11月8日のお話
100年前、人の人生は一つだったと言う。
古典作品を読んでいると「一度きりの人生」などという表現が出てくる。一度きり、たった一つ、唯一の。これってロマンティックな言葉だよね。バーチャル技術が進歩した今、経験したいことはだいたい経験することができ、人間は、仮想現実の世界で様々なことができる。その気になれば、自分専用の仮想世界を持つことだって可能だ。
例えば、友人のカラスモリ・タロウは、仮想現実の中で、クラスメイトのサクラダ・メイと付き合っている。一方サクラダ・メイは自分の仮想現実の中でアイドルグループZETのイケメンセンターのTAKと禁じられた恋を楽しんでいる。そして現実世界で許嫁になっているのが、僕、ヤナギ・ユウジとサクラダ・メイだ。
許嫁制度が始まったのは今から5年前。
人口を維持するために、データベースの中から相性の良い男女が選ばれる。”生身”の人間同士の生殖は、そうしないとなかなか維持できない状況になっているらしい。現実の世界で生身の人間同士が結婚をし、子孫を儲けると養育費が国から支給される。結構な額なので、それがもはや「仕事」とみなされる。もちろん、拒否権もあるし選定されたパートナー以外を見つけて、その人と結婚をすることも許可されている。選択権は僕らにあるということだ。
”仕事”として、選定されたパートナーと子育てを行う人もいれば、それを拒否して他の人と子育てを行う人もいる。世の中では後者の方が幸せだと言われていたが、ここ1・2年は「やっぱり選定された人同士の方がうまくいくんじゃないか?」という声も少なくない。子育てという仕事は報酬が良い分過酷だから、パートナーと相性が悪くなるともう手に負えないらしい。一時の恋愛感情などで相手を選んでしまうと、とんでもないことになる、と、選定相手と一緒に僕を育てている両親はいつも僕にそう言っている。
カラスモリの家も同じだ。だからカラスモリはよく僕にいう。「お前が羨ましいよ。」彼の許嫁はまだ会ったことがないらしい。遠くにいる。バーチャルの社交場で交流はしていて、結婚のタイミングで一緒に住むことになると言っていた。「好みの顔じゃないんだ。でも、頭がいいし、母親役には不足はないと思っている。でも、お前が羨ましいよ。」
僕はというと恋愛感情というものにあまりピンときていない。
そりゃあ、綺麗な女の人は好きだし、可愛い子を見ると体が熱くなったりもする。でも仲良くなって、とか、デートしてとかそういうことに興味が持てていない。だから関心がない。
それよりも、過去の人間の生活様式や文化を探る方が楽しい。休日は一日中、いろいろな時代のアーカイブを見ては、不自由な世界にたくましく生きていた祖先の暮らしに思いを馳せている。僕の仮想現実の世界は、100年前だ。色々と条件に縛られている世界で、どう工夫して生きるのが最適か。難易度の高いゲームをしている様でとても刺激的だ。
サクラダ・メイも、アイドルグループですでにパートナーを持っているTAKを好いているので、現実では僕くらいで構わない、と言っている。「子供は欲しいし、子育てはしたいから、あなたで良いと思っているわ。」と面と向かって言われたときは、複雑な気持ちだったが、それはお互い様だろう。
僕らの両親の様に子育ての”仕事”を持たない人たちもいて、そういう人たちは別の仕事にそれぞれついている。子育てほど割りの良い仕事は少ないが、そこは選択の自由と選択の責任だ。
今年、学校を卒業すると、僕らはその選択ができる様になる。許嫁と相談をして、お互いにタイミングを合わせることができるなら、まずは子育て以外の仕事を選ぶことも可能だ。だいたいは、すぐに子育てに入る人が多いが、僕は少し後でも良いかなと思っている。サクラダ・メイの意思はまだ確認していない。
実は僕は、先日、国連が設置した”各国の歴史物”をアーカイブする役割を持つ世界歴史編纂室にエントリーシートを提出した。歴史編纂室とは、電子情報化が難しい歴史的物品を、人間が住むのに適さない砂漠エリアに湿度温度管理の完璧な建物のなかで保管、管理する場所だ。歴史的物品が人類の財産だと認識を持った世界の有識者たちにより、国連運営費の中でそれらの管理を世界共通で行うという意思決定がされた機関だ。
過去を愛する僕に、うってつけの職業がそこにある。僕はそう考えていた。
僕が毎日ダイブする仮想現実の風景も、その歴史編纂室に元情報が保管されているから質感や匂い、手触り感なども忠実に再現できている。そういうものを、後世に残すことは、素晴らしい仕事だと思う。
