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コーヒーを淹れる自慢の息子。AIと教育の議論に終止符。

僕はコーヒーにうるさい奴です。笑
お気に入りのカフェでしかコーヒーをオーダーしません。

息子(11歳)が家でコーヒーを淹れられるようになりました。
本格的マシンでフラットホワイト(ニュージーランドで主流の飲み方)、
ペーパードリップでフィルターコーヒーを淹れられます。

好きな豆をストックしていますし、大概の外のお店で飲むよりうまいコーヒーを出してくれます。だから自慢です。

ほんと、子供は賢いです。


世の中、Chat GPT 論争で盛り上がってますね。

子供に使わせるべきか?そんな議論もよく目にします。

AIと教育。どうお考えでしょう。下のワンシーンで僕は考えました。

お読みいただけると幸いです。


僕、「O太、コーヒーつくってー。」
うちでは、彼は一杯コーヒーを作れば2ドル稼げる制度です。

O太、「えー、どっちー?」
2ドルも払ってやるって言っても子供はまあまあやる気ないです。何か欲しいものがあるとき以外は。

僕、「えーっと。フィルターで」

O太、「えーー。いいよ。」
フィルターの豆はうちでは手で引かなきゃいけませんし、マシンより時間がかかるのがこっち。えー、と言いながら、まあ、2ドル稼げるし了承。

「シャラシャラッ」と豆をスプーン一杯、グラインダーへ。

「ガラガラガラガラガラガラガラがらがらがらががらがらがらガラガラがらっガラガラガラがらがらがらがらがらっガラガラガラがらがらがらがらがら」しばらく手動でグラインド。

「シャシャッ」と量りの上に置かれたドリップポットのフィルターに、挽かれた豆を入れます。13グラムと表示されます。

すると、
O太「アレクサ、13かける15は?」

アレクサ「13かける15は195です。」
はい。アレクサはあのアレクサです。Amazon Alexa。

そこで、ポットに沸かしたお湯をまず一回し注ぐ。
30秒待って、量りが195gを示すまでお湯を注ぐ。

あとはコーヒーが落ちるのを待つ。

O太「はいっ。」
けっこう、雑に提供してきやがります。ま、親子だからな。

僕「ありがと。」
おれもけっこう雑だ。ま、金払ってるし、男だしな。

そして、そんな、コーヒーを優雅に飲む時間がとれることが幸せなわけです。


どうでしょう?

このおいしいコーヒー「アレクサ、13かける15は?」


これじゃないでしょうか。AIと教育の答え。
そこにある便利なテクノロジーは正しく使えばいいのです。
それで、とても効率的に素早くおいしいコーヒーを提供してくれる息子。
大事なのは、コーヒーを提供するという目的、いや、コーヒーも一つの手段だ、
人(僕)を幸せにするという目的。(実は2ドル稼ぐという目的っぽいことはさておき)この、人を幸せに、そして自分を幸せにすることを忘れない事がすべてなのではないだろうか。

ある人は、なんでもAIに訪ねてたら考えなくなるといいますが、僕は違うと思う。僕たちはさらに新しいことを考えられる。知的好奇心は多くを知れば、また更に多くを求める。賢い子供たちなら、なおさらだ。ちなみに掛け算九九だって、繰り返して覚えたことで、考えて7x9の答えを出さない。先人の編み出した技が共有され、生かされる点で、AIの活用と何ら変わりはないともいえないだろうか。

なんでもAIに訪ねてたら考えなくなると決めつけて、使用を禁止することこそが思考の停止。

進化した技術に合わせて、思考を進化させる。それが生きる道でしかないはずだ。

そうコーヒーを飲みながら考えた。


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p.s. このワンシーンで人を幸せに出来るものはコーヒーの提供だけ。AIも教育も関係ない。AIがあっても、教養があっても、コーヒーが作れなきゃ幸せなひとときは作れない。生のサービスを習うことが大事だ。作るのは人だ。おいしいと感じるのも人だ。笑いあえるのも。喜びを分かち合えるのも。この辺りもまた、掘り下げられそうだ。


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