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日常茶飯

「よしえ食堂ができるまで」ということで、毎週月曜日に、このnoteで私の人生を振り返っています。先週に続きまだまだ母の話は続きます。

昨日、母佐佑子の少し早い一周忌を終えました。行事ごとは行事ごとと思っていたものの、体や心は正直で、今朝は肩の荷が降りてほっと気が抜けたのか、起き上がれませんでした。
確かに、急なお別れだったので、心残りはたくさんあります。子どもたちや、甥姪に「亡くなる前の日はどんなこと言ってた?」なんて聞いてみたり、母の大好きだったものの思い出話で盛り上がったり、みんなで偲ぶことができたのはありがたいことです。こうしてさみしさを手放していくんだろうなと思いました。
今日は、母が残した生活工房とうがらしで黄ゆすごしょうを仕込みながら、いろいろなことを思い出しています。

日常茶飯
母のテーマはいつも「日常茶飯」にありました。日々の何気ないごはんこそが何より大事だと思っていたからです。地元にある食材を使って地元の料理は生み出され、それは地域の食文化に裏打ちされています。わが家は、ふつうのごはんを食べるふつうの家庭でした。母は栄養学を学び、現代的な食も登場していたのも確かですが、一緒に暮らす祖母の料理は、まさに地元の代わり映えのしないおかずが大半でした。
母は、就職してからも志「全国共通の料理だけでなく、地元の食材や料理を伝えたい」を貫くべく、高校生と一緒に地元料理のフィールドワークをはじめます。近所に住む料理が得意なおばちゃんたちを囲んでは、料理をレシピに起こして残すことにしました。

(高校生の記録はすばらしい)

笑い話に「おばちゃん、その料理はなんち言うん(なんていうの)?」「そげなもん、家んごはんに名前とかあるかえぇ!(ないよ)、魚ん焼いたん、煮たん、切ったん、そんなもんじゃろ?」と、言われて、まさにそうなのかもしれないと思ったそうです。当時高校生と一緒に作ったレシピ集は武骨ですが、とてもおもしろいものにしあがっていました。母が地道に集めたり、書き起こしたりしたレシピ集は手書きのものだけでも40冊以上にのぼります。

(今から50年近く前のおせち料理)

(最近のおせち料理)

伝承料理
母は、学生たちと手作りで製本したレシピ集を使って、いろいろな場所で伝え始めていました。少しずつですが実績を重ねながら、地元の料理を研究していきます。郷土料理とも違う次世代に伝えていきたい料理を「伝承料理」と名づけて活動が深まっていきました。
そんな伝承料理をもっと研究するためにと1997年に台所だけの建物「生活工房とうがらし」を建てます。「日常の食は非日常から」というコンセプトでした。毎日のごはんはふつうに家庭で食べると埋もれてしまうから、いったん非日常に取り出して見つめてみるといろいろなことが見えるというものでした。たしかに、いつもの食卓で食べるおみそ汁は、「おいしいとかおいしくないとか、塩っぱい、薄い」なんてことくらいしか話題に出ませんが、非日常の空間で向き合って食べると不思議と「米みそ?麦みそ?だしは取った?」なんて話が弾みます。それがこの「日常の食を非日常から」という発想に至るのです。
工房にはお竈さんがあります。それは羽釜ごはんがいつも食べるためではなく、ごはんを炊くために、火を起こして、火加減をみて、火の番をしながらの体験をするためです。手間暇かけて作った食べものはだれしも決して粗末にはしません。そういうことを学ぶために、この建物を造ったのです。

おいしさ以上のもの
母が伝えたいことは「おいしさ以上のもの」という口ぐせに集約されるようになりました。お漬物やおみそなど、加工がいる食品は一朝一夕にはできません。海沿いの町に育った母には、漁師さんの苦労もよくわかっていたと思います。自家用の野菜は祖母が畑で丹精込めて作っていたのでその苦労もわかっていたと思います。
おいしさ以上のものとは、その背景にあるものに触れるときに気づくものです。日常のものを非日常で見直すことで、その背景に思いを馳せます。その思いに気づくのだと思います。母の考えていたことは、この台所だけの建物での実践でより深めていくことになります。

伝える
そんな工房での活動は、伝承料理を研究したいという人が集まっていました。学校栄養士さん、病院栄養士さん、家庭科を教える先生、食推さん、農業女性たちなど、この23年間でどれだけたくさんの皆さんがここに集って勉強をしたことでしょう、本当にたくさんの皆さんが学ぶ場でもありました。
そんな中で伝承料理なんて名前をつけたばかりに、誰がそれを伝承するのか、そんな話になり行きがかり上、私が手伝うようになったのです。料理を得意とするわけでもない私が、気がつけばそれを母に代わって伝えていく立場になっていました。
私は、料理や栄養のことを勉強したわけではありませんが、食の大切さは理解していたと思います。私の得意分野を活かそうと思った時に行きついたのが、「食を伝える」「食でしあわせに」そんなテーマになっていったのでした。
人生とは思わぬ方向に行くものだと思っています。またそんな話を書いていきたいと思います。

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