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〜「未来」〜

〜「未来」…将来や希望と区別されるのはなぜか〜
(約3万2千字)

 写真の右上に亀がいます。岩の下に甲羅がちょっとだけ見えています。私は、亀がいると知っているので見えますが、知らなかったら気がつかないかもしれません。
 「亀がいますよ〜」と、念のためお知らせするのは、余計なお節介と思われるのでしょうか、それとも…
(『櫻守』の笹部新太郎博士邸の面影が残る神戸市の桜守公園

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1、今月の文章は少し長くて、八節まであります

【田中美知太郎「未来」1943年(『ロゴスとイデア』より)】
発表:1943(昭和18)年4月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 

 頁数としては、4月の「現実」と同じくらいで、5月の「時間」よりは少し長いです。気のせいかもしれませんが、「未来」は心持ち読みやすいような気がします。ただし思考の努力を(かなり)必要とする文章であることにかわりはなく、私の書き写しもすんなり進んだわけではありません。半年前にも読んでいるのに当時は気づかなかったことを発見して手が止まったり、考え込んだり。いつまでたっても片想いのままです。

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 「人は何のために生きているのか」というような問いは、自動販売器から品が出て来るようには答えられないのである。わたしたちがごく自然にそれの答らしいものを自分で見つけるためには、むしろ余計な雑音をひとつひとつ消して行って、心をしづかにすることができれば、自分自身の奥底に、それをかすかにでも聞きとることができるのではないかと思う。わたしの仕事は、それらの雑念を解きほごすための手助け、手伝いだけなのである。
(田中美知太郎『人生論風に』昭和44年発行, 平成元年19刷. 新潮選書. pp. 280-281. 「あとがき」より抜粋)
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 何のために生きているのか…そもそも生きる目的なんてあるんでしょうか。頼みもしないのに生まれて来て、死ぬ時期も自分で決められないのに。しかし私がそんなことを考えてしまうのも、おそらく私の遺伝子に命じられているからなのでしょう。けれど私たちには、遺伝子の乗り物に過ぎない部分と、そうでない部分と、あるらしいです。もし目的があるとしたら、自分になるため?ということが、ヒントになりそうな気がしています。目的なのか手段なのかはわかりませんが…

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 「しーくんは何のために生きてるの?」と聞いてみても首をかしげるだけです。そしてしばらくしたら寝てしまいます。でも、より快適に暮らすための方法はあれこれ考えているようです。自分で工夫したり、他の子と協力したりしながら。
 今年のワクチン接種も無事に終わりました(^^)

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 「自分になる」ってどういうことだろうと、ずっと考えています。
 足し算?知識や知恵や経験が増えたら自分のスペックが高くなる?
 引き算?でも余計なものをそぎ落として、一体何が残るんだろう?

 生と死で区切るからわからないのかな?
 生の前から決まっているもの?
 死の先に続いていくもの?

 「自分になる」というのは、前に向かっていく、つまり現在から未来に進んでいくイメージです。(進化ではなく)進歩していくために足したり引いたりする感じというか。それにたまにはデフラグをかけて断片化されたものを整理しておく必要もありそうです。しかしそうなると、「自分にする」という言い方の方が適切なのかもしれないと思ってみたり。

 ところで、もし時間(というか時刻?)が後戻りしたら、「未来」の概念も変わってくるんだろうか。いわゆる「ブロック宇宙論」では、過去も現在も未来も、ぜーんぶ同じ4次元時空のブロックの中に入っていて、同時に存在していると考えるのだそうです。つまり過去も同時に存在しているので、戻ることも可能なわけです。けれども、過去の改変は出来ないみたいです。既に決まっていることは、もはやひっくり返ることはないということですね。一度見たことのある劇のあらすじを友達に教える私たちも、もしかしたら同じような経験をしているのかもしれません。

 もしその理論を借りるとすれば、「自分」というものは既に決まっていて、そのあるべき自分に向かっていくイメージ?しかしそれは進歩することを否定しているわけではなく、らせん階段のイメージというか…上から見たら同じところにいるように見えるけど、横から見たら上の段にいる、みたいな。それに、なんだろう、その進歩には、生や死をはじめ自分の力が及ばない何かも関係しているような気もするし…そうなると、「自分にする」より、「自分になる」の方がやっぱりしっくりくるような気がします。

 けれどもここで疑問がひとつ。
 過去から現在、現在から未来に変化する、その間の時間(的な何か)はどこに存在しているんだろうか。過去も現在も未来も、「同時に」存在しているけれども、でもそれは三者が同じものであることを意味しません。もし同じであるなら、過去の改変が出来ない理由がなくなってしまいます。ですのできっと、過去と現在も、現在と未来も、別のものではないでしょうか。ということは、その変化の原因となるものは、時間そのものではなさそうな気がします。

 田中美知太郎の論文「時間」の三節に、アキレウスと亀のパラドックスで有名なエレアのゼノンのお話が出てきます。ここでは、運動不可能論の第三である飛矢静止の論にアリストテレスが『自然哲学』(六巻九章)で批評した内容をもとに、時間の無限分割の説明がなされています。たとえば、一本の線を区分する、点Aと点Bと点Cと点Dは、4つ集まっても元の線分を構成する要素にはなり得ません。元の線分を構成するのは、あくまでも分けられた線分だけですから、線分と区分点は別のものだということが出来ます。同じように、過去と現在と未来を「区分しているもの」は、それだけ集まっても時間を構成する要素にはなり得ない気がします。「時間ではない何か」が、どこかにあるのではないでしょうか。

 そう考えますと、「時間を変化させる原因となる何か」によっては、未来も変わってくるのかもしれません。「将来」というのは、将に来たる時ですから、「現在」の延長、つまり現在に内在化されているということが出来ます。しかし「未来」は、未だ来らざる時ですので、「現在」とは分断されています。もしかしたら、「現在からの将来」と「未来」との間を媒介する「変化を促す何か」が適切であれば、本来の自分に近づいていき、そうでない場合は遠ざかっていく、というようなことも言えるかもしれません。

 ところで私は先月のnote、「時間」の2(2)節の最後に、橋本義武先生が「ミンコフスキー空間と時空」の講義でお話してくださったことを書きました。「時間を空間的に考えるという方法では、もしかしたら本質的なことが抜け落ちてしまうんではないか」と、ベルクソンは懸念していて、もしかしたら鴨長明やアウグスティヌスも同じように思っていたかも、という内容です。

 ベルクソンが時間の空間化を批判したお話、そして前述した4次元時空に関しては、こちらの本が詳しそうです。読んでみたいですが、なんせ高い…図書館で借りるにしても期限内に返却できそうにない…
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あとがきたちよみ/『〈現在〉という謎 時間の空間化批判』 - けいそうビブリオフィル
10月 01日, 2019 勁草書房編集部
https://keisobiblio.com/2019/10/01/atogakitachiyomi_genzaitoiunazo/

 ということで、時空について考えるのはここら辺が限界です。とりあえず、時間は前に進むイメージで…

 さて私は1月に、「ロゴス」の論文について、facebookに書きました。久しぶりに読み返してみましたが、なんだか堅苦しいですね。
 でも、たしかに私の出発点だなぁと改めて確認できました。私は、他者の意見を理解する力をのばしたいと思っているんです。
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〜「ロゴス」おぼえがきと、あと4つのこと〜(16,666字)
2020. 01. 06
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1236841263193865&id=100006040093683

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2、理解する力をのばしたいので、読んでいます

 では、理解する力はなぜ必要なんでしょうか。
 私は、他者に歩み寄る手段だと考えています。
 受け取る力を補強する、そんな感じのような。

 「あなたの気持ち、わかるよ」と言いたいわけではありません。もし自分がそう言われたら、私はその人とは距離をおくでしょう。

 で、そもそも、国民⇔国民、を考える際には、国家⇔国民を考える必要があるんじゃないかと。

 自由権>参政権>社会権、という順番が大事だと私は考えています。
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----------------引用ここから----------------
 福祉国家は,資本主義経済と民主主義政治という歴史的文脈の中で生まれてきたのである。資本主義経済の発展は,市場における自由な経済活動を促し,国民福祉を全般的に向上させるが,政治的に民主主義を持たない国の場合,いかに国家福祉が寛大であろうとも,それは上からの恩恵として与えられるに過ぎない。

 これに対して,民主主義政治の場合,公的福祉の拡充は,国民の要求に基づいて,権利として実現する。民主主義政治を通じて,市民が自らの要求を政策に反映することによって,初めて福祉国家が生まれる。福祉国家は単なる物質的再分配の政治ではなく,社会権を保証する「権利の政治」としてある。

