五輪、高校野球:今こそ「補欠廃止論」
今回は、私のこの論考を出発点に、考えをさらに練り上げ、加筆修正するものになります。
夏の高校野球は、全国で熱戦が続いている。また、パリ五輪が開幕した。以下の興味深い記事をみた。
びわこ成蹊スポーツ大の間野義之学長が、日本代表はパリで「過去最高成績を残すかもしれない」と分析する一方、今後の競技力低下のおそれを指摘した。
間野学長は、その理由の1つとして、「人口減少が進むなか、各競技の選手数減少」を挙げている。
私は、上記の論考でこう書いた。
『野球のWBCの優勝、サッカー、ラグビーのW杯での活躍、五輪でのメダルラッシュと、日本のスポーツは過去最高の競技力を誇っている。だが、その繁栄は少子化が進むとともに終わってしまうだろう。その前に、手を打つべきである。』
要は、少子化が進むと、スポーツ各競技の競技人口が減る。少ない子どもの獲得競争になれば、マイナーなスポーツは選手を確保できなくなっていく。メジャーな競技でも、選手層が薄くなり競争が減れば、競技力は落ちていく。五輪でのメダル獲得数も減少するだろう。
少子化の進行下で、日本のスポーツ界はどうすべきか。これから、避けることができない課題の1つである。
私は、その1つとして高校野球の改革が必要だとしてきた。
バーチャル高校野球のライブ中継で、故郷愛媛県や、東京、大阪、神奈川などの予選を観ている。
いつも気になることがある。強豪校の応援席をみる。約30~50人のユニフォームを着た生徒がいる。メガフォンを叩き、踊りながら大きな声で応援していた彼らは、ベンチに入れない野球部員であった。彼らのことは、様々なメディアが「試合に出られなくても、下積みを積んで、素晴らしい人生経験をした」と賛美している。
ベンチに入れず、3年間の高校時代、球拾いや下働きに終始する強豪校の野球部員。それを「素晴らしい人生経験」で済ませていいのだろうか。彼らは、中学の頃には、野球エリートだった。競争の激しい強豪校ではベンチに入れなくても、公立校ならばレギュラーで出場できる実力があるはずだ。
その地方の公立校側は、少子化の影響が深刻化している。
ここ1~2年で、以前ならば20名程度の部員がいたのが急減して単独で試合ができなくなっている。現在、単独で試合ができる高校も、一部の強豪校を除けば、部員10名台が多く、近い将来連合チームを組まなければならなくなる懸念がある状況だ。
私の田舎の愛媛だと、甲子園出場経験がある伝統校でさえ、連合チームを組んでいる。
要するに、強豪校には約30~50人のベンチに入れない部員がいて、公立校は部員不足に悩んでいるというのが高校野球の現状だ。これは、いびつな構造だと言っても過言ではない。野球人口が激減している現状で、このいびつな構造を美談「美談」とする余裕はないのではないか。
こんな記事が話題となった。
この話、賛否両論あるようだが、何が批判されなければならないのかさっぱりわからない。
少子高齢化が進む中、野球界がまずやるべきことは「補欠廃止」ではないかと思う。
スタンドで応援する部員はゼロにする。全員がベンチに入り、出場することで、野球人口減少を補うべきなのである。
大阪桐蔭、仙台育英などの多数の部員がいる強豪校は、レギュラーのAチームだけでなく、Bチーム、Cチームなどを編成して大会に出場する。また、強豪校のB、Cチームなどと公立校の連合チームを編成してもいいのではないか。
例えば、上記記事の金ヶ崎と花巻東の「単独廃校ルール」の適用例を増やすことだ。
スタンドで応援する部員はゼロにする。全員がベンチに入り、出場することで、野球人口減少を補うべきなのである。
さらにいえば、野球だけではない。五輪種目のマイナースポーツの競技人口減少の問題も考えるべきだ。
強豪校はベンチに入れない部員を、他の部に移籍させることも進めるべきだろう。
野球部には、特に身体能力の高い子が集まっている。いわば「フィジカルお化け」の集まりであり、スポーツエリートだ。
野球ではレギュラーになれなくても、他競技なら超一流になれる可能性がある。強豪校は、野球で技量が劣っている部員について、球拾いをさせる前に、他競技での適性を審査するべきである。
要するに「大量生産」「大量消費」で、多くの人材を切り捨てていた高度成長期のような時代ではないのだ。少子化の時代とは、一人の子どもも切り捨ててはいけないのである。すべての子どもの適性を見抜き、活躍の場を与えることが重要なのである。