立花孝志の「実験」を見て考える、ポピュリズム政治の時代に選挙の結果を決める人は誰なのか?
今回は、特に大したことを書くわけじゃないので。メモ書き程度なので、「カミポコさんらしくない」とか、やめてね(笑)。
メモ書きも必要なんだからさ。
さて、立花孝志氏の「実験」が終わったようだ。
立花氏自身が実験結果をどう評価しているか知らないが、概ね、この通りだったのではないか。
私のコメント再掲載。
(兵庫県知事選について)「立花氏の動画が拡散され、有権者ではない県外の不特定多数の人々が視聴したことで、外部から圧力をかけるという立花氏の動きが間接的には選挙への関心を高める効果を発揮した」
(斎藤氏の再選は)「有権者が県政の現状を踏まえ、投票先をニュートラルに捉えた結果」
(今回の市長選)「立花氏が『テスト』としたのは、この手法が泉大津でも通用し、無党派層を動かせるのかという考えだろう。今回もSNSで無党派層を、間接的に政治に注目させることはできたとしても、兵庫県知事選と同じように、選挙民は候補者をみて冷静に判断するだろう」
朝日の記事にあるように、「泉大津の知名度が上がった」「若者の関心が高まった」等の影響はあったものの、50代の男性のように、「(立花氏は)知らないですよね。今の泉大津のこと。演説からは何をしたいのか、はっきりしない」という、冷静な判断をした人が多かったということだ。
そして、これは誰かと言うと、一般的には無党派層と呼ばれることが多い、中道層の「サイレントマジョリティ」なのだ。
ポピュリズム現象を読み解くときに、置き去りになりがちなのが、この「サイレントマジョリティ」の存在だ。
例えば、兵庫県知事選の時、「オールドメディア対SNS」という対立構図が立てられた。でも、この論考で書いたように、SNSの偽情報に熱くなって投票したというのは、いささか現象を単純化しすぎている。
兵庫県知事選で斎藤元彦を勝たせたのは、熱くなったノイジーマイノリティではない。いまや有権者の5-6割を占めるサイレントマジョリティが斎藤氏に投票したから勝ったのだ。
そのサイレントマジョリティは、確かにSNSを観た。しかし、いわゆるパワハラ疑惑が真実かどうかわからないと判断を保留し、政策で斎藤氏に投票することを決めたという人が、出口調査では多かったわけだ。
このTVで報じていた出口調査の結果が正しいとすれば、メディアが作った対立構図には違和感を持たざるを得ない。
なにより、「SNS=ノイジーマイノリティ=選挙結果」ではない。
結局、選挙の結果を決めるのは、サイレントマジョリティがどう動くかということ。
それを示したのが立花氏の「実験」だったのだろう。泉大津市長選では、元々市長の無投票再選と思われたのが、立花氏がSNSを駆使して盛り上がった。投票率も上がった。しかし、サイレントマジョリティは冷静だった。
ポピュリズムの時代というが、サイレントマジョリティが選挙の結果を決めることは世界的にも変わらない。
例えば、今年6-7月のフランス総選挙。2回投票制で行われたが、第1回投票で右派勢力が第一勢力となった。ところが第2回投票(決選投票)では、左派勢力が第一勢力となった。
第1回と第2回で、結果が大きく変わったわけだが、誰が投票行動を変えたのかということだ。コアな右派は右派に投票する。絶対に左派には投票しない。コアな左派も左派に投票し、絶対に右派には投票しない。
そこは固定されているとすれば、そう、フランス総選挙で、第1回、第2回で投票行動を変えて、最終的な結果を決めたのは右派でも左派でもない、「サイレントマジョリティ」ということになる。
日本でも同じだ。兵庫県知事選だけではない。東京都知事選では、もともとサイレントマジョリティに強い小池百合子知事が再選し、サイレントマジョリティの獲得に成功した石丸伸二氏が2位、共産党と組んだ蓮舫氏が沈んだ。
サイレントマジョリティの重要性に気付いた立憲民主党は、野田佳彦氏が代表となり「中道右派」路線で自公連立を少数与党に追い込んだ。
今後、SNSと政治の関係を考える時、SNS=ノイジーマイノリティに焦点を当てるのもいいが、SNSがサイレントマジョリティの投票行動にどの程度影響を与えるのかを分析した方がいい。
それは、「SNSに毒された有権者」という単純な話ではなくなってくる。サイレントマジョリティは、SNSの不正確な情報に惑わされるかもしれないが、メディアがやや偏った情報を流した際に、SNSがそれをニュートラルに戻すこともある。そして、最終的になにが投票の際に重視されるのか。
緻密に現象をみていく必要があると思いますね。