 「権利の政治」という観点から福祉国家を考える上で重要なのは,T. H. マーシャルのシティズンシップ論である。マーシャルは,シティズンシップ(citizenship)を自由権(civil right),参政権(political right),社会権(social right)という三つの権利から構成されると考えた(Marshall, 1964)。図式的にいえば,資本主義経済の発展の中でまず自由権が,次に民主主義政治の成熟によって参政権が実現し,最後に福祉国家の誕生と共に社会権が確立する。

 マーシャルの議論は,イギリスの歴史的固有性を過度に一般化するものであると批判されることもあるが,シティズンシップを自由権から説くことにはそれなりの根拠がある。市民としての自由と平等,尊厳が認められなければ,他の権利は意味をなさない。自由権の確立にとって決定的な役割を果たしたのが,資本主義経済の発展である。

 資本主義経済にとって何より重要なのは,市場における自由な交換活動であり,それを保障する制度枠組である。自由権こそ,市場における自由交換に形式的根拠を与える。市民は自由かつ自立した個として市場に参入し,自らの意思によって水平的(対等な)交換関係に入る。自由権が経済活動に限られるわけではないが,それがまずもって国家権力の限定,市民生活の「国家(権力)からの自由」を意味し,市場を通じての経済活動に端的に表現されることは間違いない。

 自由権が主として消極的自由の擁護を意味するとすれば,市民の政治への関与は,消極的自由を超えた権利である。参政権は,政治にかかわる積極的自由,「国家からの自由」ではなく,「国家への自由」ということができる。「国家からの自由」は,市場における自由競争が生み出す不平等を修正するものではない。むしろ形式的な平等性(法の下の平等)は,市場競争の結果である実質的平等を正当化する。これに対して,参政権の確立は民主主義を実現し,経済的不平等を政治的に是正する機会を提供する。参政権は,自由権が与える形式的平等性を実質化するチャンスとしてある。

 このような参政権を前提とする民主主義政治の中から社会権思想が生まれ,国家は国民に最低限の生活(ナショナル・ミニマム)を保障する義務を負うと考えられるようになる。ナショナル・ミニマムを実現するために,資本主義国家の福祉国家化が促される。
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(新川敏光「第6章 福祉国家の発展と政治」埋橋孝文『社会福祉の国際比較 ’ 15』放送大学印刷教材. pp. 90-92. )
----------------ここまで----------------

 「わかってもらうための努力」をしても、相手がそれを受け止めてくれるかどうかは、相手の自由です。でも、お互いに協力して社会をよりよくしていくためには、相手も「わかろうとする努力」をするでしょう。自分はそれに納得出来ないと思ったとしても、同じ目的に向かって行くための努力をするかしないかは、信頼関係も含め様々な面から検討されると思います。

 今の時期というのは、なるべく自由を認めたい、でも全体のことを考えると、いろんなことの制限をかけるお願いをしなければならない…という、本当に難しくて微妙なバランスを保ちながら進んで行くしかないのでしょう。

 そして、あれやこれやと意見を出しあいながら議論をし、大きな政治や小さな政治に関わるためには、「伝える力」や「伝えてもらう力」が必要です。

 また、自分が困っているから助けてほしい、という時にも「伝える力」は必要ですし、さらに、情報や支援を受け取るためにはやっぱり「伝えてもらう力」も必要になってくるかと思います。

 でも、「伝える力」と「伝わる力」って、なんとなく違う気がするんです。

 それは、積極的か消極的か、ということではなくって。伝えたいものそのものに、もし「伝わる力」がなかったとしても、「伝える力」がありさえすれば、ある程度世の中に浸透させることができます。そのことが良いか悪いか、ではないんです。それは単に事象だけの問題というか。

 「伝える力」が必要な営業の仕事というのは、研究と実践とを繰り返し繰り返し、時に心が折れながら、時に感動に涙しながら、自分を成長させてくれる素晴らしい仕事だと私は思っています。若い頃、朝までドライブしながら語り合った同期の友人M が入社後2年くらいで編集部に異動したので私は自分が売る商品についての知識を深めることができましたが、でもちょうど同じ頃なんだか熱が冷めてしまったような感じで、米子支社での私の成績は低迷していきました。そんな私を拾って姫路支社に転勤させてくださったT 部長(高知出身)のお話を今でも覚えています。創業期は営業担当と編集担当が近く、現地のお客様の声をすぐに編集に活かすことができたので、ニーズに合った商品を売ることができた、だから営業も編集も共にやりがいを感じながら仕事することができた、そんなようなお話でした。当時の私には、市場における自由な経済活動に思いを寄せる知見もなく、T 部長のお話を半分も理解出来ていなかったのでしょう。そして自分の「伝える力」の不足を棚に上げて、「伝わる力」のある商品が売りたいと思っていたのかもしれません。しかし「伝わる力」を持っているものは、そんなにたくさんあるものなのでしょうか。私がちゃんとキャッチできていないだけなのでしょうか。

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3、京都市立芸術大学…「名前にこめられたもの」

 話は飛びますが、私の知人が、京都市立芸術大学に在学しています。
 鷲田清一先生が学長でいらっしゃった頃、私は入学式や卒業式の式辞を拝読するのが楽しみでした。
 (京都市立芸術大学の学長には哲学の先生が就任されることが幾たびかあるようです)

 先日、知人から署名のお願いが来ました。
 わりとびっくりする内容でした。

もし興味を持っていただけましたら、
【京都市立芸術大学 署名】
で、検索してみてください。
 このサイトで署名するのはちょっと…ということでしたら、用紙をダウンロードできるサイトもありますし、署名の用紙をこちらで用意させていただくことも可能です。回収期限は過ぎていますが、色々とストップしているみたいで、まだ集めておられるようです。お声がけくださいませ。
 (京都市長のコメント京都しみん新聞の広告、また、双方の大学の現役の学生さんや卒業生の方の意見も複数拝読した上で私は署名しましたが、部外者の私はこの場ではこれ以上のことには触れません)

 この件に関して、私が思わず声に出して読んでしまった文章があります。この文章の内容は、今回の件のみならず、すべてのことに通じているのではないでしょうか。少なくとも私にとっては、「伝わってくるもの」が多く含まれていました。

【令和2年4月14日付】「芸術大学の名称」に対する本学の考え方についてー天文学・宇宙物理学の視点からー | 京都市立芸術大学
「名前にこめられたもの」
京都市立芸術大学 美術学部准教授 磯部洋明
https://www.kcua.ac.jp/20200414_comment/
----------------引用ここから----------------
 「現代の宇宙物理学がその基礎を置いている物理学という学問は,世界が無個性なものから成り立っていると考えます。生命や人間も含めてこの宇宙にあるあらゆる物質は,何種類かの基本的な粒子からできています。(全ての素粒子が同じ「ひも」のようなものの違う状態であるとする理論もありますが,ここではこれ以上踏み込みません。)物理学では,一つ一つの基本粒子は全て同じであり,宇宙のどこにあっても同じ法則に従うと考えます。こっちの粒子とそっちの粒子を入れ替えても,その粒子が形作る何かの性質が変わることはありません。完全に無個性な粒子たちが普遍的な物理法則に則って何かを形作っているに過ぎないのに,人間や芸術作品のように一つとして同じもののない個性を持った何かが立ち現れることが,私たちの生きているこの宇宙のなによりも面白いところです。」
----------------ここまで----------------

 うわー、基本粒子の単体には個性がなくてみんな同じなのに、集まると個性が出てくるんですね。なんだか不思議です。
 でも何故なんだろう…

 「宇宙では過去も現在も未来も同時に存在している」という理論を借りて考えてみますと、粒子そのものの性質は同じでも、時間が経って変化した粒子と未だ変化していない粒子とが宇宙には「同時に」存在していて、それが個性を作り出している、ということは言えないでしょうか。

 私たちが感じることが出来るのは常に「現在」なわけですが、でもその「現在」を形づくっているのは、「戻れるけど改変は出来ない過去」の積み重ねです。そして、過去と現在の間にも、現在(からの将来)と未来の間にも、「時間とは違う、変化を促す何か」が存在しているかも!ということを既に見てきました。それは、延長という言い方も出来るかもしれませんが、単につながっているというより、ミルフィーユのように独立したものが積み重なっているようなイメージで私は捉えています。
 よく、何かに導かれているようだ、という話をします。昔の私が凍える寒い夜に毎晩寄っていた銀行のATMコーナーで考えていたことは、この世の理不尽ではなく、ただ、ここはあったかくてありがたいなぁということでした。

* *

 はっ、油断していたら、おもろいことも素敵な画像も登場しない記事になってしまいました!
 でももう時間が足りない…
 こうなることは、私の力不足も含めて、私の力の及ばないところで決まっていたのだと開き直って、このまま本文に突入します!

