「五輪行進曲」は「五輪」の曲でないと
東京五輪の閉会式、入場行進で古関裕而氏作曲の「オリンピックマーチ」が流れた時、正直なところ「やっぱりこれだよ、これ」と思いました。現代風にアレンジされていたのが尚、よかったですよね。
開会式の入場行進曲に使用された、ドラゴン・クエスト等、ゲームの音楽。曲そのものが素晴らしい名曲であること、日本人なら誰でも知っている曲である上に、世界的に知られた日本の曲であること、そこについては最大級にリスペクトしてます。
しかしながら、やっぱり「五輪」の曲ではないんですよ。東京五輪1964の映像が流れるとき、バックは「オリンピックマーチ」が定番です。東京に限らず、日本人にとって五輪といえば、老若男女問わず「オリンピックマーチ」です。
東京五輪2020の映像が、今後流れるとき、「ドラゴンクエスト」なんですか?いや、ドラゴンクエストでイメージするのは、やっぱり五輪ではなく、ゲームでしょう。
そもそも、ドラゴンクエストなど行進曲に使われた楽曲は、五輪のために作曲されたものじゃありません。ゲームの世界観を表現するために、作曲家の方々は苦心惨憺創作されたと思います。しかし、五輪のことは、まったく考えてなかったのです。ゆえに、五輪の世界観や、「多様性と調和」という価値観は、表現されていないのです。
ドラゴンクエストが、そういう価値観なんだという意見もあるのかもしれません(作曲家の多様性、調和とは真逆の思想が指摘されていましたが=涙)。しかし、それはあくまでゲームの世界観であって、五輪ではないのです。
難しい理屈じゃありません。ドラゴンクエストは毎日、ゲームのCMで流れる。そんな曲を五輪の曲だといわれても、我々は困ります。次に、夏季五輪が日本に来るのは50年後だとすると、我々は50年間、どうしたらいいんですか?
レガシー、レガシーっていうけど、要するにそういうことですよ。どうしたらいいの、日本人は?
電通とゲーム会社的には、これでゲームが世界中で売れたらいいということと思われますが、そう考えると、余計この安易な選曲の罪深さがわかるというものです。
東京五輪の時は、古関裕而氏の行進曲の他にも、団伊玖磨氏の開会式冒頭の曲「オリンピック序曲」、今井光也氏の「ファンファーレ」、黛敏郎氏の「オリンピックカンパノロジー」、清水脩氏の「東京オリンピック賛歌」と日本の作曲家たちが五輪をテーマに才能を競ったのです。
東京五輪2020も、日本の若き才能に、五輪をテーマに世界に挑戦する機会を与えられなかったものかと、非常に残念に思います。
もちろん、五輪表彰式の音楽を、大河ドラマ「青天を衝け」のOP曲を手掛けた佐藤直紀氏が作曲するなど、随所随所に日本の現代音楽の作曲家が参加していたのはよかった。あの表彰式の音楽は、非常に印象的で、日本にも才能豊かな音楽家が存在することを示していたと思います。
それゆえに、ドラクエはなかったよなと。閉会式も、オリンピックマーチじゃなかったのだと思います。若い日本の才能たちは、全世界に挑戦する千載一遇であったはずの機会を、既存のすでに知られた音楽に奪われてしまったのです。
最後に思い切り皮肉を言うならば、現代から見て、ゲーム音楽自体がほんとに新しいものだったのかということですよね。「昭和の老人」が仕切る五輪組織委員会からすれば、ゲームは新しいので、これにしとけって感じだったかもしれません。
でも、これって「平成」のものでしょ。ま、昭和からみれば、ゲームは新しいものにみえたんでしょうけど、令和からみれば、これも実は「古い日本」だったと思います。やれやれ。。。です。