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ごはんはエール


2021年1月も半ばを過ぎました。新年のおせちや雑煮に始まり、七草粥に鏡開きのおぜんざいにと、お正月の一連の行事ごとをこなしながら、母の一周忌も終えました。やっと今年を、どう生きていくかに思いを馳せているところです。

抱負
先日、知り合いの方が「ことばが好きなので」という音声ラジオチャンネルをはじめたというので一回目の放送に耳を傾けてみました。動画配信や写真での発信は、とても多くの皆さんが取り組んでいますが、音声配信というのは、とても意外な感じがしました。聞いてみると、耳に心地よく、話の内容がとてもストレートに自分のなかに入ってくるのを感じました。こういう表現方法もあるんだなぁと新しい発見でした。


テーマは「抱負」でした。年を重ねると、人前で声高に抱負を語ることに躊躇を感じることも増えました。毎年facebookなどで、新年にはその年の想いを書いていたのですが、今年は母の一周忌をやコロナ禍にあって心が定まらずにいたことが気になっていました。
その放送の中で、「抱負」は、「負けを抱く」と書くと、話題にあがりました。そのことを自分なりに考えながら、負けとは、背負うこと課題ともいえるのですが「抱いたものを負う」ともいえるのだな、なんて反芻しながら、今年の抱負を見つけてみました。

「ごはんはエール」
やっぱり一番、腑に落ちる言葉は「ごはんはエール」ということです。私は、高校生のときからおにぎりを握り始め、毎日お弁当におにぎりを持って通っていました。それも竹の皮に包んだ2個と決まっていました。

私自身はすっかり忘れていましたが、大学生になって一番初めの遠足に、巻きずしを持って行ったそうです。ひとり暮らしの狭い台所で、よく作ったなぁと思うのですが、遠足といえば「巻きずし」、祖母の刷り込みは完璧だったのでしょう。その後も3人の子どもたちのお弁当を作り続け、お弁当歴は18年になりました。また、子どもが幼かったころの手土産や、差し入れはおにぎりでした。アレルギーのある子どもさんもいても、素材がわかりやすくて、アレルゲンが少ないほうがいいと思っての選択でした。子どもたちが少し大きくなってそんな機会が減ると、知り合いのシェフたちに、仕事終わりの差し入れと称してはおにぎりを握るのでした。お祝い事やお礼がわり、餞に、お赤飯を炊く回数も相当数になります。


いつも想いは、変わらず「ごはんはエール」でした。昨今、「エール」ばやりですが、いつからか定かではありませんが、それはいつしか私のライフテーマにもなっていました。頑張る人に、落ち込む人に、元気が欲しい人に、うれしい人にも、悲しい人にも、ごはんはエールなのです。

「ごはんはエール」を発信すること
コロナ禍になり、多くの皆さんは外食の機会も減って、どう食と向き合うかを考える機会も増えのではないでしょうか?私自身、もとから外食の回数が少ないので、それほど大きな変化はなかったのですが、ごはんについて考える機会は増えました。うちにいて、考えることといえば「ごはん」のことが大半です。その中で思ったことは、やっぱり、いろいろな思いを伝えることって私の使命だなっていうことです。伝えるのは特技だからです。
食べることには、いろいろなことが関わってきます。食材、調理法、料理、食文化、健康、農業、水産業も、だから、そのもろもろを含めて、伝えていくのが私の役目でもあるのです。

ごはんを作ること
私は未だに、料理が得意ではないと思っています。でも、食べたい人がいて「あれっ、食べたい。」「これが食べてみたいっ。」って言われると、私自身ががぜん元気になるんです。活力が湧きます。だから、ごはんを作って食べてもらおうと思います。自分の想いに従って、少しおせっかいが過ぎるところもありますが。ごはんを届けたいのです。

私は人見知りなところがあって、ごはんがコミュニケーションだったりします。だから、しゃべるよりおにぎりを食べてもらうことのほうが気が楽なのです。面と向かって「元気になってね」「応援しているよ」なんていうのは、おこがましいし、厚かましくて、はずかしい、だったら、おにぎりやごはんを手渡すほうが、私にとってはとても心地いいのです。
だから元気が欲しい時、「ごはんが食べたい」と、私にはぜひ伝えてくださいね、どこからでも。

目指すものは
音声ラジオのテーマ、第2回めは「ビジョン」だったので、私の目指すもの社会、将来、未来はどんなものか、それを考えてみました。今年も、抱負をもって日々を過ごします。その上に積み重なってくるものは、やっぱり「しあわせな食の風景」だなぁと思うのです。私が願うことはそこなのです。そのしあわせの食の風景が続いていくことが、長期的な願いです。


大げさにいうならば「百年先まで続くしあわせの食の風景」とでも表現できると思います。わが家に伝わる曾祖母が起こしたぬか床は、明治40年から伝わっています。曾祖母がたいそうな目標を持ったり、夢や抱負をそのぬか床に託したりしたとは思いません。ただただ、ふつうにおいしいぬか漬けを食べさせたい、今日もおいしいごはんを食べさせたい、そんな些細な願いが日々を積み重ねて今に至ったのだと思います。そうして振り返ってみると、そこには、歴史ができ、食文化を読み取ることができるようになるのだと思います。
その続きを、私が描けたらと、そう思っています。そんなことを考えている一月後半です。

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