 でもその前に、今月の論文は長いので…
 ↓

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4、各節を締めくくる文章を書き出してみました

 田中美知太郎先生の文章は、「ディアレクティッシュというか、ある程度自分と正反対の議論を出してそれを徹底的に展開して、その行き詰りのところでもう一度考え直すというかたち」(田中美知太郎「哲学の文章について」『人間であること』. 2018. 文春学藝ライブラリー.  pp. 229-230. )で書かれることが多いです。本来であれば、一部分だけを切り取るというのはあまりよろしくないことなのでしょう。
 でもでも、長いというだけで敬遠されてしまうのはあまりにももったいない!とも思っているのです…

一節
「将来は既に現在の一部であって、現在は将来へとひとつづきに延びているが、この延長は単なる希望に過ぎない。未来はこれを切断することによって、現在を現在にかえす。失望がわれわれに現実を教えるのである。」

二節
「これら密教の魅力は、世間を新しい眼で見ることを教えるその秘伝にあるとも考えられる。それは現前の事実を未来の光に照して見せてくれる。その時、現にあるものが背景を得て丸ごと浮び上って来るのである。これはしかしわれわれが、来世そのものについては何も知らなくとも、ただ未来を認め、死を思っただけで見ることの出来たことなのである。」

三節
「神の正義は不変であるとしても、その業が時間をとって現われる時には、紆余曲折をまぬかれないのである。そしてそこには人間業におけるがごとく、未来と将来の区別が出て来ることを知らねばならぬ。」

四節
「しかし既に見られたように、端緒は無数にあり、ものは将に生じようとして現にあるとしても、そのすべてが必ずしも生ずるのではないから、現在を出発点にしてどこまで行っても、われわれは未来には到達しないであろう。われわれはつねに現在のうちにある。未来はわれわれの希望いかんにかかわらず、いわば向うから来る。未来は現在に対してどこまでも超越的である。」

五節
「しかしながら、変化を瞬間において成るものと考えることは、変化無時間性の条件を一応満足させると共に、他方また変化の理解を容易にする長所をもつとは考えられるのであるが、しかし分りやすいことは必ずしも理解の徹底を意味しない。瞬間という考えだけでは、われわれは変化の過程において、ものが動でもなければ、静でもなくなるという他の一面を見落してしまうことになる。振子は上昇からすぐに下降する、その間に少しの暇もないとだけ考えてしまう。しかしながら、変化は無時間的だとしても、無媒介ではないのである。瞬間はこの無規定になる過程を通り越してしまう。そしてそれは時間でもなければ、時間の部分−それはつねに時間である−でもないと言われながら、瞬間という言葉が示しているように、なお時間的延長をもつものと考えられやすい。プラトンの τό έξαίφνης をわれわれの問題に役立てるためには、われわれはこれを「瞬間」におき代えるだけで満足することは出来ない。」

六節
「しかもプラトンが同所(一五二C)で注意しているように、時間の経過が過去と未来の間ではなくて、現在と未来との間に考えられる場合には、「今」はついに用をなさないのである。しかしながら、われわれの問題はちょうどその未来と現在との間にあったのである。これに対して「今」は用いることが出来ないけれども、「たちまち」は用をなすのである。われわれは両者の区別を知らなければならぬ。」

七節
「かかる生死と現在未来にわたるもの、絶対の断絶を超えるもの、それは何であるか。それはわれわれに二重の生活を許し、現在において未来を思わせるものでなければならない。それは未来に生きる者の「いのち」であり、永生の主体である。われわれはここに ψυχή の問題の重要性を思う。」

八節
「現実主義に対する理想主義の対立は、現在に生きる者と未来に生きる者の対立とも考えられている。理想に生きる者は、現実に甘んじ得ないから、現実否定の精神において、未来を待望すると言うことが出来る。しかし未来が直ちに理想なのではない。希望が直ちに理想なのではない。未来は単なる未来としては、現在と同じように、頼りないものなのである。未来をたのむ者の希望は、現在に生きる者の眼には、現実にもとづかぬ空想としか思われない。それは現実に破れてしまう。未来の希望は理想によって、はじめて安定を得る。しかし未来に生きる者の希望は、必ずしもそのすべてが理想によって支持されているのではない。理想はやがてあるだけでなく、現にあり、また過去にあったものなのである。否、それはむしろ永遠なるものとして、時間のうちにはないと言うべきである。それの把握はイデアの把握なのである。そしてそれが真の未来の知識となる。プロメテウスは単なる希望に生きたのではなく、知識に生きたのである。その知識は、しかしながら、実際には無智の智のごときものであり、現実家を真に現実的にするものだということを知らなければならない。」

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(前置き不要ですぐに本文に入りたい方はこちらから↓↓)

【田中美知太郎「未来」1943年4月(『ロゴスとイデア』より)】

発表:1943(昭和18)年4月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 
今回の引用:
1)1968(昭和43)年10月『田中美知太郎全集第一巻』筑摩書房. pp. 33-57.
2)2014年(平成26年)6月『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー. pp. 47-65. 
3)1947年第1刷1977年第3刷『ロゴスとイデア』岩波書店. pp. 37-69.

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1940 北部仏印進駐。日独伊三国同盟成立。津田左右吉著書発禁。/南京に汪政権。
1941 日ソ中立条約締結。南部仏印進駐。ハワイ真珠湾攻撃:太平洋戦争(~1945)。国民学校令公布。/大西洋憲章。独ソ戦争。
1942 翼賛選挙。ミッドウェー海戦。関門海底トンネル開通。
1943 ガダルカナル撤退。学徒出陣。/イタリア降伏。カイロ会談。イタリア降伏。カイロ会談。
1944 サイパン島陥落。本土爆撃本格化。
1945 東京大空襲。アメリカ軍,沖縄本島占領。広島に原子爆弾。ソ連参戦。長崎に原子爆弾。ポツダム宣言受諾。降伏文書に調印。連合国軍の本土進駐。五大改革指令。財閥解体。農地改革指令。新選挙法(女性参政権)。労働組合法。/ヤルタ会談。ポツダム会談。国際連合成立。インドネシア独立。
(年表:山川出版社『詳説日本史B』p. 424より)

(なお書き写しに関しては、田中美知太郎先生の著作権継承者である田中氏より、長い引用大丈夫ですと許可をいただいております)

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    一

 「死後に人間を待っているのは、彼等が予期もしなければ、また思いもかけないようなものなのだ( Fr. 27 )という、ヘラクレイトスの短い言葉のうちにわれわれは、未来というものがもっている二つの違った面を区別することが出来る。そのひとつはわれわれがいろいろに予想して、あるいは喜んだり、あるいは恐れたりする未来である。他のひとつは、いよいよそれが来てみると、われわれの予想や希望とは全く違うことがわかるような未来である。もっとも来てしまっては、もう既に現在であるから、未だ来ないものとしては、それはどこまでもわれわれの想像や予期を絶するものでなければならない。そして未来のほんとうの意味はこれなのだと思われる。ヘラクレイトスはこれを死の彼方にあるものとして語っているが、未来のほんとうの意味というものは、たしかにそのようなところに見られるのではないかと思われる。われわれにとっては現にあるものしかないのに、未来というものは未だないのが本来であって、現在は決して未来ではないとすると、未来はわれわれにとってほとんど無であると言わなければならない。ところが、エピクロスによると、死はわれわれにとってちょうどそのようなものなのである。

 「死は私たちにとって何でもないものなのです。私たちが存在する時には、死は現在せず、死が現在する時には、私たちは存在しないからです。つまりそれは、生きている私たちにも、死んでしまってからの私たちにも、無関係なのです。生きている時の私たちにとっては、それは存在しないのですし、死んでしまっては、私たちがもはや存在しないからです」と、このようにエピクロスは、メノイケウス宛の書簡( 一二五 )のうちで語っている。未来もまたちょうどそのようなものだと言うことが出来る。現にあるものからすれば、それはないものなのである。しかしそれがある時には、現にあるものはもはやないのである。われわれが現にあるものだけを頼む時、未来はわれわれの所有の外に超越する。強いてこれを内在化すれば、それは前兆とか、希望とか、予期とかいうようなものになってしまう。われわれはこれを将来( τό μέλλον )と名づけることが出来るであろう。それは将に来らんとして現にあるのである。われわれはそれを既に現在の一部として見る。洋々たる前途は現に見えているのである。われわれが現にあるものだけを認めようとする時、現在を超越する未来は否定されて、内在的な将来だけが認められることになる。しかしながらわれわれは、現在の生に執着することによって、死を否定することは出来ない。死は現在しないけれども、しかし厳存するのである。われわれがいかに現にあるものを頼りにしたところで、やがて未来はこれを否定するであろう。エピクロスは生の現在から、死は無であること(すなわち何でもないこと)を証明しようとしたが、しかしそれはまた死の到来と共に、われわれが存在を失わなければならないことを明らかにしている。未来は現在にとっては無であるが、それ自体としては別の仕方で存在し、かえって現在の否定において存在するようなものになっている。τό ἐσόμενον や futurum は、「やがてあるもの」として、これをかかる存在の面から言いあらわしているが、「未来」という言葉は、現在から見られたそれの否定面を示しているように思われる。

