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8月1日のお話

見たことのない花ばかりを束ねた花束を作ってくれたのは、最近近所に出来たカフェ兼花屋のお兄さんでした。

そのお店には、これまでに4度、行ったことがあります。4度目に行った時に「カフェだけでなく、今日はお花もいかがですか」と声をかけられて買ったのがその花束でした。1度目は花屋を兼ねていることを知らずに、すでに花束を持った状態で入店してしまった時。この日は知らなかったとはいえ、少し気まずい気持ちになりながら、それでもこのお店のコーヒーの美味しさに感激し、2度目、3度目はコーヒーを飲みに行ったのです。

この間、期間としてはたったの一月ほどですが、私にとっては大きな変化のある一月でした。

実は1度目にこの店を訪れた時、私は2年間付き合った彼氏からプロポーズをしてもらった帰りで、その時にもらった花束を抱えての入店でした。その時の花束は、ピンクと白と赤と、華やかなブーケの様な大きなものです。こんな可愛らしい花束があるのかと思うほど、可憐な花を集めた花束で、私は漂う甘い香りとは裏腹に、30代の私には持ち歩くには少し憚られるな、と感じてしまうようなものでした。

プロポーズをされて、花束にそんな評価を下すあたり、自分の気持ちは決まっていたのですが、その場で断ることも申し訳ないように思った私はその日「嬉しい。でも、急で、驚いてしまって。」と控えめにいうと、曖昧な微笑みを浮かべてやり過ごしました。

付き合って2年、そろそろお付き合いも潮時かなと思っていた人からプロポーズをされるというのは、驚き以外の何者でもありません。しかし、雪枝の場合はこのパターンは以前もあり、自分自身の態度に問題があるのだろうとは理解していました。

結婚願望よりも、刺激を求める相手として付き合う異性を選んできた雪枝なので、付き合う相手と「今後の人生をともにする」というベクトルで検討することはありません。「この人、面白そう。」「一緒にいたら成長できそう」そんなきっかけで恋をするため、一定期間がすぎると「こんなものかな」と飽きてしまうのです。

必要なのは興味がある間だけの一時的な恋と思っているからこそ、彼女も彼女自身を出さずに相手の理想に合わせて”良い彼女”を演じることも少なくありません。だから雪枝はいつも相手が自分に夢中になればなるほど、あなたの目の前の私は本当の私ではないのにと冷めた気持ちになっていくのでした。そしてだいたいその潮時は、2年ほどで現れます。

人間は、短期間だけ親切になるのは容易である。とはよく言ったもので、”親切”にかかわらず、短期間だけ求められる人物像になるのは結構簡単なことだと雪枝は思っていました。

可愛らしくふわふわした女子が好きそうな彼には、そういう側面の自分を見せておき、仕事のできる女性が好みだという男性に好かれるために、一時的に仕事で輝く自分を演出することもできてきました。雪枝はいつも、そうして1年が過ぎる頃、少しだけ演じない自分を出してみます。すると大抵の男性は「そういう面もあるんだね」と、一瞬受け入れた様な態度をとるのですが、結局本音は「でも可愛らしい雪枝ちゃんが好きだよ」というところなのです。

だから、プロポーズの時に、雪枝が「持ち帰るのも恥ずかしい」と思ってしまうほどの可愛らしい花束を用意できてしまうのです。

その前にあったプロポーズでは、母親の形見の指輪というものをリメイクしたというエンゲージリングを突然渡されました。家庭的で家族想い、そういう女性として雪枝は付き合っていたので仕方がありませんが、その瞬間に彼女は思うのです。

「私が彼と会っていない時にどんな仕事をして、どんな将来を思い描いているか、家庭よりも社会に出ることを望んでいるという点は、みてみぬふりをしていたんだわ。」と。

そんな様子なので、なんとなく付き合う男性には困らない彼女ですが、いつも何か物足りない様な恋愛ばかりを埋葬していました。

本当は、プロポーズさせる前に別れておきたかったのに。そういう気配がしたから「そろそろ」と思っていたところだっただけに、雪枝のため息は深く重いものでした。

「そんな大きな花束をもらっておきながら、大きなため息なんて珍しいお客様ね。」

そう話しかけてきたのは、この店の店主らしき女性でした。

「あ、すみません。ここ、お花屋さんもやっているって知らなくて。他の店の花束とか…。」

入店する時に気づき、一瞬躊躇したものの、そのまま着席してしまったことを、雪枝は素直に謝りました。すると女主人は「そんなこといいのよ」と笑って首を振ると、オーダーは?と聞きました。

「ホットコーヒーを、お願いします。」

そういうと、カウンターの奥に向かって「ホットをお願い」と声をかけました。花屋と併設されていることもあり、スタッフは多いのかもしれません。カフェスペース自体は5席程度と少ないのですが。

「お花はどこのものでも、お花には変わりないわ。それがうちの店のものでも、そうでなくても。だから、大切にしてあげてね。」

女主人はそういうと、ニッコリと微笑みました。

この店の中には、売り物なのか飾り物なのか境界がないレベルで、植物があふれていました。切り花や鉢植えの花が至る所に置かれており、普通の花屋で見かける「花の冷蔵庫」的な設備もありません。

しかし見ていると、花を買いに来たお客さんに、そのあたりの花瓶にさしてある花からいくつかをピックアップして花束にしている様子が見られます。やはりこれば全て売り物なのかもしれません。お花の日持ちは、どうなのかな。とんなことを考えていると、雪枝のその思考を見透かした様に、女主人が言いました。

