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8月24日のお話

集会場を移した方が良いのではないか。そんな議案が猫たちの間で持ち上がったのは、夏の暑さが際立つようになった8月に入ってからのことでした。

起案者はワイ。街を越えて移動する能力を持つ、越境猫の長老です。

猫たちの日常の行動範囲は、およそ100メートル程度です。その中で移動はしますが、その”範囲”を越えて冒険する個体はそんなに多くありません。基本的に眠ることの好きな彼らですが、集会に行く時は(縄張りの場所によっては)頑張って遠出をすることもありました。しかし集会場も人間の言うところの”丁目”毎に設定されており、それが変わることはあまりありませんでした。

しかし、今回議案になったのは、もっと様々な場所を行動範囲とする、越境猫たちが集う広域集会の場所です。

南は立川公園から北は砂川地区までの猫を束ねる、立川猫集会は、月に一度、全域の情報を集約することと、近隣エリア(遠い時は中野エリア、新宿村エリアの猫が遠征してくることもある)の情報取得のために開かれていました。

近隣エリアの猫が集いやすいようにと、現在は集会場所を駅前にしていたのですが、今月に入って、ある問題が起こりました。


「砂川の猫が襲われたらしい。」

集会場がある、南口の駐車場横にある”すずらん公園”で、猫たちの集合を待っていたワイの元に、血相を変えた若猫が走り込んできました。若猫の話によると、集会に向かっていた砂川の越境猫たちが、ここにくる途中の南口の繁華街で人間たちに絡まれて怪我を負っていると言うのです。

すずらん公園にすでに到着していた猫たちは、一斉にざわめきました。

「確かに、僕らも駅から南口を回ってきましたが、この時間でもまだ人間がたくさんいましたね。」

そう言うのは、最終電車に忍び込んで遠征してきた新宿村の猫でした。

「まさに今日僕らからお伝えしたかったのは、そのことなのです。多分原因はこちらの変化で。」

今日は年に数回しか来ない新宿村の猫が来るということで、少なからず緊張感を持って集まった猫たちは、一気に騒然としました。

「とにかく、砂川の子たちを助けに行かないと。」

そう言ったのは、ワイのアシスタントとして立ち回っている猫のエルです。エルは、周囲にいた猫たちの間から”南口を歩き慣れている若猫”をピックアップすると、風のように公園を抜けてまだネオンの明るい街へ駆け出して行きました。


結局、怪我は大きくはなかったものの、元来大人しい性格の砂川の猫たちは随分と怯えてしまい、しばらくはこちら側(砂川の彼らは”南側”と呼んでいました)には来たくないと言い張って帰って行きました。

それでは、北側なら良いのかと言うと、そう簡単には行きません。

元々飛行場があった北側は、広大な敷地が今も残るのが特徴で、現在も大型の商業施設などが立ち並んでいます。行動範囲の狭い猫たちにとって広い敷地はあまり居心地の良い場所ではないのです。特に、商業施設がきれいになった近年は、施設への立ち入りも厳しく、駅周辺の北側エリアで生活している猫は南に比べて極端に少ないのが特徴でした。

そう言う北側で、集会を開くと言うのも…と、なかなか纏まらない議論は年長猫たちに任せて、公園に戻っていたエルは、今度は始発電車で戻ると言う新宿村の猫たちを見送ると言って、すずらん公園を後にしました。エルは面倒な議論は嫌いだったのです。

彼女は越境猫の中でも住宅地からこの繁華街までを自由に行き来する方向感覚と体力の持ち主でした。住宅地では人間の家に居候することもあれば、駐車場で他の猫たちと野宿することもあります。繁華街ではキャバ嬢たちの癒し役を買って出ており、タマと呼ばれたりミャアと呼ばれたり、様々な名前を持っています。

慣れた足取りで繁華街を進んでいると、後ろからついてきていた新宿村の猫たちに「まるでうちの猫のような度胸だ」と感心していました。繁華街を根城とする新宿村の猫は、幼い頃からこう言う街での身のこなしを知っています。その代わり、どこかあざとい感じになってしまうのが特徴でしたが、色々な居場所を持つエルの所作は至ってフラットでした。

「知っていることが多いと、無闇に怖がることもなくなるわ。」

若猫の教育にも積極的な、エルらしい返答をすると、繁華街の大通りから、一本入った裏路地へと一行を導きました。

「この時間は人通りはすくないけれど、大通りをふらついている人間の質はよくないから。念のため。会わないに越したことはないので。」

パチンコ屋の前を通り、馬券売り場の裏手へ周ると、猫たちはビルの裏の道を小走りになりながら駅へ向かいます。

日の出まで後30分ちょっと。空が明るくなってきたのに、この時間まで営業している娯楽施設の明るい照明は、夜と変わらず白々しく輝いています。終電を乗り過ごしたような男子大学生の横をすり抜けた時、新宿村の猫の一匹がポツリと呟きました。

