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8月29日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4203年8月29日

二週間ぶりにカリノから呼び出されたヒイズは、眠たい目をこすりながら待ち合わせのステイションビル前に立っていました。ここ数ヶ月は週に二度ほどのスパンでカリノの仕事が入ることが多かったため、こんなに間が空くのは久しぶりです。間が空いたというよりは、ヒイズが他の仕事で忙しく彼女からの依頼に対応できない期間が二週間続いたという方が正しいでしょう。

先日、ヒイズが所属するコトダマ派の魔法使いギルドの中で、彼がニューヒーローとして選出されて依頼、彼はニューヒーローの職務に引っ張りだこで寝る間もないほどのスケジュールをこなしていました。

メディアの取材から、新しい仕事の対応、数多く寄せられるカリノ以外からのオファーも”ギルドのお偉いさんの紹介”などという印籠がついてくることが増え、無下に断れない。そんなこともいくつかあったのです。

そんなヒイズの状況に、ニューヒーローの受賞をあんなに喜んでくれていたカリノも、直近の連絡では「いい加減にして!お金にもならない政治的な依頼ばかり引き受けて、私を無視するってどういうこと?!」と、ヒステリックに連絡してくる始末です。

ギャラを2割増にして前払いするから予定をあけろ、というカリノから、強制的にお金が振り込まれたことで「流石にまずい」と思ったヒイズは、振り込まれた明細と送りつけられた発注書を見せながら、ギルドのお偉いさんに酌量願いを取り付けながら、なんとかスケジュールを後ろに伸ばしてもらうなどして、今日から3日間、カリノの依頼に対応する時間を確保したのでした。

そこまでするのにも骨が折れたのに、カリノから指定されたのは「初日は朝6時に集合です。」という鬼のようなものでした。「運転は私がするので、必要であれば車内で寝てください。」と書き添えられているのがせめてもの救いですが、二週間あけたことを、彼女が相当怒っているのは間違いなさそうです。

きっと一日に膨大な客先訪問を詰め込んでいたりするのでしょう。

今月はほとんど休みなく動いて限界が近づいている身体に鞭を打ちながら、今朝も遅刻しないように起床しここに来た。そういう顛末でした。


時間ちょうどに迎えに到着したカリノは、無言で車を出すと、行き先や訪問先の事前データなどを渡すでもなく、黙々と運転を続けています。怒っているのか、何なのか。

「何か、インプットしておくことがあれば」と、恐々とヒイズが問うたことについても、「特にありません。休んでおいてください。」とあっさり言われるだけです。どうやら取りつく島もなさそうだということで諦め、ヒイズは言われた通りに助手席の背もたれを倒すと、少し仮眠をさせてもらうことにしました。


「到着しました」

と、声をかけられて、目をあけたヒイズが見たのはすっかり木々が秋色になった山の風景と、小さなコテージでした。

「ここは…」

「豪雪岳です。標高1,300メートル。あ、ドアを開けるのは気をつけてください。半袖だと寒いですよ。」

「え?」

豪雪岳とは、カリノとヒイズが暮らしている都心から車で3時間、年間のうち8ヶ月を雪に閉ざされる標高の高い山岳地です。ちょうどこの時期は避暑地としてこうしたコテージが重宝され、観光地のような賑わいも見せています。そんな豪雪岳にまで呼びつける今回のクライアントは一体どういう、、、とヒイズが思案していると、カリノが隣で「はぁー」とため息をついて言いました。

「いい加減、気づいてください。今回のクライアントは私。ヒイズはここで、3日間、休養をしてください。」

「え?」

え?というヒイズの問いは黙殺され、カリノは車の後部座席に積んでいたパーカーを手際よく羽織ると、車を降りてトランクからいくつもの荷物を取り出しました。そして「運んでください。」と、外から呼びかけるとコテージの方に歩いて行ってしまいました。

寒いから気を付けろと言われたような気がしましたが、こういうところに連れて来られるとは聞いていなかったヒイズです。羽織るものなど手元にありません。しかし運べと言われているし…と、仕方なく車から降りると、気温が20度を下回っていそうな、ヒヤリとした空気が肌を指し、一気に眠気が吹き飛びました。

「あ、ヒイズの上着は、そっちのカバンに入っています!」

コテージの鍵を開けたらしいカリノが、再び荷物をピックアップするために車に戻りながら言いました。

一体、どういうことだ。と疑問に思いながら、ヒイズはとにかく指示に従い、荷物を全て運び終えると、カリノがコーヒーをいれてくれるというのをコテージの部屋の中で待っていました。