 かくて、漠然ただ未来と呼ばれているところのものは、内在的な将来と超越的な本来の未来とに分けて考えることが出来る。人々は未来をいう時に、すぐ歴史や個人の心理を考えて、現在から望まれる明日や次の時代を思い浮べるけれども、それは多くの場合ただの将来なのである。そういうものだけで考えると、われわれは現在中心の内在論に拘束されてしまう。未来への考察をヘラクレイトスの死後についての言葉から始めたのも、そのような拘束を免れたいがためなのであった。しかしながら、無論ただ死のみが未来なのではない。計画が破れ、成功が危ぶまれる時にも、ひとは未来に直面する。忙しく働かされていた自分にふと気がついて、一体これは何のためなのだと疑う時、われわれはやはり未来に似たものを見る。昨日までは前途に赫々たる光明を認めていたものが、急にその希望を失う時、周囲の一切は未だ今までと変ったところもないのに、それがみな正体を失った影のようになってしまい、同じような希望に欺かれている人たちの感激や興奮が馬鹿らしくなり、人々の誓いや約束や呼びかけが空虚な響きと化してしまう。われわれはそのような場合に、現在の否定としての未来をひとつの深淵のごとく、夜闇のごとく、まさに無なるものとして感じなければならない。それはちょうどひとが死を認めた場合と同じである。プラトンは対話篇のなかで、死期迫る普通の老人の気持を次のように語らせている(*)。
 「やがて死ぬのだという考えに直面しなければならなくなると、それまでは別に気にも留めないでいたことが心配になり、気になってくるものです。この世で悪いことをした者は、あの世へ行って罪の報いを受けなければならないというような、よく聞く来世の話も、それまでは馬鹿にして笑っていたものが、その時になると本当かも知れないと心を痛める種になります。そのあげく老衰のためですか、それともあの世が近くなったためですか、直接自分であの世のことをこれまでになくはっきりと見たりするものです。しかしとにかく疑念はしきりに起るし、心配でたまらないものですから、自分の過去を数えて、誰かに何か悪いことをしなかったかと考えてみるようになります。」

(*)Respublica 330DE. 

 ひとたび未来に気づく時、われわれはちょうどこの老人たちのように、現在の所有を数え直さなければならなくなる。果してそのうち何が残るであろうか。確実なのは何であろうか。自分のものでもないものを我がものと信じてはいなかったであろうか。われわれは大地のゆらぐのを感じる。今までは現在がわれわれの視界を一杯に占領していて、かえって現在の全体を見渡すことが出来なかったのに、今は現在が背を見せ、影を落すようになる。つまりわれわれは現在を丸ごと見ることが出来るわけである。現在は未来なしには知られない。現にあるものだけを頼む現実主義は、かえって現実を見ることが出来ない。現在が彼等の眼を塞いで、何も見えないようにするからである。しかしわれわれがこのように現在を見ることが出来るのは、未来によってであって、将来によってではない。将来は既に現在の一部であって、現在は将来へとひとつづきに延びているが、この延長は単なる希望に過ぎない。未来はこれを切断することによって、現在を現在にかえす。失望がわれわれに現実を教えるのである。

    二

 しかしわれわれは、自分たちだけの考えに止まらないために、アリストテレスからもう一度また未来と将来との区別を学ぶことにしよう。アリストテレスが両者の区別について語るひとつの場合は、前兆があっても事実がこれにつづかないという場合である。彼は夢知らせというものが時には可能であることを認めながらも、しかし夢は成就しないことが多いという事実に注意する。「しかしこれは何も不思議ではない。身体や天象に認められる兆候についても同様のことがあるからである。例えば、雨や風の兆候がこれである。それは将に来らんとする変動にもとづいて生じた兆候なのであるが、たまたましかしこれより有力な他の変動が起るとすれば、さきの変動は生じないことになるからである。またそれを成就するためには人間の努力を必要とするような事柄については、他にいっそう有力な動因がはたらいていたために、立派な計画が破れてしまう場合も少なくない。概して言えば、ものは将に生じようとしていたからといって、必ずしもそのすべてが生ずるのではなく、『やがて来るところのもの』と『将に来らんとしているもの』とは同じではないからである。しかしとにかく成就はしなかったにしても、何かそれの端緒となるべきものが存在したことは認めなければならない。それは何ものかの兆候たるべき性質をもっている。たといその何ものかが実際には生じなかったにしても(*)」と、このようにアリストテレスは言っているのである。

(*)De divinatione per somnum II. 463b 23-31. 

 この言葉によってみると、将来は単なる主観的空想ではない。それは現在すでに事実となって始まっているものなのである。われわれはこれを希望や予想と共に語って来たが、それは正しくなかったかのようである。しかしながら、いかなる希望も現実のうちに根拠をもたないものはない。われわれの希望というものは、少しでも拠りどころがあると、どこまでもたちまちひろがって行くものなのであるが、そのような拠りどころを現在のうちに発見することは極めて容易である。ちょっとした素振り、ちょっとした言葉、ちょっとしためぐりあいから、人々は恋愛や立身の希望を燃やすことが出来る。現にわれわれがもつところのものは、あらゆる可能性をふくみ、あらゆる事柄の端緒となる。だから敵も味方も、同じ戦局の動きから、それぞれ終局の勝利を夢みるのである。それは決して空想ではなく、どちらも可能なのである。どちらも勝利の端緒をつかんでいるのである。しかしながら、事実の端緒は要するに端緒であって、事実そのものではない。将に来らんとして現にあるのは、その一端であって、他はすべて未だないのである。それがあるのはただ希望としてあるに過ぎない。無論、希望は空想ではない。われわれは無為に夢を描いているのではない。希望に励まされて、与えられた端緒を発展させようと懸命の努力をしている。否、単に盲目的に努力するだけではなく、用意周到に準備された計画に従って、万事遺漏なくことを運ぶ努力をしているのである。人々がわが身のため、またわが愛するもののためになす努力は、まことに真剣であって、ほとんど人事を尽していると言うことが出来る。しかしそれにもかかわらず、アリストテレスも述べているように、立派な計画が破れることも少なくないのである。プラトンは裏切者の毒手に殪れたディオンのことを「暴風雨がいまに来るということは決して知らないではなかったけれども、しかし暴風雨が想像を絶したひどい大暴風雨になるとは知るよしもなく、そのために激浪にのまれて非業の最期を遂げるに到る老練の船乗」に比較している(*)が、事実そのような場合も決して少なくはないのである。人生には将に来らんとしてついに来ないでしまう事実が無数にある。われわれが将来と未来とを区別するのは、まさにこの事実によるのである。将来は現在のうちに既に始められているけれども、未来はその実現を保証しないのである。未来と現在との間には断絶がある。

(*)Epistula VII. 351D. 

 将来と未来とのこのような関係から見て、特にわれわれに興味があるのは、エウリピデス劇のうちに示されている「プロロゴス」(前口上)の特殊な用法である。エウリピデスのプロロゴスは長い独白であって、劇のうちに取扱われる事件の大略を、現在の状況だけではなく、これから行われようとしていることまで述べたてるものなのである。例を『イオン』という作品に取ってみると、そこでは最初にヘルメスが現われて、まず自分の素性を語り、ついでアテナイの王エレクテウスの女クレウサの一身に起ったこと、すなわちアクロポリス近くの岩穴でアポロンのために処女を奪われ、やがて男児を生むようになるが、彼女はこれを自分の縫取りした衣にくるんで、思い出の岩穴に捨てたこと、ヘルメスがアポロンの命でこれを拾い、デルポイの社頭におくと、社を守る巫女が後でこれを発見し、いったんは不義の子と見て取棄てようとするが、惻隠の情に堪えず、これを養って今日に及び、いまは一人前の青年として社の掃除その他の務めをもっていると述べ、他方母親のクレウサはアカイアの人クストスという者が、アッティカの対エウボイア戦争に功労があったため、これに与えられて、共にアッティカを治めていたが、夫婦の間には多年子がないので、両人そろってデルポイに神託を受けに来ることになったとて、これからのアポロンの計画を述べる。それによると、アポロンは自分がクレウサに生ませた子をクストスに与え、クストスを父親だと思わせ、やがて帰国の後クレウサにも事実のわかる時が来るようにするが、しかし他人には自分とクレウサとの関係も、またわが子の素性もあくまで秘密にしておく所存で、このアポロンの子はイオンと呼ばれ、やがてイオニア人の祖先となるはずだというのである。ヘルメスによるこのプロロゴスは、イオンの登場によって打切られ、ヘルメスはそこに現われた人物が問題のイオンであることを観衆に教えて、そのまま退場する。劇はヘルメスの予告した筋書に従って、いよいよそこのところから開展されることになる。