「珍しいかしら。でも、こうしておくと様々なお花を用意して置けるのよ。」

冷蔵庫という限られたスペースに花をおいてしまうと、そこにはどうしても”売れ筋”のオーソドックスなものが中心になってしまう。花のバリエーションを出そうとすると、スペースが足りないし、単に冷蔵庫にいれているだけでは”マイナー筋”の花は、ロスになってしまう可能性が高い。それが花卉流通業界のジレンマだといいます。

「それを解消するために、買い手がつかなくても飾りとして役目を終えられる様に、とカフェをすることにしたの。」

そう解説してくれたあとに、改めて店内を見渡すと、なるほど、見たこともない様な様々な色味の花が少しずつ、店内に装飾として散りばめられています。そして、同時にドライフラワーに加工された”飾り”も所狭しとかけられています。

「あの、ドライの飾りも売り物ですか?」

雪枝がそう質問すると、もちろんよ、得意げな返事が返ってきます。なるほど、と彼女自身が流通業界に従事するため、その効率の良いビジネス展開に素直に納得をします。こういうお店、好きかも。そう思うと、先ほどまで頭をもたげていた、プロポーズの断り方の悩みは一気にかきけされ、このようなモデルで横展開できる様な商品は、花卉以外にないかと考えをめぐらせはじめました。

その後に運ばれてきたコーヒーの味がよかったことは、前述のとおりです。そういうことがあり、雪枝はこの店に通う様になったのです。


さて、話を2015年8月1日、雪枝が4度目に店を訪れた時に戻しましょう。

すっかり常連のような雰囲気を出す様になった彼女が、今日もいつもと同じ席でコーヒーを飲みながら読書をしているときでした。女主人が、親しげな笑顔で近づいてきて、言いました。

「カフェだけでなく、今日はお花もいかがですか」

そろそろ、あの時の可愛らしい花たちもみんな枯れてしまったでしょう?と聞かれて、雪枝は、確かに今週のゴミの日で、最後の萎れた花を捨てて花瓶が空になったのを思い出しました。「さすがプロ。」と、自分も接客でこうならなければと思わせてくれる鮮やかな提案に気分をよくしたこともあり、雪枝は素直にお願いしますと返答をしました。

そう言ってくれると思っていたわ、と女主人は満足そうに肯くと「うちのスタッフが見繕うわね。予算はいくらくらい?」と聞いてきました。予算。自宅用だしそんなに高くなくても、と少し考えた雪枝は、なんとなく、2,000円でお願いします、と伝えておきました。

2,000円。巷の花屋で買うと、両掌いっぱいくらいにもてるようなボリュームの花束が出来上がるはずです。

そんなことを想像しながら出来上がりを待っていました。プロポーズの時にもらった大きな花束の花は、全てを生けるために花瓶やコップなどを4つほど使いました。確かに自宅はしばらく華やかでしたが、そんなにたくさん花を置くスペースもなければ、シンプルな清潔感のある部屋という印象の自分の部屋には、あまりなじまない花があるのも少し落ち着かない気持ちでした。

プロポーズの返事は、この店に2回目に訪れた日に「お断り」として済ましています。まさか断られるとは思っていなかったというリアクションを覚悟していましたが、意外と、(以前の指輪の時とはちがい)「なんとなくそんな気がしていた。」という反応に、すこし良心が痛んだのをこの店で癒して帰宅したのでした。

だから指輪の用意をしていなかったのかもしれないな、と、雪枝はその彼の反応を見た時に”プロポーズという名の、踏み絵みたいなものだったのか”と気づきました。お互いにもう30代です。相手もそのくらい考えるほど、大人だということでしょう。

今回のことで、雪枝は「さすがにもう、繰り返してはいけないな」と思っていました。一時の恋を楽しむなどということは、なんとなく20代なら可愛らしいけれど、大人になるにつれて、そぐわない行為の様に思えてきたのです。

これからしばらく、恋はないかもしれない。

そんなことを予感しながら空になったコーヒーカップを眺めていると、店の男性スタッフが「お待たせしました」と花束をもってやってきました。

差し出された花束は、見たことのない花ばかりを束ねた花束です。そして一本の背丈は長めに揃えられていますが、思ったよりも本数は少なくシンプルです。

「お客様のイメージで、見繕いました。」

私のイメージ?と、珍しい花がならぶその花束を受け取りながら首を傾げましたが、花を見ていて、その花が、今日の自分のスカートの色味と合わせられたものになっていることに気がつきました。

なるほど、こうして合わせていくのか。

そう気づいてみると、ひとつひとつの花はそれぞれ、少し人よりもファッショナブルなアイテムを持っている雪枝らしい、小技のきいた見た目になっていますし、何より、その中のいくつかの花は、一輪ごとに分けてドライフラワーにしても素敵な雰囲気になりそうです。

私が、捨てるだけの萎れた花をもったいないと思ったのを見透かしたよう。

この店にきてから、そのサービス力の高さに驚かされるばかりです。なるほど、と感心しきっていると、女主人がいつものにこにこした表情でやってきました。

「うちのような店だからできる、表現です。気に入ってくれたかしら。」


雪枝はそれからすぐに帰宅をすると、さっそく束ねられた花をどういけるかを考えました。見れば見るほど、見繕われた花のクオリティに驚きが隠せません。

うちのような店だからできる。それは花の種類を揃えたり、ドライフラワーを提案したりするだけではありませんでした。美味しいコーヒーを出して寛がせ、本当の私の表情や仕草を観察できたからこそ。デートの服装ではなく、近所の自宅からふらっときたときの服装を知っているからこそできたのでしょう。

「やられたわ。」

あの店の、カフェ&花屋というダブル業態の本当の意図に気づき、久しぶりに完敗した気持ちになりました。そして同時に、このくらい自分をノックアウトしてくれるような男性に巡り会わない限り、次の恋愛はやめておこう、とも密かに心に決めました。


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