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親父と俺(13):「ヒゲの4番」新居浜商の夏の甲子園快進撃
なんか、野球の話が続いてしまうのだが、野球抜きに「親父と俺」の話をするのは無理なので、ご容赦願いたい(笑)。
前回、小1の夏休みの親父による野球の特訓の様子を描いた。
特訓3日目の夕方に、ようやくバットにボールが当たったのだが、その後は、どんどん打てるようになって、私は野球の魅力にのめりこんでいくことになる。
私が野球にのめりこんでいくのに、いいきっかけが2つあった。1つは、「赤ヘル軍団」だ。
この年、ヘルメットを地味な黒からド派手な赤に変えて、前年度最下位から初優勝を目指して1位を爆走していた「広島東洋カープ」がブームとなった。
親父が、「赤ヘル」を買ってきたので、喜んで毎日かぶっていた(笑)。
もう1つは、夏の甲子園での「にいしょう(新居浜商業)」の快進撃だった。
後の法政大の監督となる名将・鴨田勝雄監督に率いられて、あれよあれよと勝ち進み、決勝戦で習志野高校に敗れたものの、準優勝。
緑色のアンダーシャツの、当時としてはおしゃれなデザインのユニフォームがかっこよかった記憶がある(時代的にも「ドカベンの明訓高校」のユニフォームのモデルになったのではないか?」と、個人的には思っている)。
なにより、選手が高校野球の常識を外れた個性派ぞろいだった。特に、「ヒゲの4番」竹場選手だ。
高校生なのに、なぜか口からアゴまでびっしりヒゲをはやしていた。勝ち進むうちに、すごい話題になってたのを覚えている(笑)。
おそらく、ネット上にも竹場選手のことは情報があるんじゃないかと思って検索してみたら、出るわ出るわ(笑)。あの、後にも先にもほとんどみたことがない、野武士的な格好の選手は、やっぱり覚えている人が多いのだね。
noteにも竹場選手のことを書かれているものがありました。
むっちゃかっこいい竹場選手の写真も掲載されてます。
そして、竹場選手になり切って、毎日バットを振りまくる、小学一年生の私がいたわけです(笑)。
そうして、二学期が始まると、わたしは別人のように、教室で友達に野球の話ばかりをするようになった。教室では、「野球き〇ちがい」と呼ばれるようになった(笑)。
それでは、またね。