忙しいヒイズの代わりに、カリノは一部、ヒイズの出張旅のための服や持ち物をいくつか預かり管理していました。というよりも、旅のたびにカリノの事務所に送りつけて身軽に帰るようにしていたら、カリノの事務所から自宅に荷物を持ち帰るのが億劫になり、普段使わない物が事務所に置き去りにされていたというのが正しい表現です。

今回は、そうして蓄積したヒイズの荷物のうち、秋冬用の物がきちんとピックアップされて荷物に入っていたのです。


「こうでもしないと、ヒイズ、休みをとらなさそうだったから。」

コーヒーを飲み、一息ついたところで、カリノはそうヒイズに言いました。ごめんなさい、とも付け加えて、こう説明します。

ヒイズがニューヒーローに選ばれて依頼、カリノの仕事を受けるまもないほど忙しかったということは、つまり休日も一日も取れていないということ。そう気づいたカリノは、このままでは、自分の仕事を受けてもらえないのももちろんだが、ヒイズは自分の休養すらも忘れた生活を続けるのではないかと心配になったのでした。

しかし、仕事の依頼すら断ってくるヒイズに、カリノから休養しろと言ったところで聞き入れられるはずもないことはわかっていました。だから、絶対に受けなければいけない仕事を作り、休養に当てさせようと考え付き、実行に移したのが今日だったということです。

「なるほど…」

カリノの読みは全てその通りだったことに、何も言えず、ヒイズはそう反応するしかありませんでした。

「しかし、前払いで振り込まれたギャラと、ここの費用は…。」

そう聞くと、カリノはニッコリと微笑んで言いました。

「それは、ヒイズの”いいこと貯金箱”から出したから。もう貯金は今回で使い果たしたけど、気にしないで大丈夫。」

「え?貯金箱?」

ヒイズにはその貯金箱という物が、何か全く心当たりがありません。一体何のことかと思っていたら、カリノが自分の電子メモを開いて、家計簿のような一覧表を見せてくれました。

そこには、日付とヒイズの対応した顧客の名前、そして隣に「ありがとう」という項目で「1」とか「5」とかの記載があります。そこには、4202年6月20日・カリノ・10、とカリノの名前も書いてあります。

「これは?」

「これは、ヒイズが誰かのことを助けた時、その相手から言ってもらった”ありがとう”の数。その数は、1つ100Gの価値を付けていて、どんどん積み立てていたの。」

つまり、それらが積み重なり、この2年ほどで、一覧表の最後の行に書いてある100,000Gが貯まったということらしいのです。ヒイズは理屈はわかるが、これではカリノが自腹を切っているのと同じことで納得することはできないと思いましたが、カリノは頑なに「そうではない」と否定しました。「私の取り分を、私がどう使おうが勝手でしょう。」っというのがカリノの主張でした。

「私の事業は、ヒイズのおかげで追加の顧客も出来たしクオリティの高い仕事もできてリピート率も上がっているの。ヒイズがいなければ、そもそも今の売り上げもほとんどなかったかもしれない。そういうヒイズがもたらしてくれた利益で私の取り分も増えているの。だから結果的には私もこの積み立てをしていてもプラスなの。」

そこまで言われて、わかったような、わからないような。相変わらず、首を捻っているヒイズに、カリノは「それなら、こういう理由だったらどう?」と言って、ヒイズの正面に立つと、真っ直ぐに目を見つめてこういました。

「私が、ヒイズに会いたかった。最近会ってくれないから、会えなくて不登光症候群が再発しそうだった。だから、ここで一緒に過ごしてもらいたいという依頼をしたいの。3日間だけ、一緒にいてくれる?」


結局、カリノの主張を受け入れて、ヒイズはそのまま3日間を”休息”として過ごしました。言われた通りにする彼を見て、始終機嫌がよく満足そうなカリノを見ていると、ふとヒイズは、この3日間で彼女の人間関係に対する”特性”を知った気がしました。

カリノは価値ある何者かを見出し、応援し、その価値を肯定することが自分の役割だと思っているのかもしれない。

そして、その何者かが、カリノに応援された時に、ちゃんとモチベーションが上がるような存在になること。その価値をカリノが肯定することで、その何者かが喜んでくれるなど、意味があるような人物になること。それが彼女の目標なのかもしれないと気がついたのです。

なるほど、そう考えると、自分に出会う前の何かに迷い気味だった彼女と、自分に出会った後の「水を得た魚のような」彼女との変化は納得がいきます。

どこまでも、自分の軸を曲げない女なんだな、と面白く思う一方。

「会いたかった」と言ってくれる可愛らしいカリノも好きなんだけどな。と考えながら、まぁそういう関係よりもまずは、彼女にとって価値ある人物でい続ける努力をしようと、ヒイズは改めて心に誓ったのでした。

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