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8月17日のお話

「何もない、植物も育たない大地も、人に恵みをもたらしてくれる。」

彼は、そういうと、ふーっと鼻で息を吐いてカリノの方を振り向いて言いました。

「つまり、使いようだってことだよ。」


カリノの新しい彼氏は、少し不思議な趣味を持っていました。生物学者として博士号までとったのに、生業は産業カウンセラーで趣味は風景写真を撮ること。

風景写真と言っても本人は「生物の記録だ」と言い張るだけあり、普通のカメラマンのような写真は撮りません。おそらく撮れないのでしょう。

今回も、「大涌谷を見に行こう」とデートに誘われたことに気を良くしていたら、硫黄や熱で白化した大地や樹々を撮影することに夢中になっています。

「何もないね」と言いながらすれ違った若いカップルに「それは君たちの目が節穴だからだ」とボソリと呟くのを聴いた時、カリノは、彼がこの年になるまで独り身だった理由がわかるような気がして安心しました。

仕事もあり、容姿も良い方で筋肉が適度についた体つきも理想。そんな優良物件が、なぜ今までフリーだったのかと訝しんだ時期もありましたが、こういう反応に出会うと「ここがクセの強さだな」と、若いだけの女子が耐えられないだろうポイントを見つけて、訳ありだけど自分には優良物件だと確認できるから嬉しくなるのです。

「何もないように見えて、熱があり、硫黄があり、それらが麓の温泉という恵みになる。だからあれらはすべて財宝と同じなのにな。」

そういう屁理屈は、カリノは嫌いではありませんでした。

たまに彼のいう植物観察の感想は、意外とカリノの仕事にヒントをもたらすことも多いのです。

先ほどの、何もない、植物も育たない大地も、人に恵みをもたらしてくれるという表現も、彼が切り取った写真の枯れた様子を見て、ふと、会社のお荷物おじさんたちを思い浮かべたのです。

自分たちはそうと気づかず、植物を枯らすほどの毒や熱を放っているのに温泉を出しているからと言い気になっているあの谷は、それ自体がおじさん社員のようでハッとします。

そんな人たちも、使いようによっては、こうして観光に来る人物を引き付けることも出来るのです。

使いよう、と言われた彼の表現には、そういう人々を生かすも殺すも、カリノの仕事ぶりにかかっているとあんな伝えたいような雰囲気が漂っていました。

硫黄も少量なら温泉に溶け出す薬になりますが、多量だと人体に悪影響をだします。さらに臭い。何事も、自然界にあるものは、適量なら薬に、多量だと毒になるのです。

2020年8月17日。

今日も少しだけ参考になる話が聞けて、それだけで満足。そう思えるから、彼とはもう少し仲良くしていたい。そうカリノは思ったのでした。


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