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6月18日のお話

日付が変わり、深夜0時5分。まだ続きそうな執筆作業を覚悟して、カリノは気分転換にネットラジオをつけました。特にこだわりもなく、ON AIRと点滅していたアイコンをクリックし、手元のグラスにワインを注ぎます。飲みながら執筆するなんてと、読者からは言われるかもしれませんが、カリノは「ちょっとぐらい飲んでおいた方が良い」というスタンスを崩しません。今夜もグラス一杯だけ、選んでおいたナイアガラ種の甘口ワインを楽しむのでした。

さて、とパソコンに向かったとき、ラジオを流すスピーカーから、やけにテンションの高い声が聞こえました。深夜のラジオに似合わない、まるでアメリカの通販番組のようなトーンです。

『ラジオをお聞きの皆様、お待たせいたしました!6月18日。天界生放送「奇跡を狙え!」。神や聖人の起こす奇跡を追いかける大人気番組の始まりです!今宵は誰の頭上に、奇跡が舞い降りるのでしょうか。本日は一年の中でも人気トップクラス、パテーの戦いの奇跡です。お届けしますのは、キリスト文化圏担当のミカエルです。さて、オープニングの曲はこの曲…』

カリノは思わず、スピーカーを凝視して固まってしまいました。一体どういう趣向のラジオ番組なのだろう。何かの漫画の読みすぎか、お酒の飲みすぎか、と一瞬自分を疑いましたが、いずれも違うという自信が彼女にはありました。妙にロック調の讃美歌がフェイドアウトすると、再び「パーソナリティ・ミカエル」が饒舌なトークをはじめました。

『ではお迎えいたしましょう!本日のゲストは、パテーの戦いの奇跡を担当する、天界の乙女・ジャンヌ・ダルクさんです。こんばんは、ジャンヌさん。今日も美しいですね!』

たぶんミカエルの方が美しいのではなかろうか、とどうでもよいことをカリノは考えながら、執筆活動はそっちのけでパテーの戦い、ジャンヌ・ダルク、とネットで検索をかけました。フランスとイギリスの100年戦争の時代、負け続けていたフランス軍が一転勝利の機運をつかむ戦いで、当時17歳だった乙女ジャンヌ・ダルクがその重要な役まわりをになったという歴史上の出来事です。

カリノがその戦いや、ジャンヌ・ダルクのことを調べ続けている傍ら、陽気なミカエルとかわいらしい声のジャンヌのトークは軽快に進んでいきました。ミカエルから、今回奇跡を行う対象の、選考ポイントは?と尋ねられ、ジャンヌは少し考えるように「そうですねぇ」と一呼吸おいて、こういいました。

『…選考基準は「勇敢に進み続けたか」と「自分の人生の役割を信じる心」、最後に「戦う意思」ですね。まぁ、これは毎年変わりませんけどw』

さすが、信念強め乙女!とミカエルが茶化すと、ラジオのスタジオの雰囲気は随分和やかになっています。過酷な戦の中で、自ら先頭に立ちながら矢を浴びても周囲の男性兵士たちを鼓舞していたという乙女。信念が強いのはそうだろうが…とカリノは歴史を解説するWEBサイトをたどりながら、ふむ、と息をつきます。

フランスを勝利に導いたともてはやされるのはそれから数年で、それ以降は一転、異端者・魔女扱いをされて最後は処刑されるのが彼女の生涯です。名言として残っている言葉の中に「勇敢に進みなさい。そうすれば総てはうまくゆくでしょう。」というものがありますが、カリノには「総て」に果たして自分の幸せというものは含まれていたのだろうかと考え込んでしましました。

ジャンヌ・ダルクの名言集と銘打つページをいくつか覗いてみると、他にも「一度だけの人生。それが私たちの持つ人生すべてだ」とか「私以外にこの国を救える者はありません。」などと、力強い言葉が多い。信念が強く一途になるということは、その反動も大きいのか、もしくは一途に人生の役割を突き進む先に、自分の幸せなんて些事になるのか。

『何と言っても、ジャンヌさんの奇跡の見どころは、その成功が総て神の意志の実現のためにあるという形ですね。奇跡の末に億万長者になるとかいう短絡的な仏教文化圏の大黒天さんとかとは比べ物にならないくらい…おっと、こういう悪口は最近はよくないですね。とにかく、それが本当にありがたい奇跡なのか微妙なところに芸術的な哀愁が漂うんですよねぇ』

本当によくしゃべるパーソナリティだ…と聞き疲れをかんじつつも、ミカエルが発言した今の言葉は、非常に重要なもののような気がして、思わずソファーにもたれかかり、天井を仰ぎ見る。

何かの目的の達成のために人生のすべてをかけている人にとっては、自分がどうなっていようともその目的が成就することは奇跡の恩恵だと感じるのかもしれない。でも果たして「自分がどうなっていようとも」とまで、その成就とこれまでの努力を切り離せるものなのだろうか。そんな風に考えを巡らせているうちに、ふと、その状況が「愛した男性が、他の女性と幸せになるのを陰から見守る女」と重なって、その俗的な考え方にカリノはかぶりをふりました。そうじゃない。そうじゃないでしょう。

『それでは発表していただきましょう。2029年6月18日、今年のジャンヌさんの奇跡の対象は…!』

考えているうちに眠たくなってしまったのか、カリノの記憶はそこで途切れ、気が付いた時には早朝。ソファーの上で眠ってしまった寒さに目が覚めた時でした。

寝る前のあれはなんだったんだろう。もしかしたら夢だったのかと思いながら、仕事に行き、進行中のプロジェクトのリリース原稿を書いたり打合せをしたり…あっという間に一日が過ぎようとした頃。夕方の打合せで、カリノが進めていたプロジェクトが、政府の支援対象となることがきまったという知らせを受け取ったのでした。芸術家の地位向上を目指して進めていたプロジェクトが、公に認められるということは彼女の悲願です。

わあっと盛り上がり拍手が巻き起こる中、カリノはうれしさと高揚感でつつまれながら、ふと会議室の窓の外に目を移し、息をのみました。窓から見えた夕焼け空が妙に生々しくて、そこに、一瞬、戦いに身を投じた乙女の微笑みが見えたような気がしたのです。

え、これって。もしかして。

会議室のデジタル時計に記されている6月18日という日付を確認して、カリノはすっと冷静になるのを感じました。今の功績を称えられるのもつかの間、何か大きな力に引きずり降ろされる未来が待っているかもしれないと考えてしまったのです。彼女のように。

どうしたんですか、カリノさん。

後輩に顔を覗き込まれ、カリノは我に返って笑顔を作りました。

「あなたが何者であるかを放棄し、信念を持たずに生きることは、死ぬことよりも悲しい。若くして死ぬことよりも。」頭の中で、昨夜調べたジャンヌ・ダルクの名言集の言葉が浮かび上がります。未来を恐れたからと言って、自分が信じて取り組んできたプロジェクトを放棄すれば、私はたちまち未来の恐怖よりももっと悲しい存在になってしまうのだろう。カリノは笑顔の奥で、そう思いなおし、祝ってくれる仲間の方を向き直りました。

まぁ、もう若くもないんだけど。

そう心の中で呟いて、まだまだ若い後輩たちと祝賀会だ!と言いながら会議室を出ていきました。

6月18日この日は世界のどこかで、誰かが勝負の大きな戦局を変える活躍をする日です。あなたの周りにも、この日に流れを変えた乙女がいませんか?

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