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6月22日のお話

姉は、少し不思議な様子を身に纏った人でした。幼いころに目に傷を負い、視力が急激に低下した頃からだったと、のちに両親が話しているのを記憶しています。

私や家族には見えないものを、姉の瞳は確実に捉えていました。心霊現象とか、オカルトとか、そういうものではありません。ありませんが、区別をするのは難しそうです。

例えば、近所の空き地に夕日が沈むのを見て、枝だけになった街路樹に重なった瞬間、姉の瞳には夕日は街路樹の枝に宿る宝石として映るのです。

例えば、源氏蛍が舞う田んぼはカエルの住う都市の夜景として表現し、逆に東京タワーから見下ろす夜景は「光と光の合間にある暗闇が怖い」と目を背けます。他にも、山に登る時などは私たちでは見つけにくい獣道をすぐに見つけ、小川を渡る時にどの石を踏めば良いかも、踏むべき石が浮き上がって見えるというのです。

高校生になる頃までは、そんな「普通とは違う」姉のことを誇らしく思っていました。姉はいつも、目に見えるものの全体を漠と捉えて抽象化します。そして、自分の中の画像データと照合し、情報を紐づけていたのです。そういう世界の見方が出来るということを、私は姉から教えてもらいました。「だって、カノンちゃんのように眼がよくないやもの。ぼんやりとしか見えへんの。そうするしかないんよ」と、困ったように笑いながら、見えへんのは見へんなりに良いこともあるんよと、いつも口癖のように言っていました。

ところが、私も次第に大人になるにつれて、「普通とは違う」姉を軽蔑するようになりました。軽蔑というより、自分の理解を超えた存在として排除したがる、いじめっ子の感覚だったのかもしれません。

一転私は、視力が良く、世界の細かいところを見てしまうタイプでした。森の中にかわいいキノコが生えていたらすぐに見つけることが出来ますし、東京タワーから夜景を見ると、明かりの中に人影を見つけては「人が生きてる」と感じてうれしい気分になったものです。日常の中でも細かい変化に気づくことが多く、社会人になってからは気配りと正確さで随分重宝されています。

大人になるということは、それでよいのだと思っていましたし、不自由を感じたこともありませんでした。

しばらく姉とは分かり合えない日々が続きましたが、私にヒイロという恋人が出来てから、その関係性が変わりました。彼は、私から惹かれて好きになったのですが、どことなく姉に似た雰囲気を持っている人だったのです。

私のどこが好きかと尋ねると、雰囲気とか、行動とか、大きな括りで返してきます。目が好き、とか、指が長いところとか、そういう見方はしていないのです。いつも人とは違うやり方を見つけて仕事に取り組み、ひとり、違う物差しで世界を測るところとか。私は「普通とは違う」彼にどんどん惹かれていきました。

そんな彼に、どうしてそういう見方が出来るようになったの?と聞いたことがありました。すると彼はこういうのです。「どうしてって、カノンのように細かく気が付いたりできないからさ。不器用だし鈍感だから。こう生きるしかないんだよ。」

こういう自分はきらいじゃないけどさ。と話すヒイロの、困ったような笑い方が、幼いころの記憶にある姉と重なり、私はハッとしました。私は今でも、姉のような生き方に憧れていたんのかもしれない。今までどうしても受け入れられなかったことが、愛する人の姿で目の前に現れると、こうも簡単に受け入れてしまうものなのかと、驚くほど、私はすっと姉へのわだかまりを捨て去りました。久しぶりに姉に連絡をしよう。そう思い、私は実に10年ぶりくらいに会う約束をしたのです。

ところが、そこにやってきた姉は記憶にある彼女とは少し違う雰囲気を纏っています。

姉さん?

私の戸惑いを察したように、姉は困ったように笑い(その笑顔は私の知っている姉の笑顔でした)そして、言いました。

レーシックをしたんよ。眼を見えるようにするやつ。

眼鏡を嫌がって、コンタクトレンズをいれていた姉だが、今は裸眼なのだといいます。でも、と姉は少し辛そうにうつむいて続けました。

良く見えるようになるとね、見えへんかった頃に見えてたものが見えんくなるんよね。

そして、再び私の知っている、あの、困ったような笑い顔で言いました。

良く見えることが良いこともあるけれど、私は、見えへん中で世界を見ている方が、素敵やったとたまに思うんよ。

カノンはその、今の彼氏さんを大切にしぃね。


2021年6月22日 私はその日の姉の笑顔を今でも忘れられません。

姉は美術館の学芸員として、様々な絵画を扱う仕事についていました。姉の手がける展覧会は、不思議と、絵の細部は見せず、全体を遠くから捉えるような工夫がされることで有名でした。その日も、待ち合わせは姉の職場である美術館のカフェでした。

そこで少し世間話をしたあとに案内してもらった、現代画家の個展にあった絵も、様々な色彩がちりばめられて、ぼんやりとして現実離れした、けれど何となくどこかでみたような作品です。

その絵画を見て私は、なんとなく、幼いころに姉が見ていた世界は、この絵のような世界だったのかもしれないと、ふと思いました。


着想 井上直久 イバラード「IBLARD GALLERY」より

井上直久の世界 http://www.artgallery.co.jp/iblard/gallery/

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