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私の好きなもの「堂場瞬一」作品

今日も買ってしまった堂場瞬一作品。
文春文庫から出している中年刑事・岩倉剛が活躍する「ラストライン」シリーズの最新作を1冊と、ハルキ文庫から出版している新聞記者が活躍する(という)「沈黙の終わり」上下巻の計3冊。

私は堂場瞬一の作品が好きだ。
堂場瞬一作品は「記者」「警察」「スポーツ」の三本柱にほぼ分類される。私が買うのは、「記者」「警察」もののどちらかだ。特に警察ものがたまらなく好きだ。
書店に行ったら必ず文庫棚を覗くし、そこでは必ず堂場瞬一の最新作を探す。「この作品は読んだことない」と思ったら、迷わず買う。

私の本棚には堂場瞬一作品が何冊あるのだろうか。
このnoteを書くために作業部屋に入って本棚の右端から数えてみた。
「2、4、6、8、10、2、4、6、8、10、2、4、6、8、10、、、あああああ」
私の悲鳴につられて、「どうしたの!?!?」と虫嫌いな妻が最悪の想像をして大きな声を出す。

「沈黙の終わり」上下巻、既に買っていた。
新しく買った順番に本棚の左から並べる私。本棚の一番左端に、「沈黙の終わり」上下巻が並んでいるのを発見した。
何回目だよ。記憶にあるだけで3回目だよ。チキショウ。
(堂場瞬一作品が何作あるか数えるのは結局やめてしまった。ざっと40冊ぐらいだろうか?)

と、私はこれぐらい、堂場瞬一作品が好きだ。未読の新刊を見つければすぐに買ってしまう。家にあるかどうかではなく。いったん手を止めて、ネット書店で買ったっていいのに。本はすぐに自分のものにしたいのだ。

ちなみに、ラストラインシリーズの最新刊は、帰宅して約3時間で読み終えた。
今回も実に良かった。

堂場瞬一作品は何が良いのだろうか。
私が特に好んで買うのは「警察」ものだとは先に書いたが、とてもリアリティがある。
私はそこに登場する主人公である警察官の心の動きをとてもリアルに想像することができる。
なぜならば、私は約5年間と短い新聞記者生活の中で、キャリアの多くを警察取材に費やしてきたからだ。

デキがいい記者だったわけではない。ただ、毎日、警察官と相対するうちに、「警察官」の中身である人間を突き動かすものはなんなのか。が多少なりとも見えるようになった。さらには警察官の階級や、組織構造、逮捕から起訴までの流れ、も知識として身につけている。

そんな人間が読む堂場瞬一作品は「フィクション」ということを差し引いても、とてもリアリティがある。
堂場瞬一の警察ものを読むと、事件現場や、所轄警察署の特別捜査本部が頭の中に展開し、所轄警察署の刑事課長と捜査員の会話が輪郭と熱を持って再現される。

たまに別の方が書いている警察ものを読むと、「この階級、ポジションの人が現場の捜査に出ることはあり得ない」「公安警察にいろいろ背負わせすぎでしょ」と、いろいろ突っ込みたくなるとっぴな設定に出会う。

それはそれで面白い。だってフィクションだから。何を起こしたっていい、と思う。
ただ、半端にでも知識があると、「想像」できなくなってしまう。
「想像」の世界、頭の中の世界だけは誰にも邪魔されないはずなのに、一番邪魔されたくないはずの自分、自分自身の知識が邪魔をするという皮肉が発生してしまう。
チキショウ。

堂場瞬一は元々、新聞記者であった。彼も警察取材の経験が長かったのだろう。警察官の心情を深く理解しているし、警察組織の仕組みに深く精通している。
そして一文一文が短くとても読みやすい。キレの良さは読者を迷子にさせず、テンポの良さは読者を飽きさせない。さすが、元新聞記者。私も見習わねば。

このような警察ものを書く小説家を私は知らない。きっといるのだろうが、堂場瞬一は筆が速すぎる。多くの出版社からどんどん新作を出すから、堂場瞬一の新作に追いつくのが精いっぱいで、他の小説家を読む時間がない。というのが実情だ。
そう、筆が速い。速すぎるのだ。そこが唯一の欠点かもしれない。追いつかない。

堂場瞬一作品はぜひ読んでほしい。まずは「ラストライン」シリーズから。
ラストラインは2018年に始まったシリーズで、中年刑事・岩倉剛が活躍する作品だ。毎年1冊ずつ、新作が発表されている。
事件に関しては自分が捜査に関わっていないものも含めて天才的な記憶力を発揮する岩倉が、若い相棒と連携しつつ「ベテランの味」を発揮して事件を解決していく。

2018年から続いているシリーズだけあって、コロナ禍も作品に反映されており、「この時はみんなで『密』を回避していたよな」「夏場のマスクって大変だったけど慣れたな」とまるで昔の日記を読んでいるような懐かしさも味わうことができる。

そういったところもリアリティがあって好きだ。コロナ禍すらストーリーに盛り込む堂場瞬一作品。ぜひ読んでみてほしい。

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