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自民党総裁選総括(後編):石破茂の人生が示唆するもの。

現在、ネット上では、石破茂首相・自民党総裁は「保守派」から、野田佳彦立憲民主党代表は「左翼」から激しい攻撃を受けているようだ。

だが、現在5-60%を占める無党派(サイレントマジョリティ)を中心とする一般国民の間では、「石破さんいいんじゃないの」「野田さん悪くないね」という穏やかな反応が多い。

声の大きな少数派が罵声を浴びせ合う政治は、ようやく終わり始めている。

おそらく総選挙を経て、国会で本格化するであろう石破VS野田の穏やかだが論理的な論戦が定着していけば、政治は変わり、国民の意識も変わっていくだろう。

特に、今の学生は、「首相と言えば安倍」なんですよね。10歳くらいの時に安倍氏が首相になった。それ以前の首相を知らない。与党が野党をバカにしたように強引に物事を進め、野党が感情的に反発する。そういう政治しか知らない。本来の政治はそういうものではないと、学生がきづくことができればいいなと思っている。

さて、憲政史上最長の長期政権を築いた安倍晋三元首相が暗殺され、「旧統一教会」との関係や「裏金問題」で、「安倍派」をはじめとするほとんどの派閥が解散に追い込まれた。それによる支持率悪化によって岸田文雄政権が退陣に追い込まれた後、自民党総裁・首相の座に就いたのは、最も安倍元首相と対極の存在だった、石破茂氏だった。

要するに、2018年からずっと言ってきたが、安倍元首相からの冷遇に屈することなく、「反主流」を貫き続けたからこそ、石破氏にチャンスがきたということだ。

石破氏が冷遇に耐えて首相の座をつかむまでの軌跡は、我々の人生にも示唆するところが多い。

人生、勝つこともあれば負けることもある。いや、私は人生で勝つことは、野球の打率より低いものだと思っている。いろんな闘いの場面、2勝8敗、いや1勝9敗でいい。1つでも勝って、それで食べていければ成功。そんなものだと思っている。

そういう人生というものにおいて、大事なことは、「負けっぷり」だと思っている。

それは一言でいえば、負けという、勝ちよりもはるかに多く人生に訪れるものに対して、動じることなく、淡々と受け止めて、次に向かうこと。そして、自分の信念を決して曲げないことだと思っている。

それは、私がかつて石破氏に贈った「河合英治郎になれ」ということだ。戦時中の学者であった河合は思想犯で逮捕された時、自らの信念を曲げず、「誰よりも重い刑にしてくれ」と言い放った。どうせ戦争は負ける。負けた時、価値観はひっくり返る。その時、最も重い刑を受けた者が、新しい時代の先頭に立つ、という考え方だった。

河合は、戦時中に亡くなったが、生きて入れば、戦後の社会民主主義の旗手となったという。日本に原理主義的な共産党・社会党ではなく、穏健な社民主義の政党ができていれば、日本に「政権交代ある民主主義」が定着していた可能性があったというのだ。

どんな時代も、永続するということはない。必ず変わる。かつて正しいとされたものが正しくないとされ、正しくないとされたものが、正しくなる。それもまた、逆に戻る。その繰り返しだ。

勝ち負けは時の運でしかなく、河合のように、遂に運を掴めなかった人もいる。しかし、それでも我々は、自らが正しいと思うことを、貫き通すことでしか、日の目を見ることはない。

政治家という人種は、その最たるものだと思う。

もちろん、信念を貫き通して、遂に首相になったからとて、石破氏の前途が洋々と決まったわけではない。

首相になるまではよかったが、首相になったとたん、周りに気を遣ってばかりで、発言もブレブレだという批判があるしね(笑)。

反主流を貫く政治家としての資質・器と、首相としての資質・器は、別のものが求められるからね。

総選挙に負けて、あっという間に首相の座を手放すことになるかもしれない。首相になった瞬間、ふと思ったんだけど、「石橋湛山」と名前が似てるというか、被る感じがしたんだよね(笑)。

直感ですけど。。。。

人生、明日のことはわからないが、どんな明日が待っていようとも、自ら決めた一本道を歩み続けるしか、活路は開けない。

それは、12年ぶりに表舞台に戻ってきて石破氏と対決する、野田佳彦氏も同じですけどね。

どんなに時代から突き放されても、また時代が合ってくる時が来る。でもまた、時代に突き放されるかもしれない。そんな運命を受け止めて、やっていくしかないのだなと思う。

まあ、これからの政治的な戦いについては、また次回以降としますね(笑)。

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