろそろ患者数を増やさない「未病」の施策を打てないものだろうか。と、この日の最後の対応が終わった時、カリノはヒイズに相談しました。

するとヒイズは「教会の人たちの心配はもっともだけど、逆にそれをコストって言いきれるカリノは強いと思うよ」と苦笑いをしながら、そうだなぁと宙を眺めて思案している風に椅子にもたれかかりました。

守りたい性分の人は、やっぱり守ることでしか安心できないんだと思うんだよね。ヒイズは暗に、正反対の性格のカリノのコストという考え方を拡大させないように釘をさしながら、「全員に変化を強要する世界は、それが時代のせいであっても、許してはいけないと思うんだ。」と独り言ちました。僕の魔法は、みんなに「変わろうかな」という思考変容をもたらすものではなくて、「変わることは必要だけど、変わらずにこれをしていた方が幸せ」と思う何かを一緒に探してあげられるものだと思うんだよね。考え事をしているときの彼は、時として思考が口をついて出ていることがあります。

そんな彼の漏れ出す思考を盗み聞ぎしながら、それは思考の変容とどう違うのだろう?と一瞬カリノはひっかかりつつも、程度と方向性の問題かなと自己整理をして、ヒイズの次の言葉を待ちました。

その時です。椅子を斜めに傾けながら、のけぞるような姿勢で考えていたヒイズの椅子が、その角度に耐えられなくなり、派手な音と共に床に倒れました。

「うわっ」と、もちろんヒイズも一緒にひっくり返ります。

大丈夫ですか?と周囲で片づけをしていた教会の職員たちも駆け寄る中で、ヒイズは目を見開いて仰向けになったまま、なかなか動きません。カリノもさすがに心配になり、教会の職員たちと共に彼のそばにしゃがみ込み、顔を覗き込みました。「頭うった?起きれないの?」

カリノのその言葉に、ヒイズはいやいやと首を振って、ふいに、指を立てて天井を指しました。くいくいっと振られるその指は「上を見て」と言っているようなしぐさで、カリノは思わず、その場で後ろ手につき天井を見上げました。つられたように、職員たちも上を見上げます。

「あそこに、太陽があるね。」

え?とヒイズ以外の全員が頭上に疑問符を出したような間が空きました。すでに今は夜です。陽はすっかりしずみ、見上げた視線の先にある教会のガラスドームの美しい丸天井も、その向こうは夜の闇がぼんやりとみえるだけです。

どういうこと?とヒイズの方に向き直ったカリノの視線を感じ、ヒイズは少しだけため息をついて、よく見て、真ん中だよ。と改めて天井を指さしました。

カリノも職員も再度見上げて、ドームの中央に目を凝らしました。すると、ふと視界をぼやかした瞬間に、そのガラスドームの接続部分の中央の金具が、そこから支柱のように細く伸びている金属を従えて、まるで太陽のオブジェのように見えてくるから不思議です。

「ほんとだ…。」カリノがそれを認識したと同じくして、職員のひとたちも口々にそういいました。おそらく制作者は太陽のオブジェを付けた意図はなかったのでしょうが、そういわれてみると、丸天井の中心は、もはや太陽でとしか見えなくなります。

「灯台みたいな感じでさ。」全員が太陽のオブジェを認めたことを確認し、ヒイズはよいしょっと体を起こして言いました。「あの天井の中心のところに、スポットライトを当て続けるって出来ますよね。あの辺のライトをこっちに向けるようにして。」一番近くにいた職員の方をつかみ、ぐっと向きを変えて、あのライトと、あのライトを…と強制的に視線を合わせて説明します。そんなヒイズに職員も困惑しながらも、誠実に、はい、出来ます、はい、はい、と受答えをしました。

「灯台守だよ」

自分の思いついたことがすべて実現可能だと確認し終えると、ヒイズはカリノの方に向き直ってそういいました。

守りたい人には守らせてあげたいんだ。だから、ここの教会にいる守りの強めの方々には、このスポットライトの灯りが途絶えないように、電気の保守点検と、整備、管理を教会で祈るついでにやってもらうっていうのはどうかな。そんな必要、いままではなかったんだけど、神に通じる祈りの教会には、小さな希望の光のような太陽があって、それを守る人々がいる。そんなふうになったら、なんかやりがいのある仕事になりそうじゃないかなあ。

一気にそういうと、うん、さっきのあの人とかやるっていいそう。紹介しようかな。と再び独り言を言いながらカルテに目を落としています。

一瞬あっけにとられたカリノは、そういうヒイズと、天井の小さな太陽とを見比べて、灯台守という仕事の名称を頭の中で吟味してみました。灯台守、それは、科学の発展と共に失われた職業の一つで、ずっと光を絶やさず守るという究極の守りの仕事です。そういう仕事から、科学や魔法にとってかわられてしまったことを考えると、守りの気質を持った人は、一年前の事件が起こる前から、実は少しずつ自分の価値発揮できる仕事が過去のものになっていく焦りを募らせていたのかもしれない…などとも思いました。

灯台守を復活させるのね。

そうカリノが言ったことで、教会の職員たちも、この二人がそれをやろうとしており、自分たちは準備をせよと言われているように感じ取った様子です。あたふたと、ライトの位置を移動しに行く者、天井を何度も見上げて、角度と距離を目測しようとする者と、散会しました。

教会の真ん中に急にポツンと取り残されたカリノとヒイズは、何となく二人で顔を見合わせて、ニッと笑いあいます。

こういう時代だからこそ、これまで無駄だと思われて捨て去られた仕事を、あえて復活させる仕組みが必要かもしれない。無駄にせずに、コストにならない、復活させることで稼げるような仕組みが。

カリノは新しい時代の二年目を迎えた月の終わりに、そんな、新しい自分の仕事を見つけたような気がしました。



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