今日はそのエントリーシートの結果のフィードバックがある日だ。不合格だと通知のみ。合格だと合格理由のフィードバックを受けるとともに面接がある。僕は予定されている時間の30ふん前から、こうしてモニターの前にちゃんと知った服装をして待機しているのだ。
緊張しているのか、受かったときのことを考えるとサクラダ・メイへの説明などが億劫だからなのか、色々と考えていたらあっという間に時間になった。
モニターに通知が届き、フィードバック画面が立ち上がる。そこに記載された文字は「PASSED」!合格だ。嬉しさに息を呑んだ瞬間、画面が切り替わり、向こう側に女性の顔が微笑んでいた。
「合格おめでとうございます。ミスター・ユウジ。」
自分の母親より若いが、姉よりは年上、くらいの人物は茶髪に染めた髪を後ろに一つに束ねあげている。生え際の黒い髪が、染めたのが数ヶ月前だったことを表している。美しい顔立ちの人だが、公共施設の職員らしく華美なおしゃれをするタイプではなさそうだ。
「私は世界歴史編纂室室長のカリノです。これから、合格理由のフィードバックと、面接試験を行います。準備はよろしいですか。」
はい。と僕が答えると、歴史編纂室室長は、僕の書類審査がどういう理由で通過になったのかを手短かに説明した。それによると、僕の歴史に対する興味関心の強さが一番。二番目は冷静に物事を判断する癖。これは同時に実施した性格診断みたいなものの結果に基づいているらしい。三つ目が無欲。室長は「ロマンティスト」と言い換えた。
「この仕事には意外とこの三つ目が重要な要素なのよ。」
次に、面接試験ということで、いくつかの質問に答えさせられた。
・歴史的に人間が間違いを犯した時代があったとすると、どこだと思うか
・自分が時間を遡れるとすると、どの時代に興味があるか
・世界の宗教について賛否とその理由を述べよ
・今の世の中をどう思うか
どれも何が正解か分からない様な質問で、僕は取り繕う余裕もなく、ほとんど全てを本音で(というか思いつくままに)回答した。
「ありがとう。では最後に、あなたは合格した場合、子育ての仕事を一時的に保留もしくは拒否することになります。婚約者含め、その決断はできますか?」
この質問は、子育て以外の職業試験を受けるときに、最後に必ず問われるものだ。
婚約者を含め、という言葉に、一瞬罪悪感を感じたが、僕はそこで即答した。
「はい、あります。」
僕の言葉に、画面の向こうの室長が「OK」と一段と柔らかい笑顔を作った。
「合否は1週間後に通知します。今日は、お疲れ様でした。」
試験は終わった、ということだ。画面を切ろうとしたとき、室長が「あ、ちょっと。」と声をかけてきた。
「あなた、今、即答したけど。ミスター・ユウジ。」
表情は笑顔だが、声色は笑っていない。明らかに、僕がサクラダ・メイに確認をとっていないことを見抜かれている様だ。
「一つ忠告をしておくわ。もしあなたが、いつか、パートナーと子供をもうけたいと思うなら、パートナーにこういう質問をされた時、必ず少し思案する時間をおくことよ。そして、悩んでいるフリを忘れないで。回答を伝えるときは、少し苦しそうな演技を加えるのも大切ね。
とにかく。あなたの演技が、下手ではないことを祈っているわ。」
そこで、通信が終了した。
1週間後、僕のもとに、歴史編纂室から採用通知が届いた。そして僕は、そこから1週間かけて、サクラダ・メイに状況を打ち明けるときのセリフを考え、練習した。歴史編纂室のトップが言ったことを採用通知が届くまでの間、ずっと考えていた。彼女が言ったことは、僕に「嘘のつきかた」と教えたということになる。嘘、虚実が普通という世界になって、お互いの欲求も希望もそれぞれで満たせる世の中で、唯一他者と拘らなければならないのが子育ての仕事だ。その仕事に従事するためにも、嘘は必要だということなのだろうか。そんなことを助言されるとは思わなかった。しかし、それが歴史編纂室のトップの発言ともなると重みがある。
歴史という動かせない事実を収集し向き合うトップが、嘘の使い方を一番よく知っている?
僕が歴史編纂室へ就職する動機に、歴史への興味と、室長への興味、というものが加わった。そのためにも、ファーストミッションである、サクラダ・メイへの説明はなんとか成功させなければならない。
2150年11月8日。試験よりも緊張している自分を不思議に思いながら、僕は今、彼女と待ち合わせをしたカフェに向かっている。
FIN.
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