
2022年度「上久保ゼミ卒業論文集」コメント。
毎年恒例ですが、卒業式の日にゼミの卒業生に「卒業論文集」を渡します。それに寄せた私のコメントを掲載します。卒業生の名前を削除した以外は原文のまま、今年はそれぞれの学生の論文の要約もつけました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4回生が卒業論文作成に入る時、私は「この時期は、人生にとって最も価値のある時になる。天下国家を語りなさい。思い切り楽しみなさい」と言うことにしている。
しかし、残念なことに、卒業論文の準備に入る時期は「就職活動」と重なってしまう。そこでは、同じような黒髪のヘアースタイル、同じような黒いスーツを着なければならず、面接では当たり障りのない答えを求められる。多様な価値観、個性が重視される時代と言いながら、「まず周囲に合わせる能力を見る」という面接官もいるらしい。息苦しい、窮屈な思いをすることも少なくない。それが「社会」というものかと諦観したくなる時もあるだろう。
だから、せめて週1回のゼミの教室くらいは、自由に、タブーなく、大胆に、天下国家のあり方をスケール大きく考え抜き、議論を楽しむ場にしてほしいと思う。だが、近頃は平日まで「一日インターン」「入社前研修」など企業の行事が入ってくる。企業側はその異様さに全く気付いていない。世も末である。
今年度も新型コロナウイルス感染拡大に見舞われた。コロナ禍での就職活動の難しさは、想像を超えていただろう。それだけではない。今年の卒業生は、この学年だけの独特の困難があった。
この学年は、1回生の時に対面での授業があり、教室でのグループワークがあった。サークル活動や部活動、アルバイトなど、普通のキャンパスライフを送った。2回生になった時、新型コロナのパンデミックに襲われ、突如キャンパスが閉じられた。
その時、大学は彼らの1つ下の学年「新入生」のケアに集中した。一方当時の2回生は、1年大学生活を経験しているからという理由で、ケアの対象とならなかった。いわば、置き去りになったのだ。だが、今思えば、2回生には、通常の大学生活を経験していたからこその混乱や困難があったのだ。それに大学は気づけなかった。気づく力量がなかった。
彼らに直接言うことはなかったが、3回生としてゼミに入ってきた時、そのことにすぐに気づいた。正直、彼らの指導は、これまでにない難しさを感じた。
彼らも、「天下国家を語り、楽しむ」余裕など全くない日々だっただろう。しかし、それでも尚、卒業生がこれから歩む人生を思うと、ゼミの時間を大切にしてほしいと思った。多くの卒業生は、高度職業人を志向し、卒業後は企業等に就職していく。就職すれば、日々の忙しさに追われることになる。おそらく、万巻の書をあさって考え抜き、卒業論文のような長い文章を書くのは最初で最後になるのだ。大学時代に最後になるのは「遊びの時間」ではない。「天下国家を考える時間」なのだから。だからこそ、それを楽しむべきだと思ったのである。
実際に、卒業生がどこまで卒業論文作成を楽しめたのかはわからない。私の言う意味が本当にわかっていたのかも疑わしい。だが、少なくとも言えることがある。彼らだけが置かれた困難な状況に対する、強い問題意識が卒業論文に反映されているということだ。
それぞれが取り組んだ問題は社会の多くの人が日々悩み、試行錯誤しながらも明確な解決策を見いだせていないものばかりである。彼らは、それぞれの問題の解決策を示そうとしたが、同時にその実現のために克服すべき多くの課題があることも知った。
卒業生は、自らの卒業論文の出来に満足していないかもしれない。しかし、それでいい。大学時代は、あくまで人生の準備期間に過ぎない。大学時代にやるべきことは、社会の問題に真正面から取り組み、理想を抱きつつ、それが実現されない理不尽さに直面し、悩み、苦しみ、もがき続けることだ。その答えは今見つからなくていい。社会に出て、答えを見つける人生の旅を続けることが、なによりも大切なことである。個別の論文へのコメントは以下の通り。
『聖地エルサレムの人質化がもたらすイスラエルの外交優位性』パレスチナ地域という西アジアの一地域の中においてもヨーロッパ全域においても、歴史上様々な場面で要衝となってきた都市・エルサレムに焦点を当てて、「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地エルサレムの人質化」という仮説を立てる。そして、イスラエルが、「聖地」エルサレムを実効支配し続けることにより、自身に有利な決定に対して国際社会が対抗できず容認せざるを得なくなる手段として、「人質」のように聖地エルサレムを利用している可能性を示唆する。
『マレーシア民主化の茨ノ道:競争的権威主義体制下の多民族国家における政治過程』マレーシアの政治制度を「競争的権威主義」(Competitive Authoritarianism)と定義し、その制度が長く続いている理由を明らかにする。マレーシアの民主化を難航させたのは国民、政治家、官僚、メディア、王室という複雑なアクターと政治制度の問題であるという仮説を立て、その改革のために、ドイツの選挙制度の導入とシンガポールの脱民族路線の政策の採用を提言する。
