6月1日のお話*
「おじいさんは、ある日、神様の使いの白い鳥が出てくる夢を見た。ハッと目が覚めてなんとなく外に出て散歩していたら、立派な松の木に夢に出てきたのと同じ白い鳥がいるのを発見。」
夕方。
帰宅ラッシュを避けてまだ陽の高いうちに地元の駅まで帰ってきた私は、筑土八幡神社の境内を通り過ぎようとしていました。普段は時間も遅いので人に会うことのない場所でしたが、今日はまだ子供たちが遊んでいる時間だからでしょう、一人の青年と、懐いた様子でその青年の周りを囲む小学生数人がいます。
「白い鳥ってなんの鳥?」
子供がそう質問しましたが、青年は答えずに続けます。
「おじいさんが、それを村人たちに報告し、松の木が神様みたいなものになって、ここが神社になった。それが1200年前のこと。」
どうやら青年は、この神社の歴史を説明しているようでした。説明になっているか怪しいくらいざっくりしていましたが、この神社が大変古い歴史を持っていることはなんとなく知っています。いろいろ省略されているようですが、嘘をついているわけではなさそうです。
「それで、その鳥はなんていうの?」
「神様の松の木ってどこにあるの?」
「先生、その鳥はどこに行ったの?」
話がそれで終わりのようだと感じると、子供たちは火がついたように口々に質問を飛ばします。先生、と呼ばれていることから、きっと小学校の先生が放課後に生徒と遊んでいる、ということでしょうか。ふと興味が湧いて、境内を通り過ぎる私は歩調を緩めます。用事もないのに檀家一覧を見るようなそぶりで聞き耳を立てていると、その先生は、子供たちにこう言いました。
「その答えは、石段の下の看板に書いてある!読めない漢字があったらスマホで写メって家で調べろ。以上解散!」
え?そんなのでいいの?
と、思わず振り返ってしまったところで、うかつにも私はその青年と目を合わせてしまいました。
子供たちはというと、そのやりとりに慣れているのか「下だってー」とか「あの看板漢字難しい」とか言いながら石段を駆け下りてい流ようですでに境内には姿がありません。
夕日がちょうど傾き出して、オレンジ色の色味を増した光が、青年の後ろから私に向かって降り注ぎます。眩しい光に一瞬目が眩み、逆光で彼の表情が全く見えなくなりました。
数秒の、妙な沈黙を振り切り、私がふっと顔を背け歩き出そうとした時、彼は口を開きました。
「あ!あの!…こんにちは。」
呼び止められたのか、挨拶をされただけなのか、瞬時に判断がつかなかったので、私は体は思いの外ビクッとなっていたと思います。
「あ、あの、鳥は、白鳩なんですよ。松の木が神様になったわけではありませんが。神の印として御神木のようになったということです。」
「え?」
「え?」
私のリアクションに、ようやくその青年もこの状況の不思議さを理解したようで「あれ?」と首を傾げました。
「あの、タムラさん、多村透子さんですよね。」
青年が迷うことなく私の名前を言い当てて初めて、私はその声に聞き覚えがあるような気がしてきました。
「えっと…。」
私がまごついていると、彼は「あぁ!」と声を上げて、口もとのマスクを下げてこう言いました。
「進藤です。歯科医の。」
歯科医というキーワードと、マスクをとった顔(逆光の西日が弱まりようやく見えるようになりました)で、私はようやく目の前の青年が先日から受付システムの導入を提案している先の歯科医院の医者だということに気がつきました。確かに、医院が自宅の近所ですねと世間話をした記憶があります。
「あ、進藤先生!すみません。マスクだと、わからなくて。」
もう3回ほど導入の打ち合わせをしている相手に、これは失礼なことです。私は慌てて頭を下げました。
「いえいえ、むしろ多村さんはいつもオンラインでもマスクでしたから、そのままで気付けます。確かに僕はいつもはマスクしていないので。」
「あ、えぇ。えっと。」
「あ、今日は休診日で、学童の手伝いをしています。趣味で。実は僕は、医者の方ではなくて学校の方の先生になりたくて。」
進藤先生は、聞いてもいないのに、言い訳がましく今の状況を説明します。オンラインでの打ち合わせばかりだったため、こうして対面で会うのは初めてです。彼は画面の中よりも少し頼りなく、背も想像していたより低めの印象です。逆に、私はどう見えているのでしょう。
「まさか、ばったりお会いすることになるなんて。驚きました。」
状況を飲み込み、少し冷静になった私は、そう言いながら、鞄の中から名刺入れを取り出しました。この名刺入れも、ずいぶん登場していません。
「僕は、今日はすみません、名刺を持ち歩いていなくて。」と恐縮する進藤先生に、「近いようなので、今度、医院まで行きますので、その時に。」と答えて不思議に思いました。
いつの間にか、商談も打ち合わせも、オンラインが当然のようになって1年。近くならもっと早く訪問したってよかったはずなのに。そもそも「行く」という概念が抜け落ちていたのでしょう。
こうしてじかにすれ違って初めて、相手の存在と、相手の仕事をする場所を意識したような気がしました。
慣れとは怖いものだわ。と思いながら、「気づいてくださってありがとうっございます。」と改めてお辞儀をし、私はようやく帰路につきました。
帰宅してみると、仕事のメールアドレスに、進藤先生から丁寧に歯科医院のアクセス情報が送られてきていました。「訪問禁止という会社さんも多いようなので、遠慮していました。」という文字が、みょうに目について、そういうわけではなかったのにそう思わせた自分の仕事の仕方に、改めて反省しました。
この一年、感染症対策に気を使いすぎて、何か大切なものを見落としてきたのかもしれません。そろそろ改めて自分の新しくなった行動を見直してみる時期なのでしょう。思考停止状態で日々を送らないこと。そう自分に言い聞かせて、私はメールの返信の後、筑土八幡神社のことを調べようと検索を続けました。