![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159646159/rectangle_large_type_2_1d6dd463fb02aba28a684f0242e8b3dc.jpg?width=1200)
自分が向き合うべき課題
昨日久々に出店してみてわかったことがある。
私は販売することに抵抗があるということだ。
お茶を作ることが好きで、砂子原での作業も好きだ。
紅茶作り会をした時に、参加者さんが1時間も揉むのってすごい大変と言われた時に、私は全く大変と思わずにやっていたことに気づいた。
烏龍茶作りもその期間は寝不足になったりするのも、身体は疲れるけど、大変ではないのだ。
できたものは、色々な人に飲んでほしいと思う。
でもいざ販売となると、なぜか抵抗が生まれる。
自信のなさもあるのかもしれない。
買ってもらうことに本当になんの作用かわからないが、罪悪感みたいなものがある。
そんな調子だから、上手に販売の文句が出てこないし、うまく伝えられないのだ。
迷っておられると、買わなくてもいいですよ的なことを言ってしまう…もう一声、ポジティブなことを言えればそれはきっと購入のきっかけになるのに、そしてそれは決して双方にとって悪いことでもなんでもないのに、なんだか悪いと思ってしまって自分からその手を離してしまう。
私は自分が美味しいと思って自分のお茶を作っている。
野草番茶もハーブ緑茶も、お茶という括りでは邪道なお茶だが、自分が美味しいと思うものを作っている。
烏龍茶も紅茶も、自分の美味しいを探求して向上を目指している。まだまだではあるが、今できる中での私の美味しいを作っている。
実際自分では美味しいと思っている。
もちろん完璧ではない。もっともっといいものが作りたいと思う。
今の最大限にできる自分の美味しいを作るべく、やっている。
できたものを飲んでほしいと思う。
でも、それを売るということが私には結構な壁ということに改めて気づいた昨日。
私のそこの苦手意識は一体どこから来ているのだろう。
例えばバイトをする、とかそういうことで貰う対価に関してはそのような抵抗が一切ない。
その仕事が簡単だったとしても、重労働だったとしても。
デザインにしてもそうだ。
時々やってほしいとお願いされることもあるが、そこに対しての金額も非常に悩ましく思ってしまうのだ。
なぜか、こんなにもらってはいけないというような気持ちが生まれたりするのだ。
自己肯定感が低いのだろうか。
もちろん、私のお茶は安いという金額設定ではない。
番茶や煎茶は砂子原で一緒に作ったものだが、野草や手摘みのお茶に関してはほぼ1人で少量生産でやっているので、そのような金額になる。(とは言えそんなバカ高い価格でもないが…)
作るのは楽しい。楽しいから作っている。
それだけではいけないのだろうか。
それを販売しなければどうにもならないけれど、販売という大きな壁がいつも立ちはだかる。
買ってくださることには本当に本当に嬉しい。
なぜそこに罪悪感を感じる必要があるのか、理屈で説明できないし、購入する方にもそんな気持ちで販売するのはとても失礼だ。
この罪悪感はどこから来ているのだろうか。
だから、出店の後はいつもなぜだか不安定になる。買ってくださって嬉しい反面、自分がひどくすり減っているのだ。
もちろん、たくさんの方が買ってくださることが本当に嬉しい、美味しいと言ってくださることが支えになっていて、ファンですと言われると涙ちょちょぎれるほど感激する。
それなのに、なんでこんな風になってしまうのか、自分にも私のお茶を好きだと言ってくださる方にもよくない。
せっかくの出会いを自分から遮断し、自分をも傷つけている。
そんな行き詰まりを感じている今日です。