コロナ禍でも食のトレンドは変わらないのでは ~「毎日Uber Eats?」はないと思います~
ウィズコロナで戻ってきた「出前」、違うのは需要と供給側の「質」
ウィズコロナでの新しい生活スタイル(外食せず出前を取る)の一部として出前が手軽になったというよりも、過去に普通にあった「出前」なるものが戻ってきたにすぎないと思います。例えば1週間に一度外食していた人が、他の日に自炊していたとすると、すべて出前にしてしまってはコスト高となり、維持が難しいでしょう。「外食→出前」と「自炊」のバランスは変わらないと思います。ただし、20世紀に身近だった出前とコロナ後の出前では、需要も供給も質が変わってきた点が興味深いです。社会が全体としてフレキシブルになっていると思うからです。
私が小学生のころ(1970年前後)に、出前は普通でした。そば・うどん、寿司、ラーメンなどは、それぞれの店から、店の人の手で、店の自転車・バイク・軽自動車で注文先に届けられていました。これが廃れた理由は、供給側からみると、人件費の高騰によるものと考えられます。個人営業の飲食店が多い中で、インフレを背景とした人件費の上昇は、配達サービスを減らすことにつながったと考えられます。一方で、需要側からみると、80年代からファミレスやハンバーガーチェーンなどが展開を始め、各家庭に自動車が行きわたり、「マイカー族」が家族での食事を「店屋物(出前でとる食事)」から外食に置き換え始めます。盆・暮れ・正月の親戚の集まりで、寿司や中華などをとる一方、自分たちで持ち寄った食事や酒を加えて宴席を設けるという習慣は、核家族化などで減っていったとも思います。
その後、食事は、自炊か外食かの選択から、いわゆるデパ地下などで総菜を買う「中食」が注目されます。総菜を扱う商店も江戸時代からあったと思われますが、共働き夫婦が増え、食事の重要な部分を「買ってくる」ことが増えたのでしょう。
社会全体のフレキシビリティの高まりで多様化する食のニーズ
出前サービスを引き受ける企業は、新型コロナウイルス感染防止のための行動自粛(コロナ・ショックと呼びます)のだいぶ前からでき始めていました。供給側の変化は、リーマン・ショック等の就職氷河期を経て仕事のフレキシビリティが高まってきたことにあるでしょう。フリーランスや副業OKの増加を背景に、空いた時間をジムでお金を払って自転車型のマシンに乗るくらいなら、配達員となって自転車での配達でお金を得たほうが健康も維持できて効率的とも考えることができます(ちゃんと稼ごうとするとそんなに甘くないと思いますが)。一方需要側からみると、出前というサービスに顧客が飲食費とは別にお金を払うことが受け入れられてきました。ピザの宅配はずいぶん前に始まりましたが、自分で取りに行けば安いなどの仕組みで、昔の無料サービスとしての出前と異なり、対価を払うサービスとしてよく知られるようになってきていました。有名店の食事を自宅で食べたい、仕事から帰ってあわただしく食事の用意をするよりも、出前でだんらんを重視したいというニーズは、共働きが増える中で需要を増やしたのでしょう。つまり、供給側も需要側もフレキシブルになってきて、出前の規模を支える要因になっていると思います。
コロナ禍で加速したデジタル・トランスフォーメーションと「出前」
さて、コロナ・ショックで、さらに出前が注目されています。まず、自粛で飲食店の営業時間短縮、一時休業、などが一度に多数の店で起こる一方で、いわゆる「三密」でなければ飲食のサービスをしてもよいということもわかりました。そこで、多くの飲食店は、個人であれチェーンであれ、持ち帰りや配達などに進出しました。配達には自ら取り組むところよりも、専門業者が引き受けるところが目立ちました。専門業者は、配達員と飲食の注文と出来上がりをスマホのアプリで制御することがすでにできていたので、注文の急増に対応できたのでしょう。また、配達員の手配と飲食注文の増える時間帯や場所について、配達価格の変動というメカニズムを持っていたことも、フレキシビリティにつながり、短期間に多くの配達員を集め、出前を行うことを可能にしました。これは、システム化が新しいビジネスの急激な拡大を可能にしたという意味で、デジタル・トランスフォーメーションの例だと思います。
需要側は、これまでの外食ニーズを出前に置き換えたと思います。外食では健康に危険があるという新しい事態において、出前サービスの供給が十分にあることで、外食より中食や出前となったのは自然です。出前にコストを払うことが理解されていた(サービスの対価へのフレキシビリティ)ことが、需要側の変化として重要でしょう。
結論としては、供給側が配達員そのものやその制御について十分にフレキシビリティを持っていたことと、その一方で、需要側が健康のため、テレワークの進展で自宅にいることが多くなり外食の機会が減ったため、外食を出前に置き換えたこと、サービスの対価を払うことを納得していたこと、があります。しかし、コロナ後に人々が食事の総コストを変えるという趣旨ではないでしょう。外食よりも出前のほうがよほど安ければ出前の頻度が増えるかもしれませんが、それほどでもないように思います。また、コロナ後に家庭で食事を作って食べさせるなどの喜びに変化があるともいえそうにありません。出前は外食に置き換わったのであって、すべての食事が出前でよいという話にならないと思います。
コロナ・ショックでも変わらない普遍的な食の「トレンド」
普段、経済を分析していると、「トレンド」と「サイクル」の違いに気づきます。世界経済が人々の努力と工夫で長期的に成長していることをトレンドと考えると、景気・不景気は、景気サイクルとも言われるように、行ったり来たりするサイクルだということが分かります。コロナで食の変化を出前という観点でみると、そもそも外食や出前が「ハレ」の日を飾るなどの意味は変わっておらず、食費の配分も大きくは変わらないと見ます。独身者などですべて外食だった人には出前に置き換えても「ハレ」ではないかもしれませんが、いずれにしても置き換えと考えます。これが食事のトレンドでありコロナ・ショックでも変わっていないと見ます。そうであれば、サイクルとは、昔あった出前というサービスが有料化・システム化で現代にもどってきていて、コロナ・ショックをきっかけに増大した需要に対して一気に供給を増やせたことで、大きく花開いたのでしょう。しかし、注意すべきは、ウィズコロナが今後長らく続くのかまだわからないことです。ワクチンが行きわたり、病気への対処の理解が十分に広がれば、インフルエンザなどと同じ扱いとなるかもしれません。外食頻度が以前と同じ程度に回復する可能性は十分あります。特に多数での宴会は、場所や内容において出前とは異なる祝祭気分を持っており、テレワークからオフィスへの回帰(部分的でしょうが)が進めば、宴席が増え出前の頻度が下がる可能性はあります。
近所のイタリア料理店がコロナ・ショック時に一時店舗を閉じる一方、提携先の農家の野菜や店で提供していたワインを店外で販売しました。しかし、マスク着用などの条件での店舗再開となると、以前と同じように顧客が戻り、外食需要の強さを感じさせます。それでも店舗での野菜などの販売を、規模を小さくしながら続けているところが印象深いです。おおむねもとには戻るのですが、思いのほかうまくいった小売りも続けるのでしょう。これがウィズコロナからアフターコロナへの移り変わりの象徴のように見えています。外食は便利な出前に置き換えられ続けるでしょうが、また外食に戻っていく部分も大きいとみています。
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