
5月31日のお話
2025年5月31日
何年かぶりに訪れた沖縄の、西海岸の国道沿いにその白い一軒家のカフェはあった。こじんまりした四角く真っ白な壁に、沖縄らしいオレンジ色の瓦をかぶった屋根が夏を先取りしたような日差しに照らされている。
駐車場へ誘う手書きペンキの看板には、カフェから浜辺までは3分だと書かれていたが、海岸林のフクギという木々のトンネルを抜けなければならないようで、期待に外れ、オーシャンビューではない。しかし女一人、那覇から小一時間も車を走らせてきた私は、店内の空き具合が気に入ってここをランチの場所に決めた。カップルがいないこと、それが何より良い。
夏前だからと油断していたが、さすが沖縄。数年前の疫病不況もどこ吹く風とばかりに、どこもかしこも旅行を楽しむカップルで溢れている。
やっぱり、沖縄は仕事でなんかくるもんじゃない。車の中で何度もひとりごちた。
頼んだハンバーガーを待ちながら、店内をどこともなくぐるりと見渡す。四角い店内は、テラスに続く開け放たれた大きな窓からの自然光で十分明るい。
壁は外側と同じく真っ白で、所々に砂浜でよく見かけるガラスのかけらがはめ込んである。それが光を受けて反射して、店内の所々に波間のような模様を揺らめかせる。
「シーグラスですよ」
ガラスと反射した光とを目で追っていたら、いつのまにかテーブルの横に立っていた店員の女性が教えてくれた。手にはトレイに載せた大きなハンバーガーを持っている。私が注文したランチだ。
シーグラス。そんな名前があるんですね。知りませんでした、と答えると、店員は「私もです。」と続けた。「私もここに来るまでは、知りませんでした。浜のガラスのかけらがそう呼ばれているなんて。」
ハンバーガーは、この紙に包んで召し上がってくださいね、と続ける店員さんの滑らかな標準語に、どことなく地元の人ではない雰囲気を感じたが、ここに来るまでは、と言っていたし、きっと海が好きでとかそういう理由で沖縄に移住してきた類の人なのだろう。
歳は若くはない、が、そんなに老けてもいない。40近くだろうか、私とそんなに変わらないのかもしれない。
壁にランダムに並ぶシーグラスの中には、海岸では見かけないほど大きな、ハンバーガーの載っているトレイほどの大きさのものもある。
「大きいでしょ、珍しいものなんですよ。」
あんな大きさのガラス、どうやって割れずに洗われるのだろうか。そう思うのと同時に、店員さんが私の視線の先を捉えながら言った。語尾が先ほどより少し自慢げに聴こえる。
「大きいものがたくさんあったら、それで壁を埋め尽くすのが夢なんです。しかもカラフルなので。でもなかなかそういうものは、ね。なくて。まぁ、海底にガラスのお城の遺跡でも沈んでいる海岸とかじゃないと、漂着しないですよね。」
海底?
ガラスのお城?
遺跡?
店員さんの語る言葉の中に、聞き流せない単語が混ざっていたが、大きなハンバーガーを頬張っていた私は、視線を壁から彼女に移すのが精一杯で聞き返すタイミングを逃した。
「ゆっくりお召し上がりくださいね。」
そんな私の視線には気付かず、そう言い残し、彼女は奥のキッチンの方へ入っていってしまった。
何だか取り残されたような気がして、何となく、スマホを取り出して検索をしてみる。
シーグラス。
破片になったガラスが、長い長い時間をかけて海に漂い波に洗われることで、丸みを帯び、曇りガラスのよになったもののこと。海の宝石ともいわれる。
そう書いてあった。
長い長い時間。その言葉が、先ほどの店員の「遺跡」という言葉と妙に結びついて、頭から離れなくなる。遺跡といえば、古代の宝石として遺跡から出土する宝石、琥珀も、木の樹液が長い長い時間をかけて化石となったものだった。
大地も海も、長い時間をかけて、失われたカケラを抱いてキラキラした宝石に生まれ変わらせるんだな。そんなことをふと思う。
その時、カランと扉を開ける音がして、1組のカップルが店内に入ってきた。手を繋ぎ、楽しそうに笑い合っている声が聞こえる。その声に聞き覚えがあり、ふと顔の方に視線を向けた時、開いた扉の光が壁のシーグラスに反射して、カップルの顔に光が揺らめいた。
長い長い時間が悲しい経験を美しい思い出に変えることもある。
一瞬だけ、光の中のカップルの顔が、かつての私と、当時の恋人の笑顔に見えた。ような気がしたが、扉が閉まり光がおさまると、なんのことはない、全く知らない若い男女がそこにいた。
「いらっしゃいませ。」
キッチンから先ほどの店員が出てくる。
「みて、きれいな石!」
壁のシーグラスを指差し、若い女性がはしゃいだ声を出す。
「大きいでしょ、珍しいものなんですよ。」
店員が先ほどと同じ言葉を繰り返す。しかしその先の説明はせず、メニューを渡して引き下がった。あれがガラスで、長い長い時間をかけて海に磨かれたものだということを、きっとあの若い女性は気付かないだろう。
そしてあの店員も、幸せの最中にいるあのカップルに、シーグラスのことは言うつもりはないのかもしれない。その予感を裏付けるように、食事を終えて会計をしている時、先ほどの店員が私なだけわかるようにこりと微笑んだ。
まるでそれは、「あの若い子には、まだわからないわよね」と言っているようで。
仕事先の名護まであと一息。
再び車を走らせ、窓を開けて潮風にあたる。先ほどのあのお店、明日の帰りにも寄ってみようかなどと考えている私がいる。歳を取らなきゃわからないこともある。長い長い時間の先にしか、見えないキラキラした未来もきっとある。
今日の仕事は、なんだかうまくいくような気がする。がんばろう。
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着想 ピータードイグ展
ピータードイグ《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》2000-02年 シカゴ美術館蔵
©Peter Doig. The Art Institute of Chicago, Gift of Nancy Lauter McDougal and Alfred L. McDougal, 2003. 433.
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