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ある詐欺の特徴

突然ですが。

「与えよ、さらば与えられん」

という言葉がありますね。

「何かを得るため、成し遂げるためには、与えられるのを待つのではなく、まず自ら進んで与えましょう」
という感じの意味です。

なるほど、ごもっともらしいお言葉。クレクレ精神でいるより、自分から与える事で、相手からもいただけるようになる。確かにそうだと思わされる気がします。
あれも欲しいこれも欲しいと口にし嘆くばかりでは何も始まらない。座して醜態さらす前に、自分から動き相手に施すことで、同じように相手も思うようになると。
お金がない、お金がほしい! と求めてばかりでは、お金なんて舞い込んでこないという感じでしょう。
後々お金に困らないためにも、まずは自分から出していくことを考える。正直見返りを求めての行動ではあるけれど、こうやって世界は回ってるんだなと。
ならば私も従おう。財布から万札取り出して……


……あれ?
でもこれ、どこかで聞いたことあるような……?


???「最初に〇〇万出すだけで、あとは寝ててもお金が入ってくるようになるんですよ」


神里です。

はい。もうおわかりですね。

「与えよ、さらば与えられん」の言葉を持ちかけてくる人間は、だいたいが詐欺師です。
情報商材を販売している人の幾らかもこれを言いますね。そういう人は、私からすれば99%信用ができません。

最初に申し上げておきますが、「与えよ、さらば与えられん」の言葉自体が悪いわけではありません。これは事実だと思いますし、場面によっては有り余るくらいの見返りがあるのも本当。

しかしこの言葉って、自分で思い至ってそのように行動するためのものであって、特定の誰かに言われて行動するための言葉にしてはいけないと思うんです。

例えば情報商材を販売している人がいるとして。
Xなどで発信するわけです。
「物事は何でも自ら行動する事が大切。家に引きこもっててもほとんど何も起きないのと同じで、外に出て行動するからこそ色んな物事に出会う事ができる。何かしたいならまず動く、何か欲しいならまず与える。これが一番大事」
確かにそうだと思う人がホイホイ集まるわけですね。なかなかな事を言うなこいつはと、チェックしてくれる人もいるでしょう。この手の理屈っぽい言葉はTwitterの時代からウケがよく、利用者層にとてもよく突き刺さります。
こういう事が何度か続くと、この人は信用できる、この人の言う事はしっかりしている、となってきますね。
そのうち内容が「得たい物があるなら、その方法を学ばなければならない。座して待つのではなく、必要な行動をし、勝ち取れ」という方向へ進んでいき、暗に「与えよ、さらば与えられん」の考えを刷り込んでいきます。
勿論ここでいう「与えよ」は「=発信者の販売している情報を買うこと」で「与えられん」の部分で期待しているのは「≒お金」ですよね。
お金を得るためにこの人の情報を買って(与えよ)方法を学び、自ら実行することで後々お金を稼げるようになる(与えられん)……というようになります。

一見おかしなところはありません。
自ら動いて、得たい物の為にまずは自らが差し出し、実際に行動を起こした。与えよ、さらば与えられんの言葉通りに、いま動いているのです。何も間違ってはいないはず。

で、何か与えられましたか?
中には本当に本物の発信者も勿論いますが、だいたいの人は詐欺か詐欺までいかなくても確信犯です。
まぁまず与えられない(稼げない)でしょう。でも、それでも、憎めなかったりします。たぶん嘘を吐いたり騙して逃げたり、という人はそこまで多くはないから。「あなたがうまくできてないだけ、運が悪いだけ、タイミングが悪いだけ」で逃げられるようなやり方がほとんどだと思います。

納得してしまいそうなのですが、ちょっと待ってみてください。
そうですね、できれば最初に気づいてほしいです。

与えよ、さらば与えられん……何かが欲しければまずは自分が差し出すこと……あなたが欲しいのはお金で、そのために先行投資としてお金を差し出している……別に、あなたの行動自体に変なところはないです。

じゃあ、相手は?