 近代の読者にとっては、このようなプロロゴスは余計であり、かえって劇的効果を弱める有害な措置と思われるであろう。しかしながらギリシア悲劇は探偵小説ではないのである。その劇的効果は、観衆が成行を予知していることによって、かえって強められるのであって、決して弱められはしないのである。オイディプスの運命は誰でも知っている。しかしそのことはオイディプス劇の障害にはならずに、作家はかえってそれを利用して劇的効果を工夫する。やがて没落しなければならない人が、わが身の運命を知らずに、自己の権勢威力をたのんで、自己自身の呪いとなるような言葉や行動に我を忘れているのを見る時、われわれはその恐ろしさに息づまるような緊張を感じなければならないであろう。これはわれわれが眼前の事実だけを見ているのではなく、実にその未来をも知っているからなのである。われわれはこれらの劇において、始めて未来から現在を見ることを学ぶのである。もしわれわれが神のごとくに未来を知ることが出来たなら、果してどうであろうか。明日の死を知らずに、明年の計を案じ、やがて惨敗しなければならないのに、今日の勝利に驕っている者など、人生の悲喜劇は笑うべきか、泣くべきか、われわれはほとんどこれを視るに堪えないであろう。社会生活に重大な影響をもつ事実の決定を、一日他人に先んじて知ることが出来た者は、何も知らずに騒いでいる他の人たちを憫むかも知れない。しかしそういう者どももそれから先は知らないのである。エレウシスの秘儀やオルペウス教の密儀に参じて、来世の秘密を知った人たちは、いかなる眼をもって世間普通の者どもを見たことであろうか。来世において彼等を待つところのものは、真におそるべきものだからである。これら密教の魅力は、世間を新しい眼で見ることを教えるその秘伝にあるとも考えられる。それは現前の事実を未来の光に照して見せてくれる。その時、現にあるものが背景を得て丸ごと浮び上って来るのである。これはしかしわれわれが、来世そのものについては何も知らなくとも、ただ未来を認め、死を思っただけで見ることの出来たことなのである。

    三

 しかしながら、これは同じことであろうか。われわれによって知られた未来というようなものは、既に将来であって、未来ではないとも考えられる。しかしながら、ギリシア劇の場合を考えてみると、未来を知っているのはわれわれ観衆であって、劇中人物ではないのである。そして両者の立場は全く別なのである。現に進行しつつある劇中の事件に対しては、われわれは全くの局外者であって、これに干渉を加えることは出来ない。われわれはちょうどカッサンドラのように、人々の運命を知っていても、これを当人に告げ知らせることは出来ないのである。死がいま生きているわれわれのところになく、未来が現在しないように、われわれもまた劇中には存在しないのである。ただ生と死、現在と未来とは時所を全く異にするけれども、悲劇は現在すぐわれわれの面前で行われている点が、違うといえば違う点である。しかし劇の事件に対してわれわれは一指も触れることが出来ず、われわれと劇との間には絶対の隔絶がある点は、生と死、現在と未来との間と全く同じである。未来は現在われわれにとってはほとんど無であるが、それ自体としては別に存在すると考えなければならぬことをわれわれは見たのであるが、その別の存在は劇に対するわれわれの存在に似たものがあると言うことが出来るであろう。

 すると、将来はどうなるのであろうか。それは劇のうちに現在と共に与えられていると言わなければならない。この点、厳密に言うと、プロロゴスも劇中人物たるヘルメスによって語られている限り、これを将来に関するものと見なければならない。『イオン』はこの点において興味ある展開を示している。というのは、事件は必ずしもヘルメスの述べたアポロンの計画通りには進まないからである。クストスは「ここを出て最初に出会う男がお前の息子だ」という神託を得て、アポロンの社から出て来ると、そこにイオンを見つけ、これに「わが子よ」と呼びかけることになる。これはまさにアポロンの計画通りである。しかしイオンはこの呼びかけに当惑しながらも、アポロンの神託を聞かされて、いままで両親を知らなかった孤児が本当の父親に引き合わされたのだと信じ、自分の出生について正直な打明話をクストスにもとめる。クストス夫妻には今まで子がなかったのであるから、イオンがクストスの実子だとすると、彼はクストスの秘密の子でなければならないからである。敏感なイオンはこのことをすぐに推察した。しかしながら、同じ疑惑と推察は、侍女から事の顛末を聞いたクストスの妻クレウサの胸にも生じなければならなかった。そして老僕はその推察を事実それに違いないと口外し、エレクテウスの家は他国人のクストスが賤しい女に生ませた子供の手に渡すことは出来ないと主張する。主従はイオンを亡き者にしようと謀り、老僕はイオンをその養子披露宴において毒殺しようとするが、その計画が破れて捕えられ、イオンはクレウサをも捕えて、神宮に仕える者を神聖の場所で殺害しようとした大罪人というので、これを極刑に処そうとする。ことここに至っては、アポロンの最初の計画は実行不可能である。アポロンは巫女に命じて、イオンが捨てられていた時の衣類をもって出て、イオンを拾った時の事情を語らせる。クレウサはそれによってたちまちイオンが自分の子であることを悟り、イオンはなお疑うけれども、最後にこれを認める。しかし今度は誰が父親なのかという疑問に苦しめられ、母親に本当のことを話してくれと頼み、アポロンが父親だと知らされるけれども、なかなか信じられない。アポロンに直接聞きただそうとする時、アテナがアポロンの代りに現われて、クレウサの言うのは事実だと保証し、アポロンの意志は、イオンをクストスの子としてエレクテウスの家系を嗣がせようとするにあったこと、母子の関係はアテナイへ行ってから明かすはずであったが、途中で面倒が起り、お前たちの一命が危くなったので、やむを得ず今これを明かす次第だと告げる。ここにおいて母子は一切を了解し、今までアポロンを怨んでいたクレウサも、今はよろこんでアポロンを讃美する。アテナはこれに対して、「神々の業はいつもこの通りだ。何か時間のかかることがあっても、結局は効力をあらわす」( 一六一四−五 )と教える。

 ヘルメスの予告が将来的なものであることは、かくて今や明らかである。アポロンは途中で計画の変更を余儀なくされ、アテナが現われてその点の説明を行わねばならなくなった。これは作品の破綻ではなく、劇そのものの展開に伴う必然である。エウリピデスはこれと同じことを『ヒッポリュトス』においても試みている。そこでも最初にアプロディテが現われて、ヒッポリュトスの処罰を予言し、すべてはその言のごとくに行われてゆくが、最後において修正が加わり、アルテミスが現われて、これに解決を与える。内容は全く異るが、形式はよく似ている。劇中に現われて、人事に干渉する時、神々の計画といえども「時間をとり」( χρόνια )、未来によって否定される。結局最後まで残るのは神の裁きだけである。あるいは神の正義だけである。それはしかし単なる未来ではなく、むしろ永遠と呼ばれるべきものなのであろう。これに対して、クレウサ主従がイオン謀殺によってエレクテウスの家を守ろうとする計画は、何というはかなさであろう。これが人間業なのである。しかしこの人間業がアポロンの計画を齟齬させるのである。神の正義は不変であるとしても、その業が時間をとって現われる時には、紆余曲折をまぬかれないのである。そしてそこには人間業におけるがごとく、未来と将来の区別が出て来ることを知らねばならぬ。

    四

 しかしながら、未来と将来は果してどこまでも区別されなければならないものなのであろうか。将に来らんとして現にあるからといって、ものは必ずしもすべて来るのではないということは確かである。しかしながら、将に来らんとして現にあるものが、やがて事実となって来ることのあるのも事実である。このような場合には、将に来ようとしているものが、そのままやがて来るものとなるのではないだろうか。われわれが現にあるところのものも、かつてはわれわれの希望に過ぎなかった。無論、いざ来てみると、現在は昔ひとが恐れたり、喜んだりして考えていたものとは、全く違うようにも思われる。しかし昔の希望は現在においてその幾分なりとも実現され、その限りにおいて、昔と今との間には連続が認められるのではないだろうか。やがて来たものは、将に来らんとしていたものとひとつだったのである。人生において何かが成就される限り、われわれは未来と将来はひとつであると言わなければならない。事実、人々は両者の間に区別を設けないのが普通である。われわれは強いて異を立てようとしていたのではないだろうか。しかしわれわれの区別もまた人生の他の事実を根拠とするものであった。われわれは現在が昔の希望であったということについて、もっとよく考えてみなければならない。