「やっぱり、こっちに流れてるな。」

砂川の猫が襲われた時、新宿村の猫が教えてくれた情報はこう言うことでした。新宿村の周辺の歓楽街で感染症が流行っていることは、春先に聞き及んでいました。しかし猫たちの話によると、その歓楽街では、客足が遠のいただけでなく、追い討ちをかけるように「客引き撲滅」を掲げた警察が「客がいなくて客引きをしてしまった男たち」を一斉に取り締まったのだと言います。

「ダメなことなんだけどさ。でも、そうまでされるとあいつらもあそこにいられなくなって。」

新宿村で取締りが強化され、営業が難しくなった夜の商売の人々が、ここ、立川まで流れてきたのではないかと猫たちは分析していました。

確かに、妙に慣れた黒服たちが急に街に増え出した時期と、新宿村で取締りが強化された時期は一致します。彼らも生きるために狩場を変えなければならなかった、と言うことでしょうか。

そんな話を聴きながら、エルは、元からこのまちで商売をしていた夜の住人たちのことをふと心配しました。新宿村の勢いに、のまれたりしていないだろうか。まだ今のところそう言う話は聴きませんでしたが、これから、時間が経てば何かしらの変化があるかもしれません。

しばらくは、こっちの方のパトロールを強化したほうが良いかもね、と若猫たちに話しながら、彼らは新宿村の猫たちを駅まで送り届けて見送りました。


そんな事件から、一週間。話は2020年8月24日、今日に戻ります。

今日はいよいよ新しい集会場所で、あの時出来なかった集会の振替開催を行う日です。新しい集会場所を決めるため、この一週間、猫たちは様々な集会場所候補を廻り、いくつかの候補を上げました。

少し遠くなるけれど広さと静かさを完備している鬼公園。

しかしここは、近年メジャーになりすぎて人間の立ち入りが多いことがリスクでした。

北側の昭和記念公園の入り口付近の広場。

環境的な問題はなかったのですが、最後のところで、昭和記念公園を縄張りにしているの武将猫たちの許可が取れずに断念することになりました。「集会場にされたら煩くなる」と言うのですが、常時戦をしている彼らの生活の方がうるさいだろうにと誰しもが思っていました。

そして、結局決まったのは、北側すぐにある映画館の裏の駐車場でした。駐車場は立体駐車場になっていて、その建物と建物の合間には駅から繋がる2階建の高さのデッキがありました。そこは、終電後は人が通ることはほとんどありません。そして駅からの通路には人間の頭上にパイプのようなオブジェが連なっており、猫たちは人間の頭の上を歩いて、人に絡まれるリスクを回避することができます。

地面や木がないのが、少し寂しいですが、都会猫として、そういう種類の文句は言っていられません。南側に行かなくて良いと言うことで、砂川の猫も機嫌を治してくれました。

新しい場所での集会は、その場所の”安全”が確保されるまで、しばらくは近くの地元猫たちが周辺警備が必要になります。とはいえもとから住む猫が少ない北側エリアです。指示を受けていたエルは、人員確保に困ってしまいました。そんなとき、”増員さん”の手配を手伝ってくれた存在が現れました。北側にある、昭和記念公園に住む武将猫のうち、最近ではすっかり反戦派となったと噂の”独眼竜むねこ”の仲間たちです。(集会があると煩くなると文句を言った好戦派の武将猫とは相反する猫たちです)

仲間を引き連れて堂々と参上したむねこに、「コンクリートは慣れてないから、いざと言うときの戦力としては当てにしないでよ」と言われて、エルは思わず苦笑いをしました。エルは一度だけ彼女が戦っている様子を見たことがありましたが、エルたち街の猫がどんなに頑張っても適いそうにありません。


「越境猫の皆さん、改めまして、ようこそお集まりいただきました。前回中断してしまった立川猫集会を、今宵、改めてはじめたいと思います。」

長老猫ワイの堂々とした号令とともに、集まった猫たちはピンと姿勢を正して座り直しました。

「人間たちの暮らしが変われば、我々猫の暮らしもそれに応じて柔軟に変わらなければなりません。今回のことはその良い事例でしょう。思い返せば、戦後すぐの頃、この北側の土地は広大な飛行場と軍用基地が…」

と、長老の長話が始まりました。「場所が新しくなっても、長老の長話は変わらないのか」と呟いた若猫がいて、それを聞いた周りの猫たちが笑いを堪えるように小刻みに震えていました。

今日の集会は長くなりそうです。長くのんびり集会ができることも、先週の事件を思えば幸せなこと。そういう風にエルは思いながら、ビルの谷間から見上げる小さな空に、月の明かりを見上げてそっと微笑みました。

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