神様視点でみてみてください。
相手が与えているのは「情報」で、与えられているのは「お金」ですよね。
お金を得る(与えられる)のに、お金は差し出して(与える)ないですよね。
そう、お金出してないんです。

ここで、たぶんあなたも思った事があるでしょう。
そしてそれは、この手の連中が好んで使いたがる言葉です。

「情報はお金」

間違ってないよ。
ないけど、情報ってものはあまりに中身が広くて正誤の判別もめちゃくちゃつけにくいものがほとんど。本当にお金になる情報(価値のある情報)かどうかは、その瞬間にはわからない事がほとんどです。
勿論、知識として必要とするのは悪い事ではありません。そこからうまくやって本当に稼げる人がいるのも事実でしょう。でもたぶん、こうなる場合って発信者が本当に確かな人で、「与えよ、さらば与えられん」みたいな事は言わないと思うんですよね。

要するに、この手の発信者が使うこの「与えよ、さらば与えられん」って、自分が稼ぐために必要なもっともらしい言葉、なのです。
悪く見れば、稼ぎたいからお前らこれを買えよと言ってるようなもの。ようなものというか、突き詰めればそういうこと。もっともらしい話をして購入させるよう誘導しているんです。それに、この言葉はよく使われる印象がある、という話。
(繰り返しますが、自分でこう思い至って奮起するにはとても良い言葉ですよ)
(これも繰り返しますが、本当にきちんとしていて有益な話をくださる人も中にはいますよ)

なので私としては「与えよ、さらば与えられん」を言う人を見た時「マルチみたいだな」と思ってしまいます。

んなアホな、と思いますか。
誰がそんなので騙されるかよ、と思いますか。
毎年こんなんに騙されてアホほどお金が不当に流れています。
特殊詐欺だけで去年は370億だか盗られていますね。
嘘は言ってない、お前がうまくやれないだけ、情報は生もの、この系統を話す情報発信者からの被害をあわせると1000億くらいいってそう。
noteも温床なんだよにゃぁ……


それでですね。

「求めよ、さらば与えられん」
という言葉が、新約聖書にあります。
「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」
という意味。

つまり、与えられるのを待つのではなく、自ら行動する姿勢が大事なのだと、そう教えられているわけです。
先に出ていた言葉と、えらい違いがありますね。

たぶんこの聖書の言葉をもとに「与えよ~~~」の言葉ができたのでしょうけど、「結果を得るためには動かなきゃ」という元の言葉に対して「結果が欲しいならまずは何かを差し出すべき」……非常に乱暴というかなんというか。
意思や行動それ自体が大切と説いているのに対して、意思を動かすには先行投資だと、物凄く人間臭い物言いであるとわかります(悪いとは言ってない)

言っている人に目を向けると、「求めよ。さらば与えられん」は方法を教えて道を示しているイメージ、「与えよ、さらば与えられん」は方法を教えてその人から物や金を引き出そうとしているイメージです。
そしてこれは、神が言うから意味がある言葉なのですよね(別に信者ではない)
だって、与えよのフレーズを言う人がいたとしたら「お前もな」ってなるんですよね。与えないと与えられないよ、というのは自分視点では確かにそうかもしれないけど、相手視点になると「与えられたから与える」になりますよね。あれれ~? 与えてないのに与えてもらっちゃったよ? 筋が通らないんですこれ。
神は、自分が何かを得ようと考えているわけではないです。良くも悪くも、それを言った相手が自分に何か影響や物を与えるとは思っておらず、実際に与える事もありません。だから通る言葉なのです。
これを「人」が言ったとしたら、絶対に「最初に与える人」と「最初に与えられる人」が出てきます。明らかに矛盾を抱えている言葉なので、これを好んで誰かに口にする人は信用ならないのです。
(得たいものがそれを与えた瞬間に手に入る(物の売買取引などもそう)のであれば問題はないですが、それはこの言葉の意味とは違いますよね。ちなみに情報は何かをするために利用するものであって、情報自体が結論的に欲しいものでない限りは、その瞬間手に入るとは言いません。お金を得るための情報だったら、買った瞬間お金は手に入ってないので違うとわかりますね)
何度でも繰り返しますが、自分の座右の銘にしていたりする分には全く問題はないですよ。

勿論、この言葉を言うからといってすなわち詐欺というわけでは決してありません。言葉の真意を理解していないだけかもしれませんし、自分がそうしていると言っているだけかもしれません。そもそも、そこまで考えて言ってないって場合も多そうです。
けど私は、この言葉を誰かに好んで口にしている人はあんまり信用できないですね……これをこういう人に言っても「そういうことじゃねーんだわ」って言われそうですが。そういう事じゃねぇって、それこそそういう事じゃないんですけどね。

あくまで詐欺を注意する際に気をつけるべきこと、のつもりで書いていますので、特定の誰かを貶めるような意図はありませんよ。


でももっと大切なのは、何を言ってるかで判断するのではなく、その人がどういう人かきちんと見定める事ですけどね。
あくまで、警戒しちゃう、という程度のこと。

わかってても引っかかるのが詐欺なんですけどね。
あーこわい、こわいにゃ。

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