 まず注意されることは、現にあるものが既に過去において始められたのであり、昔の希望が今ここに実現されていると考える場合にも、昔と今がやはり区別されていて、ひとつではないということである。事実、それがひとつであったなら、すべては今だけになり、昔というものはなかったであろう。現にわれわれはすべてをもっている。しかし昔は僅かにその端緒をもっていたに過ぎない。人々は創業時代の苦心を語り、先覚者の犠牲を悼む。政治においても、他の文化においても、現にわれわれがもっているものは、そのはじめただ少数者の所有であり、その存在は困難であったことを知らねばならぬ。現にあるものは、昔から今のままにあったのではない。今は昔の否定によってあると言わなければならない。この点、現在を中心に過去をふりかえる時、ひとは過去において始まった現在だけを求めて、むしろ過去にあって現在を否定していたいっそう有力な他の存在を見落してしまう危険が少なくない。その時すべては現在となり、歴史は見失われてしまう。現在中心の内在論は必然に歴史を観念化する。しかしながら、過去において将に来らんとしていたものは無数にあり、現在とは逆の端緒も既に与えられていたのである。従って、明日ともなれば、また別の先覚者や先駆者が遠い過去から無数に発見されるであろう。今日の否定者である明日も、既に遠い過去に存在し始めたものとして、自己をそのような始源に連続させるであろう。このような連続も一面の事実に相違ないが、しかしそれだけを引き離して、他のものを無視し、自己の現在と、この現在を準備したもののみがすべてであり、道はこの連続ひとつだけであると考えるならば、それは自分の気に入ったものだけを見、都合の悪いことはすべて見ない工夫をして、そこに自己の安心を求める悪しき精神家の観念論となるであろう。現在が昔の希望そのままであって、将に来らんとしていたものはやがて来たものと同じであるというようなことを言うのは、現在に眼を塞がれて、昔を忘れてしまった結果であると言わなければならない。過去を現在に内在化すると同じように、未来を現在に内在化すれば、そこに将来が生れて来る。その時、将来は現在において過去と連続し、すべてが現在となる。かかる現在は瞬間ではない。むしろこのような持続そのものであり、内在化された全世界なのである。しかしこのような現在が絶対化される時、すなわち過去と未来との独立が否定される時、内在論は観念論となる。

 現在がいつ始まったかと考えるならば、ひとは今昔の感に堪えないであろう。世界を変革させた者は、そのはじめ常に少数者であった。あるいは狂人として、あるいは叛逆者として、それらの少数者はほとんど世間に容れられなかったのである。彼等の最後は自殺であったり、死刑であったりする。しかし彼等さえもすべての始源ではなかった。われわれは現在のはじめを更に遠く、さらに微細なところに求めることが出来る。ごく静かな言葉が暴風雨を呼び、世界を導く思想は鳩の足どりで来ると言われるが、現在はまさにそれとも見えないようなところから始まっているのである。しかしそれが一度はじまれば、過去の打撃がどんなに深刻であり、現在の不幸がどんなに苛酷であったとしても、ひとはそれらを忘却して新しい希望に生きるであろう。そこに新生が始まるのである。ちょうどあらたに愛の対象を見つけ出した人のように、相貌は一変し、眼は深く美しく輝き始める。生命の奥底に光明が点じられたのである。それは始めから既存のものとは別である。現在は始めから過去の否定なのである。独立の別存在なのである。その出発点は絶対であり、独自であり、自由である。してみれば、未来もまたいま既に始まっているかも知れないが、しかしそれは現在の延長としてではなく、かえって現在の否定としてなのである。しかしながら、現在の否定もいま既に始まっているのでは、もはや現在であって、未来ではないであろう。現在の否定が現存するということは矛盾であり、不可能であるとも言える。現にあるものはすべて現在なのである。しかしそれがやがて現在を否定すると言われるかも知れない。しかしやがての否定は、いかにして現在に連続するであろうか。そして、「やがて」が「すでに」となるであろうか。現在に与えられているものは端緒であって、未来ではない。しかもそれらが端緒となるのは、未来からであって、今からではない。現在だけから見れば、それは単なる現在であって、他の何ものの端緒でもない。それにもかかわらず、われわれはそこに端緒を見る。未来は未だないにもかかわらず、未来によって始めて端緒となるべきものを見る。それは現在だけがすべてではなく、未来も過去も別にあり、現在において直接それを捉えることは出来ないけれども、内在化によって、これを将来として、希望として捉えているが故に、このような矛盾が可能となり、現にないものの端緒が与えられるのであろう。しかし既に見られたように、端緒は無数にあり、ものは将に生じようとして現にあるとしても、そのすべてが必ずしも生ずるのではないから、現在を出発点にしてどこまで行っても、われわれは未来には到達しないであろう。われわれはつねに現在のうちにある。未来はわれわれの希望いかんにかかわらず、いわば向うから来る。未来は現在に対してどこまでも超越的である。

    五

 しかしながら、現在が過去と別であり、未来が現在とは別であるとすれば、どうして現在は過去となり、未来は現在となるのであろうか。またいかにして未来はやがて来るのであろうか。それはわれわれの言葉だけのことであって、事実ではないとも考えられる。エレア派の論理をもってすれば、過去となったものは現在ではなく、現在となったものは未来ではないからである。しかし問題は、このような論理だけで片づくほど単純ではないように思われる。プラトンは『パルメニデス』( 一五五E−一五七B )のなかでちょうどこれに関連した問題を取扱っている。それはひとつのものが動でもあり、静でもあり、一でもあり、多でもあり、大でもあり、小でもあり、同でもあり、不同でもあり、有でもあり、無でもあるというような結論が出て来た時に、それはどうして可能かと問うことに始まっている。それは言うまでもなく、同時には不可能である。われわれはこれを別々の時間に配当しなければならない。たとえば動と静について、われわれは同じものが同時に同じところで同じものに対して動いてもいるし、止まってもいると言うことは出来ない。われわれはこれを別々の時に配当して、前に動いていたものが今は静止しているとか、今まで静止していたものが今は動いているとか言わなければならない。そしてその間に変化が起ったと考える。しかし変化( μεταβολή )とは何であるか。それはひとつの性質なり、規定なりを具有( μετέχειν )していたものが、それを手放して、他の規定を取り、これを具有するに至ることである。ところで、このような変化は、ものがなお動いている時には、未だ生じないのであり、既に静止してしまっていては、もはや見られないのである。ところが、この動から静への変化について、われわれはその変化が生じつつある時、すなわち動を離れて、しかも未だ静に至らぬ時、動でもなければ静でもない時、そういう時を発見することは出来ないのである。どの時を取ってみても、それは動いているか、もしくは静止している。われわれは動いているものについて、これを時間中に追跡しても、決して静に到達することはないであろう。動と静とは別々の時間のうちにあって、その間には時間の連絡がないのである。しかし変化というものがあるとすれば、それは動と静との中間において、動でも静でもない時を考えなければならない。しかしそのような時は時間のうちにはないのである。変化の行われるこの奇妙な時( τό ἄτοπον ἐν ᾧ τότ' ἄν εἴη,  ὅτε μεταβάλλει )それがプラトンの τό εξαίφνης と呼んだところのものである。それはものが何ものをも具有せず、何ものでもない瞬間であって、その無規定性の故に、われわれはこれを無の時間、純粋素材の時間と呼ぶことが出来るであろう。しかし厳密には、無論、これは時間ではない。註釈家はこれを時間ではなくて、時間の限界をなすものだと言っている(*)。ちょうどそれは点が線の限界となっているようなものだと考えることが出来る。そしてこれはちょうどアリストテレスのいう「今」( νῦν )に当ると言われる。しかしプラトンの言葉の意味は「にわかに」「たちまち」「忽然」などというところであろう。

(*)シンプリキオスは、『アリストテレス自然哲学註釈』( ed. H. Diels, p. 982. 2 )のなかで、変化が完了されるのは、時間においてではなく、時間の不可分なる限界、すなわち「今」においてであるが、プラトンはこれを「忽然」と呼んだ旨を記している。時間の不可分なる限界ということについては、ちょうどアリストテレスのうちに、「今」は部分に分たれないもの( Physica 233b 33 )であると共に、それ自体がまた時間の部分とはならぬこと、あたかも点が線の部分ではないようなものだ( Physica 220a 18-20 )と言われている。

