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やっと会えたよ、太田さん

(2023/07/25記)

 しばらく前から作品社の青木誠也さんに「紹介してー、紹介してー」とお願いしていたにもかかわらず、酔眼の青木さんが帰宅後、私の依頼を忘れてしまう事態が続き(笑)、半年以上持ち越しになっていた、中央公論新社中公文庫部長、太田和徳さんとの会談が叶った。じつに素晴らしい夕べだった。

 私が中公文庫の異変(?)に気づいたのは二〇一八年のことだ。

 永井荷風の『麻布襍記』が文庫化され、「いまコレを出すか!」と正直驚いた。しかも「自選荷風百句」を付されるという構成が味わい深く印象に残った。

 編者は立っておらず、「麻布襍記」と「自選荷風百句」を取り合わせたのは編集部と思われた。今時、荷風でこの取り合わせを思いつくというのは、なまなかな本読みの仕業ではない。

 しかも装丁が良い。それまでの中公文庫とも一線を画す、シャープで存在感のある写真を用いたそれは一つのオブジェクトとして、良きたたずまいであった。

 不思議に思い直近の中公文庫のラインナップを見ると、富岡定俊の『開戦と終戦――帝国海軍作戦部長の手記』や古山高麗雄の『編集者冥利の生活』、村井弦斎の『食道楽』、大河内正敏『味覚――清美庵美食随筆集』などなど、気になるタイトルが続々と文庫化され、そのいちいちがしゃれた装丁をまとっているではないか。

 その翌年、またも荷風が続いた。『葛飾土産』(三月)、『鴎外先生――荷風随筆集』(一一月)、前書は巻末に久保田万太郎翻案による戯曲「葛飾土産」を、そして痛烈な荷風批評として名高い石川淳の「敗荷落日」を収めていた。

 佳作が次々と文庫化され、私の気づきは確信へと変わった。もはや中公文庫に何事かが起こっているのは明らかだった。間違いない。中公文庫編集部には只者でない御仁が居る。

 井伏鱒二『七つの街道』、石ノ森章太郎『章説 トキワ荘の青春』、草森紳一『本が崩れる』、野尻抱影『日本の星』、内田百閒『百鬼園戦後日記』などなど……

 文庫初収録の作品から改版、復刻、移籍、増補にいたるまで、驚くべき趣味性を発揮したラインナップにより、私は以降、中公文庫を毎月二冊以上のペースで購読せざるを得なくなった。

 「愛書家の楽園」後の酒席でそんな話をしたところ、「あぁ、それなら…」と、長らく私が勝手に注目していた謎のキーパーソンが、かつて作品社に在籍し、その後、中央公論新社に転じた太田さんであることを教えてくれたのが、氏の元同僚であり業界の動静に通じた青木さんだったというわけだ。

 とくに、この六月二二日の大失態「脊髄反射は碌なことにならない」以降、私はなんとしても太田さんと一献傾けねばならぬという強迫観念にとらわれていた(苦笑)。

 とある絶版書籍について「面白いから中公文庫で文庫化してはどうか」とツイートしたところ、私が知らなかっただけでじつは既に同作の文庫化が始まっており、それを、こちらも読み巧者の岩波書店・小田野耕明さんに指摘され赤っ恥をさらしたという一件である。

 何度目かの飲み会のあと、「太田さんとの飲み会の件、今度こそお願いしますよ」、「えー、でも明日になったら忘れちゃうかもしれないからメールをくださいよ」という私と青木さんのやりとりを聞いて、すかさず「私も誘って!」と手を挙げたのが東京大学出版会の前専務理事・黒田拓也さん。

 かくして本日、青木、黒田、太田、神谷という、デロデロの本読みが一堂に会するという怪しい一夕が繰り広げられたのである。

 黒田氏・太田氏は同年の生まれ(ただし早生まれなので御両所とも一学年上)ということもあり、同じ社会・経済・政治情勢の下、どのような読書遍歴をくぐり、世間を眺め渡してきたか、書き手として誰を追いかけてきたか、といった諸々にはかなりの共通点が見られた。

 これほど本の話しかしない飲み会はなかなかない。これを面白がってくれるひとも少なかろう。シビれるような時間だった。定期的に逢おう、と言って別れた。もう次が待ち遠しい気持ちだ。

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