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まずは立派な“駒”になりたい

最近、このようなポストをXで見かけた。

私はこの投稿から母を思い出した。

母はもう定年退職をしたが、大学を卒業してから長く小学校の教員を勤めていた。退職後も請われて非常勤講師をしていたので40年以上は教壇に立っていたのではないだろうか。
フルタイムではないが、今も元気に近くの日本語学校で働いている。根っからの働きものだ。

母は私の母でもあったが、誰かの先生でもあった。時として、自分の息子よりも優先しなければならない時があった。

幼い頃、平日に母と話した記憶は少ない。
私がまだ幼かった頃は、朝は祖父母の家に預けられた。保育園に送ってくれるのも迎えに来てくれるのも祖父。小学校に上がってからも毎日祖父母の家に帰って、宿題をし、晩ご飯を食べていた。

母が迎えに来るのは空が暗くなってからだった。祖父母の家から駐車場まで向かう数十メートルの真っ暗な道で、母と2人歩いたのをよく覚えている。
携帯もまだ普及していなかった時代。あの時間だけは母を独占できた。

母は家に帰ってから、また土日も、仕事をしていた。テストの丸つけや、作文や習字のコンクールにクラス代表作品の選定、学期末になれば内容が被らないように注意しながら「手書きで」一人ひとりにメッセージを書いていた。

深夜、早朝、休日、家の電話が鳴り、その相手が保護者と分かると、母は声を1オクターブ高くして応対していた。
子どもの頃はそれがとても寂しかった。「お母さんは自分の子どもよりも人の子どもを優先している」と言ってしまった後、母が私に見せた顔が忘れられない。思い出したら自分の不甲斐なさで泣けてきた。

母には「勤勉」という言葉がよく似合う。時々休みの日に学校に連れて行ってもらったり、母の上司・同僚の先生と会話する機会があった。息子のひいき目を抜きにしても、教え子に愛され、保護者から信頼され、同僚から頼られ、上司から重宝されされていたのが分かった。学校の先生は母にとって天職だと思っていた。

そんな母は、私が就職するに際して、
「所詮は“駒”だからね」
というなんとも素敵な花向けの言葉を贈ってくれた。

最初、我が母が発した言葉とは思えなかった。今にして思えば、母はきっと分かっていたのだろう。
時の政治家による法改正や学習指導要領の改正だったり、母のキャリアの終盤に登場した「モンスターペアレント」だったり、と。
全部分かっていたうえで、「あるべき学校の先生」を全力で果たしていたのだろう。

母は自覚して全力で“駒”を果たしていた。
自分なんかまだまだ足元にも及ばない。至らぬところばかりである。「スモールビジネスを持って経済的な自由を!」という言葉には惹かれるが、まだまだ社会人として基礎的な素養が足りないなと思う。駒にもなれていないのにその先を見るのはまだ早い、と気づいた。

当たり前のことを当たり前に。
最近、周りの凄い人たちを見て少しハートブレイキング中であるが、人は人、私は私。しっかり足元を固めていきたいなと思った。

それはそれとして、本当に教員の皆さんの働き方は改善されてほしい!と切に願う!!
我が子と触れ合う時間を!誰にも邪魔されず、1秒でも長く!全ての教員の皆さんに!

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