 われわれの問題にとって重要なのは、変化の時間がないということである。プラトンによれば、「ものが動いてもいなければ、静止もしないでいられる時間というものは決してない」(一五六C)のである。しかも既に見られたように、変化はこのような無規定を必要とし、まさにそれによって変化するのである。しかしそれはプラトンが繰り返し強調しているように、「時間のうちにはない」のである。このいわゆる無時間性( άχρονον )(*)はいかに解すべきものであろうか。われわれはこれをいわゆるイデアや数学的対象がもっているところの超時間性、あるいは永遠性と同一視することは出来ない。われわれが取扱っているのは、今まで動いていたのに、今は静止していると言われるような変化であり、プラトンもこれの取扱いに時間( μετέχον χρόνου, 155E )を前提し、時間の導入によって、同一物が動静二つの規定をもつことの困難を解決しようとしていたからである。変化が時間的なことは疑いない。しかし変化そのものが行われる時間はないのである。これはどういうことなのであろうか。振子の運動を見ていると、上へのぼる時と下へ降る時とが区別される。いまそれが最高点までのぼると、すぐに降り始めるが、この上昇と下降の間には少しの暇もないと考えられる。上昇は「たちまち」下降に変るのである(**)。しかしながら、プラトンの考えでは、変化は変化の過程なしには不可能( οὐδέ μήν μεταβάλλει ἄνευ τού μεταβάλλειν, 156C )である。従って、変化の過程を抜かして、ただ上昇がすぐに下降となると言っただけでは、われわれは未だ変化を理解することは出来ない。上昇と下降、動と静の中間に、われわれはそのどちらでもない過程を考えなければならなかった。われわれは上昇が「たちまち」下降になる、その「たちまち」の間に変化が行われると考えた。しかし「たちまちの間」というような間は存在しないのである。すなわち時間というものは常にこのような間なのである。昔と今、昨日と今日、さっきと今というようなものの間なのである。しかし「たちまち」はこのような間ではない。どんな僅かの間でもない。だから、「たちまち」は時間ではなく、変化は時間のうちには行われないのである。すると、「たちまち」は何なのであろうか。それは時間ではないが、またしかし時間と全く無関係でもない。これを瞬間、刹那と解すること、すなわちアリストテレスの「今」と解することは、この場合最も適切であるとも考えられる。それは時間ではないが、時間の限界、区分点のごときものと考えられる。それは点が部分をもたないように、不可分と考えられる。けだし部分をもつことは、時間的延長をもつことにほかならないからである。「たちまち」は一瞬にして終り、これを部分に分けることは出来ない。しかもその「たちまち」において変化は完了するのである。従ってわれわれは、変化が時間中に行われないということを、何か超越的なことと見るべきではなく、それが少しも時間のかからない ものであること(***)、すなわち変化は時間的延長なしに行われるという意味に解すべきであろう。事実、動がたちまち静になるというのはそのことなのである。しかしながら、変化を瞬間において成るものと考えることは、変化無時間性の条件を一応満足させると共に、他方また変化の理解を容易にする長所をもつとは考えられるのであるが、しかし分りやすいことは必ずしも理解の徹底を意味しない。瞬間という考えだけでは、われわれは変化の過程において、ものが動でもなければ、静でもなくなるという他の一面を見落してしまうことになる。振子は上昇からすぐに下降する、その間に少しの暇もないとだけ考えてしまう。しかしながら、変化は無時間的だとしても、無媒介ではないのである。瞬間はこの無規定になる過程を通り越してしまう。そしてそれは時間でもなければ、時間の部分−それはつねに時間である−でもないと言われながら、瞬間という言葉が示しているように、なお時間的延長をもつものと考えられやすい。プラトンの τό έξαίφνης をわれわれの問題に役立てるためには、われわれはこれを「瞬間」におき代えるだけで満足することは出来ない。

(*)  ダマスキオスのパルメニデス研究書中に見出す言葉。W. W. Waddell, The Parmenides of Plato, 1894, notes, p. 159 参照。
(**) A. E. Taylor, The Parmenides of Plato, 1934, p. 94 foot-note.
(***)F. M. Cornford, Plato and Parmenides, 1939, pp. 200-201 は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』( 一一七四b七 )などを援用して、 έν χρόνψ は taking ( a length of )time の義であるとして、この言葉の出て来る四つの場合全部に、 occupy time  という訳を当てている。これはすでにテイラーが前掲書で、一五六E一の訳に試みたことであり、一五六C六の there is no duration through which ・・・という訳もテイラーと同じであるが、これは前註で触れた振子の例を用いる説明中の言い方にも一致するので、コンフォードはテイラーの解釈をいっそう分りやすく徹底させたのではないかと思われる。しかしながら一つの解釈ですべての場合を片づけてしまうことは、訳を平易にするが、原文のもっている問題をなくしてしまうことにもなる。ここではその問題が大事なのであるから、コンフォードの訳は立派な試みではあるが、今は従うことが出来ない。他の訳者は昔からいずれも原文をそのまま直訳している。

    六

 われわれの問題はいったい何であったか。それは未来がどうして現在となり、現在がまたどうして過去になるかという問題なのである。そしてこのようなことが問題となったのは、未来が始めから現在とは異り、現在も過去とは全く異り、それはむしろ互いに否定し合うものだということが明らかにされたためであった。しかしながら、いまわれわれはプラトンから「たちまち」ということを学んだのである。未来はたちまち現在となり、現在はたちまち過去となると考えることは、もはやわれわれにとって困難でない。かえって未来と現在とは全く別の存在であるから、われわれは「たちまち」以外に連絡の方途を認めることが出来ないのである。現在に立つ限り、どこまで行っても現在だけで、われわれは決して未来に到達することが出来ない。未来と現在とは永久に交わることのない平行線のように、現在はいつまでも現在であり、未来はどこまでも未来である。未来が現在に続くというような、単純な想像は許されないのである。両者の連絡をつけるためには、現在を見すてて未来へわれわれが飛びうつらなければならない。それはしかし連絡ではないのである。われわれは現在を離れ、しかもなお未来ではないところを通らなければならない。未来は死後にわれわれを待つものと考えられたが、われわれは現在から未来へ飛びうつるためには、実に死をもってしなければならないのである。その死は、厳密には、現在でもなければ、未来でもなく、しかもいかなる時間のうちにもないものなのである。まことに死の時間は存在しないのである。それは「たちまち」のことだと言わなければならない。われわれはこのような「たちまち」なしには、現在と未来との間を理解することは出来ないであろう。両者は絶対の断絶であって、その間には、「たちまち」が存するのみである。

 このことは、しかしながら、プラトンの「たちまち」を「今」と見ることの不可を教えるようにも思われる。現在は未来と過去をつなぐ一点と考えられる。そしてその現在を一瞬の「今」と解する時、われわれはそこに時間の不可分な限界を得る。これが静動の変化を一応説明し、「たちまち」に代わり得たことは、既に見た通りである。しかしながら、この今は未来と過去を一直線に連続させるけれども、両者の断絶に少しも触れることがないことは、これまた既に注意したごとくである。それは従って、本来の意味における変化を理解させることが出来ない。動と静のごとく、相反し相矛盾するものの間にこそ変化は生ずるのに、それはかかる矛盾を全く無視して、相反するものを始めから同じ方向に走っている列車のように、ただ一直線に連続させるに過ぎないからである。プラトンも同じ『パルメニデス』( 一五二AE )のなかで、ちょうどそのような場合のためには「今」を用いている。プラトンはそこで、ものが時間の経過と共に、たえず古くなって行くし、またつねに古くあるということを、ものとそれ自体との関係から述べようとしているのであるが、その場合、ものが古く「なり行く」ことから、古く「ある」ことに移るために、「なり行き」をやめるのは、ものにおける時間の経過が、過去から未来にわたって、ちょうどその中間にある「今」を通過し、ものがその「今」にぶつかる場合においてであることを明らかにしている。つまり「今」は、古く“なり行く”ものが、既に古く“ある”ための条件であって、別に新しいものが古くなったり、古いものが新しくなったりするための条件ではないのである。しかもプラトンが同所( 一五二C )で注意しているように、時間の経過が過去と未来の間ではなくて、現在と未来との間に考えられる場合には、「今」はついに用をなさないのである。しかしながら、われわれの問題はちょうどその未来と現在との間にあったのである。これに対して「今」は用いることが出来ないけれども、「たちまち」は用をなすのである。われわれは両者の区別を知らなければならぬ。

    七

 ところで、未来と現在との間にはこのような「たちまち」があるばかりで、両者は全く別の存在だとすると、われわれは現在のままでは、どこまで行っても未来に到達し得ないことは、既に見られた通りである。未来は死後においてわれわれを待つところのものなのである。われわれは死によるのほか未来に到ることは出来ない。しかしながら、エピクロスの言うところでは、死の到来と共にわれわれは存在を失わなければならないのである。無論、そこに失われる存在とは現在のことに過ぎないかも知れない。エピクロスの言葉は、未来を得る者は現在を失うという意味にも解される。しかしながら、現在を全く失って未来にある時、それは未来が未来にあるだけで、われわれは現在から未来に到達したというようなことが言えないかも知れぬ。もしわれわれが死と共に、いわゆる忘却( Λήθη )の水をのんで、現世のことを全く忘れてしまったとするならば、知り得るところは来世だけで、しかもそれが来世であることを悟り得ないであろう。それは全く別の人間が私の代りに現世にあるのと何のかわりもないであろう。われわれは来世において現世の自己が何らかの形で存続することを求める。忘却の水を飲まされずに、自分が前世を記憶していることを求める。オルペウス教は信徒にのみこのことを約束したのであるが、それはつまり永生の約束であり、いわゆる霊魂不滅の真義なのである。しかしながら、未来において現在を記憶することが可能ならば、現在において未来を予知することもまた可能でなければならない。しかしながら、未だ来らざるものをわれわれはどうして知ることが出来るのか。待っていても、いつまでたっても来ないものを、われわれはどうして捉えるのか。現在のうちに坐して、空しく待つのでは、明らかに不可能である。しかしながら、現在から未来に到るには、現在を見すてて未来へ、われわれが自分で飛びうつらなければならないことを既にわれわれは見た。死の到来を待たずに未来を知る方法は、それより外にはない。それは自殺ではないが、μελέτη θανάτου すなわち死の練習( meditatio mortis )なのである。しかしそれはどうすることなのであろうか。またいかにしてそれは可能なのであろうか。

