7月29日のお話
その街には、五つの丘がありました。
街の周囲をぐるりと取り囲むようにそびえ立つ丘は、それぞれ、草笛の丘、太陽の丘、かねのなる丘、見晴らしの丘、万葉の丘と呼ばれています。
それらの丘は、大人の足だと、普通に歩いて1時間ちょっとで回れる程度の距離(それぞれ丘に登らないでまわる前提)ですが、小学生だったカリノにとっては小学校区が別になる、草笛の丘、太陽の丘、かねのなる丘は異世界でした。そのため、遊ぶのはもっぱら、学校に隣接していた見晴らしの丘か、自宅から徒歩10分ほどでいける万葉の丘です。それでも、五つの丘の中で一番高く、深い森を持つ万葉の丘は、低学年のうちは「危ないから入ってはいけない」と大人たちにきつく言われていた場所だったので、隣の校区へ遠征せずとも、探検や冒険のフィールドには困りませんでした。
見晴らしの丘は、学校に隣接していたこともあり、例えば「自習」となった時間や「理科」「図工」「体育」などの授業の時は、そこはカリノたちの拡張された”教室”でもありました。土のこと、草木のこと、画板の使い方や森や草花の観察の仕方、草の色や土の匂い、山の登り方、降り方(つまり筋肉の使い方)などは、すべてその拡張教室で学びました。
そのため、カリノや彼女の同級生たちは、彼女たちの親よりもこの山のことを隅々まで熟知し、何か悪巧みをしたり親から隠れたい時はこの見晴らしの丘に逃げ込むのです。逃げ込んでしまえば、彼らは滅多に捕まることはありませんでした。
大人になってから気づくことは、捕まらなかったのではなく、捕まえなかったということなのだということです。その名の通り、頂上に登ると街全体が見渡せるほど、丘にある草木の背丈は低く、迷子になることも滅多にありませんでした。だから大人からすれば、「見晴らしの丘にいるなら、お腹がすいたら降りてくるでしょ」程度の丘だったことが、より、そこを子供たちの聖域と化したのでした。
一方、万葉の丘は頂上までも大人の足でずいぶんとかかる高さがあり、木々は大きく所々に視界の悪い深い森が存在します。そして丘の向こう側は別の村に続く田んぼ道となっており、その先には大きな滝のある山や流れの急な川があります。一度隣村へ行ってしまうと、街の大人たちでは容易に探せるものではありません。だからこの万葉の丘には、一人で登ることは許されず、必ず複数名で集まらなければ足を踏み入れることのできない場所でした。
小学生の頃のカリノにとってはこの二つの対照的な丘の存在が、世界の全てでした。天気の良い日はどちらかの丘に友達と入り、基地を作ったり絵を書いたり、草花を摘んだり。雨の日は次の晴れの日の計画を立てるために友達の家にあつまり、大きな紙と色とりどりのえんぴつを存分に使って地図を書いたり、いつか丘の中に作りたいと夢想していた「おうち」の設計図をかいたり。冒険に欠かせない薬草の知識を蓄え、草木を編んで様々なものをつくっていました。
「仲間の印」といってアクリル板でキーホルダーを作ったり、冒険のおやつといってグミを作ったりパンを焼いたり。
カリノのそんな遊びの側には、いつも親友のランがいました。彼女は母親から受け継いだことがわかるセンスの良さと、手先の器用さで、いつもカリノに新しい発想を与えてくれる存在です。「ランがいたから世界が広がった。彼女がいなければ、私は見たものを見たままにしか解釈できないつまらない人間になっていたとおもうわ。」と、カリノは彼女のことを誰かに紹介するたびにそう言っていました。
ランが空想への切符をカリノにくれたおかげで、カリノは現実の世界から自由に空想の世界へ行き来し、様々な角度で世界を見て、世界を様々に作り替える能力を身に付けることができたのです。
カリノは大人になったあるとき、こんなことを言ってクライアントを驚かせたことがありました。それはクライアントから「どうしてこんなことを思いつくの?」と問われたときの回答でした。
「こうだったら素敵だなってこと、こんな世界だったら素敵だな、というをいつも妄想している、ただそれだけですよ。」
へぇえ、と驚くクライアントに、カリノがそんなに驚くことかしら…と首をかしげたのは、子供の頃からそうしていたからで、それが特別なことでも何もないと思って生活していたからです。
こういう風に、カリノを育んでくれたこの街を、カリノは18歳のときに出ていきました。彼女にそう決心させたのは、親友のランが、一足先に15歳の若さで世界へ羽ばたいて行ったからです。彼女がいないこの街にいるよりも、いつか彼女とまた楽しい空想から物を作りたいと思ったカリノが選んだ道は、芸大へ進むことでした。
そうして、その街で過ごした時間の倍の時間を、街の外で過ごした頃、ようやくカリノは、ランと一緒にプロジェクトを行う機会を手に入れました。
建築士として活躍するランは、30年前よりも現実と向き合う力をぐっと伸ばしていました。一方、空想の世界を見渡す力は、カリノの方が伸びているようです。二人はいつの間にか子供の頃と得意分野が逆転し、カリノの突拍子もない空想を、ランが現実に落とし込めるものに、持ち前の発想力で整える。二人はそんな役割分担で再びコンビを組むことになりました。
ふたりが打ち合わせをすると、脳裏にあの街の、あの丘が浮かんできます。あの時描いた地図よりも詳細なロードマップを引き、あの時描いた「お家の設計図」よりも緻密な配置図をかき、実現に欠かせないPR戦略を練り上げました。そうして、ふと、手元に出来上がったプロジェクトと、30年という歳を経て、すっかりあの頃の母親の年齢を超えた自分たちの顔を見合わせます。
「気持ちはあの頃に戻っても、目の前にあるものと、お互いの顔は『大人になったね』」
最後の言葉が二人同時に出てきて、二人は子供のように笑い声をあげました。
ひとしきりわらったとき、そういえば、とカリノがスマホを取り出して一枚の写真をランに見せました。
そこにあるのは、何の変哲もないただの道です。けれど二人にとっては特別な道でもありました。この道は校区の境目の道、写っている橋はあの頃のふたりにとって、国境を超える橋のような存在です。
そういうことを、ランがひと目見ただけで言い当てたとき、カリノはそうそれ、と嬉しそうに言いました。
この道を国境だと空想し、この橋を国境を越える特別な橋だと思いこみながら暮らしていたあの頃の私たちは、いくつもの世界を見る訓練をしていたのだと最近つくづくおもうのよ。
2020年7月28日 30年の時を超えた少女たちの壮大な遊びは、再びはじまりの一歩を刻みました。
着想 宮沢賢治 童話「ポラーノの広場」より
「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。」
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