8月15日のお話
2145年8月15日
国連が設置した”各国の歴史物”をアーカイブする役割を持つ世界歴史編纂室が誕生して100年が経ちました。100年前、現在の情報化社会の黎明期、情報はWEB上に蓄積し電力がある限り保存は可能な世の中になりましたが、それらに紐づく”モノ”はそれまで、各国の博物館や美術館、ともすれば個人の自宅の倉庫に眠ったままでした。そこで問題が起こります。博物館や美術館はその国の財政状況に左右される運営体制のため多くの歴史的物品を保有する当時の先進国の衰退とともにそれらを管理維持することが難しくなりました。さらに、個人はというと、多くの人がそれまでのように土地に縛られていた居住生活から、土地を持たない居住の流動化が始まった時代です。人々は悪気なくそれまで倉庫や蔵にあったものを手放したがり、それらを保持するために収集する博物館などがさらに管理コストを増大させるという悪循環が生まれていたのです。
しかしながら、歴史的物品は人類の財産です。その共通認識を持てた世界の有識者たちは連携し、国連運営費の中でそれらの管理を世界共通で行うという判断を下したのでした。
保管には世界中の人間が住むのに適さない砂漠エリアに湿度温度管理の完璧な建物が建てられ、日々、運搬用ドローンが世界中から歴史的物品を運んできています。あくまでこの施設は保管用で、物品の受け入れとともに必要に応じた貸し出しも行っていました。
各国の歴史的物品が一覧になることで、世界中の博物館・展覧会の企画レベルは一気に向上し、文化圏ごとの比較展や宗教概念の俯瞰的な共通点を見出す学問が発達しました。
単に保管に困ったことから始まったプロジェクトでしたが、それが世界中の文化理解を相互に深めることに一役買った。そんな100年でした。
その歴史編纂室に、先月から赴任してきたのがカリノという30代の日本人です。前任の日本担当者は、日本の歴史研究をしていたイギリス人男性だったこともあり、着任早々、異国人の彼が「理解不能」だった物品の分類・仕分けに忙殺されていました。仕分けを終えたら、それらの物品についての周辺情報を整理し、世界の歴史にどのように影響をあたえているかを策定します。ここからが編纂作業で、編纂室の存在意義でもありますがそこに至るまでの雑務が長いことが、この担当者着任の人気を陰らせていました。
本当に意義のある仕事だとは理解しているんだけど。
と、日々の雑務に忙しいカリノは日本にいる友人とのオンラインランチ会でよく漏らしていました。
そんな彼女も、今日は作業の手を止めて200年前の”終戦記念日”の祭典が日本で行われる様子をモニター越しに見守っていました。この式典には、彼女が着任直後に大仕事として任された終戦前200年の物品が展示されるイベントのオープニング式典が含まれており、引き継ぎをしながら寝る間もないほど働いて”出庫”した日本の古い物品が飾られているのです。
「いい風に演出されているわね、あの子たち。」
カメラが主賓や会場を映す毎に、様々な角度から画面に映り込む物品を「あの子たち」と表現しながら、カリノはその展示方法に納得しながら見守っていました。
それにしても。と、カリノは手元のタブレットで、貸し出し依頼の時に送られてきた過去200年から400年分の「できごと」のデータをスクロールしながら思いました。
この頃、記録媒体が一般市民にまで行き渡っていたわけではないため、出来事として記載されている情報は、ほとんどが政治と事件、戦況の記載です。
直近100年のような、こういう科学技術が発達したとか、新しいツールが劇的に生活を変えたとか、そういう出来事は極端に少ないその期間を眺め、カリノは「本当に人間は争いが好きだったのだな」と改めて思いました。
好き嫌いではなかったかもしれません。生きることが戦に直結していた時代だったということもあるでしょう。より繁栄するためには、争う以外に方法が見出せなかったのかもしれません。あくまで政治主導者が、ですが。
このイベントを日本で見にいった人々は、どう思うのでしょうか。カリノのように、そこに残っている物品の多くが、戦争を示すものだということに違和感を持つでしょうか。
カリノは画面の中で「ある街の豪族の家から出てきた写真箱の中身」と紹介されているものを見ました。あれは、その家の治める地域に軍の人々が視察に来たときのものです。誇らしげに地域を案内し、街の産業全体で彼らを支えるという約束でもした後なのでしょう。家主が妙に高揚した表情で写っています。
こういうことが、当時は大変な記念で、誇らしいことで、その家の宝になるような出来事だったのでしょう。
この家からあずかった物品の中にあったこの時期のものは、全て戦にまつわる写真や手紙でした。
何を人生の誇りとするかの価値観も、それから大きく変わったものです。いや、果たして変わっているのでしょうか。もしかしたら、環境が戦時中かどうかの違いだけで、何かを誇り、認められることを欲する人間心理は、それから200年以上が過ぎても変わっていないのかもしれません。
そんなことを考えながら、カリノはモニターの音量を絞り映像だけにすると、手元の別のリストを参照すると、昨日新しく到着した100年前の伝染病が流行った時期の娯楽品が詰め込まれた箱を開け、ようやく仕事に取り掛かりました。
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