 まず後者の問題から考えてみる。既に言われたように、未来と現在とは全く別の存在であって、その間には「たちまち」以外の連絡はないのである。否、「たちまち」はかえって無連絡なのであった。従ってわれわれは、未来が現在の後に続くというようなことを考えるには及ばないのである。否、かかる連続は不可能なのである。従ってわれわれは未来へ飛びうつるのに、何も現在の終りを待つには及ばないのである。死を待つには及ばないのである。われわれは現在ただ今において、未来へ飛びうつることが出来るのである。既に見られたように、現在は過去に始まっているのである。未来もまた既に現在において始められ得るのである。従ってわれわれは、現在において未来を捉えることが必ずしも不可能ではないと考え得る。しかしながら、無論それは現在にこのまま止まってではない。われわれは現在を見すてて未来へと向わなければならない。いわゆる回心を必要とするのである。しかしながら、われわれは現在を全く離れてしまうことは出来ない。死んでしまうことは出来ない。ただ出来るだけ現在を離れて、出来るだけ死の近くに生きるより外はない、しかしながら、未来の立場からすれば、「いまの生はすなわち死であって、死がかえってかの世の生と認められるかも知れない」(*)から、われわれはそれによってより多く未来に生きるのだと言うことが出来る。まことに、未来に生きる者は現在において死ななければならない。

(*)Euripides, Polyidus Fr. 638. 

 しかしながら、現在にあって、未来に生きるというのはどういうことなのであろうか。それは肉体的に未来に生きるということではない。それは明らかに不可能である。むしろ精神において未来に生きるということでなければならない。しかしそれはどういうことなのであろうか。それはある意味において、まず希望に生きるということである。無論、希望は将来的なものであり、既に現在の一部であって、未来には続かないと考えられる。しかしながら、希望については二つの場合が区別されなければならない。ひとつは現在を中心に、それの単なる延長として発展する希望である。これは明らかに将来である。しかしながら、われわれは最初に現在を見すてたのである。そして未来に飛びうつる。その未来は、われわれがなお現在にある限り、未来のままではわれわれに与えられないから、内在化によって、希望として存在する。これは現在の延長ではなくて、かえってその否定を出発点とするものなのである。そしてこの希望がわれわれの現在の生活の中心であり、いわば生命なのである。すなわちこの希望あるが故にわれわれは、現在の不幸も過去の打撃も忘れて生活することが出来るのである。ところが、前者にあっては、生活の中心は現在の所有そのものにあり、決して希望にはない。希望は現在の余光であり、現にあるものから充ち溢れた流出物に過ぎない。これは現在からの希望なのであるが、かれは未来からの希望なのである。現在において、われわれは二つの生活を区別することが出来る。ひとつは現在に生きる人の生活であって、もうひとつは未来に生きる人の生活である。この二つの生活は互いに対立し、一方は「それ見よ」といい、他方は「いまに見よ」という。前者は現在だけの一重の生活であるが、後者は現在の奥底に未来をもつ二重の生活なのである。そして予言者や先覚者はかかる二重生活者であると言うことが出来る。われわれは動静の変化については、別にその基体となるものを問題にしなかった。しかしながら、現在から未来に到る変化においては、来世のために霊魂不滅を必要としたように、われわれ自身のうちにかかる変化の主体を求めなければならない。全く別の存在である現在から未来に飛びうつるわれわれ自身が何であるかを問わなければならない。かかる生死と現在未来にわたるもの、絶対の断絶を超えるもの、それは何であるか。それはわれわれに二重の生活を許し、現在において未来を思わせるものでなければならない。それは未来に生きる者の「いのち」であり、永生の主体である。われわれはここに ψυχή の問題の重要性を思う。

    八

 しかしながら、この問題は、このままの形では、現代のわれわれの同情を獲ち得ることは困難であろう。むしろわれわれはエピクロスと共に、肉体の亡びる時、精神もまた散佚して、そこにはもはやなんらの知覚も存しないと考えるであろう。そしてその故に「死は私たちにとって何でもないものなのです」という主張を、ごく当り前のことであるとして受け容れるであろう。むしろわれわれにとっては、このような平凡な主張がエピクロス派の四大福音( τετραφάρμακος )のうちに数えられ、エピクロスやルクレティウス(*)が、これの証明に多大の努力をしているということが、何故であるか理解できないくらいである。彼等の時代にあっては、霊魂の死滅は決して自明のことではなく、人人(原文ママ)はむしろその反対を信じたと言うべきであろう。そして死後の生存についての昔からの語りつたえは、既にプラトンの引用に見られたように、人々の不安の種であった。エピクロスの教説はかかる人々のための福音なのであった。しかしながら、始めからいわゆる霊魂不滅の教説に対してあまり同情をもつことの出来ないわれわれにとっては、それは大した福音にはならないと考えられる。むしろ自分の存在を失うこと、そのことに恐れを感じなければならない時、エピクロスの教説は福音の正反対となるであろう。自分が存在しなくなれば、いかなる災悪をも感知しないであろうから、それは何の悪いこともないなどという主張(**)は、ただ悪い冗談として聞かれるに過ぎない。自分が存在しなくなるということ以上の不幸はないのであるから、死んでしまえばその不幸を感じなくなると言われたところで、それは別に有難い慰めにはならない。

(*) Lucretius, De rerum natura III. 416-1094. 
(**)前掲メノイケウス宛の書簡( 一二四−一二五 )において、エピクロスは「いいも悪いも物ごころあってのことなのですが、死はこの物ごころを奪い取ってしまうものなのです。だから、死は私たちにとって何でもないものなのだという正しい知見があれば、死すべきいのちも苦にはなりません云々」と述べている。

 エピクロスの教えは、未来の否定によって、われわれを現在へつれ戻すものとも解されるであろう。しかしながら、それは死を否定し得ないから、現在を完全に救うことは出来ない。実をいえば、それが否定したのは、未来についてのわれわれの予想であって、未来そのものではない。死後において何らの知覚も存しないということが、またひとつの未来となるからである。現にあるものはやがて失わなければならない。文字通りの先覚者であったプロメテウスは、全世界の支配者として権力の絶頂にあるゼウスが、やがて没落しなければならないことを知っていた。だから彼は、現在はゼウスの囚人として、何ものも所有してはいなかったけれども、全世界の所有者たるゼウスに対立して、一歩も譲らなかったのである。彼の頼むところは何であったか。それは未来であり、未来を知っているということが、彼をゼウスに対立させた唯一の強みなのである。そしてそれはプロメテウスの後裔たるすべての先覚者の強みなのである。現実主義に対する理想主義の対立は、現在に生きる者と未来に生きる者の対立とも考えられている。理想に生きる者は、現実に甘んじ得ないから、現実否定の精神において、未来を待望すると言うことが出来る。しかし未来が直ちに理想なのではない。希望が直ちに理想なのではない。未来は単なる未来としては、現在と同じように、頼りないものなのである。未来をたのむ者の希望は、現在に生きる者の眼には、現実にもとづかぬ空想としか思われない。それは現実に破れてしまう。未来の希望は理想によって、はじめて安定を得る。しかし未来に生きる者の希望は、必ずしもそのすべてが理想によって支持されているのではない。理想はやがてあるだけでなく、現にあり、また過去にあったものなのである。否、それはむしろ永遠なるものとして、時間のうちにはないと言うべきである。それの把握はイデアの把握なのである。そしてそれが真の未来の知識となる。プロメテウスは単なる希望に生きたのではなく、知識に生きたのである。その知識は、しかしながら、実際には無智の智のごときものであり、現実家を真に現実的にするものだということを知らなければならない。
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【田中美知太郎「時間」1943年(『ロゴスとイデア』より)】
発表:1943(昭和18)年4月『思想』
所収:1947(昭和22)年9月『ロゴスとイデア』岩波書店 
今回の引用:
1)1968(昭和43)年10月『田中美知太郎全集第一巻』筑摩書房. pp. 33-57.
2)2014年(平成26年)6月『ロゴスとイデア』文春学藝ライブラリー. pp. 47-65. 
3)1947年第1刷1977年第3刷『ロゴスとイデア』岩波書店. pp. 37-69.
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