『若者のメディア行動から考察するラジオ媒体の伸びしろ』オールドメディアと呼ばれるラジオについて、若者(20歳代以下を指す)のメディア行動に焦点を当て今後の必要価値を論じる。そして、ラジオが若年世代の日常的なツールになっていくためにはラジオ自体にもSNSのような共有や拡散ができる機能が必要と論じる。特に、Z世代の傾向として「同期」型のコミュニケーションを好むことが明らかになっているため、「radiko」アプリ内で「同期」型コミュニケーションを行えるような施策が必要だと提言する。
『日本の金融教育の可能性―歴史的背景と海外事例を踏まえた考察―』小額投資や積み立てNISAなど比較的に簡単に行える資産運用の敷居を高く感じる日本人が多い理由の解明とその対応策を歴史や海外にフォーカスして、日本の金融教育の可能性を考察する。そして、現在の金融教育は不十分であると考え、特に小中学生を中心に改革を行うべきだと考える。「小中学生にゲーム感覚でも金融教育を金融庁指導の下、画一的に導入すべきである」と提言する。
『教育格差を縮めるために』経済格差によって生じる学校外教育の機会の不平等を縮小させることで教育格差を縮めることができるという考えのもと、様々な分析を行い、「学校外教育」に着目する。そして、学校外教育で子どもの学習時間を確保し、授業の復習や宿題をするよう促して必要な場合には指導をし、朝食や起きる時刻、寝る時刻といった生活習慣を整えさせるため親の相談に乗り、メディアの利用時間を制御するための支援を行うことで、教育格差を縮め、将来経済的に貧しくなる人を減らすことができると提言する。
『SNSを利用して若者の有権者が政治意識・投票行動をあげるには?』若者が政治参加に意欲的ではない要因として、初等・中等教育においての政治教育が不充分であるとし、彼らに政治参加を促す方法を明らかにしていく。SNSの活用に着目し、発信者のタイミングで受信者に意図して情報を発信する「プッシュ型」のLINEのオープンチャット異能の活用を提言する。また、有権者になる前の政治意識を向上すべく、学校のような公的機関とNPOなどの団体の連携の必要性を指摘し、高校生や大学生の有権者自身が小学生、中学生に対して社会問題を提示しながら政治教育を行うことが好ましいと主張する。
『日本の原子力運用における政策課題』原発再稼働の実現可能性、原発によって賄うエネルギー量、政治機関による原発議論の忌避という3つリサーチクエスチョンに基づいて政策課題とその解決を考察する。放射性廃棄物の保管地問題が後回しのできない状態に陥っていることと、政治機関がそのコストと責任の大きさ故に真摯な議論を避けているという深刻な現状を明らかにし、政治的指導力の発揮、電力格差の是正、原発立地自治体での中間貯蔵施設建設の促進の必要性を主張する。
『我が国日本における食品ロス削減とそれを促すための人々の意識の重要さ』深刻な社会問題となっている食品ロスに焦点を当てる。そして、食品ロスの意識の醸成から、家庭での3大食品ロスの原因の一つである過剰除去を無くす方法を明確にし、食品ロス削減に繋げることを提言する。
『対日直接投資の低迷における課題と活力』日本における対内直接投資がなかなか進まない理由やそれに対する政策の方向性を検討した。対内投資が進まない理由として手続きの煩雑さ、労働者の流動性、税、国民性など1つだけではなく様々な要因を指摘する。その複雑さ理解した上で、短期的な政策と中長期的な政策をわけて進めていくことの重要性、安全保障や地方創生など様々な政策分野を横断して進めていく、現実的な道を模索する。
『ベンチャーエコシステムは流動化の夢を見るか?〜ベンチャー企業向けの支援を通じた我が国の産業の国際競争力の強化〜』Society5.0の世界では、先進的な技術やノウハウを活かすことで経済を牽引していくベンチャー企業が重要となる。米国ではITサービスのプラットフォームを運営するような急激かつ大きく成長する企業が経済成長を支えていることに着目し、我が国もベンチャー企業の育成、支援が必要と主張する。そして、ベンチャー企業を取り巻くエコシステムを包括的に支援する施策を提言している。
『サービス産業化と学生への影響 ~アルバイトとの正しい付き合い方』非正規雇用の大学生が多く従事するサービス産業の体質と学生への影響を分析し、学生がアルバイトとどう付き合っていくべきかを考察する。サービス産業の学生に対する雇用の創出の一方で文化的な側面からのブラック企業化、生産性の低さを明らかにした。結論として、学生のキャリア形成における、主体性の大切さを指摘し、学外活動の大切さを教えるような環境の必要性、アルバイトから学べることについて自他ともに意識することが重要性を指摘した。
『地方自治体における若年層の雇用・少子化政策の考察』日本の少子化の主要因を「若年層の雇用の劣化」という問題意識を持ち、「シルバー民主主義」と呼ばれる日本の国政では、地方政治からのアプローチが必要だと主張する。「都市近郊の郊外地域」では、通勤・通学のしやすさ目的とした政策を進め、「地方都市」と「都市部から離れた地域」では、自治体が地域の特徴を踏まえた雇用の創出を行い、人口の「社会増」を狙うべきと考える。そして、少子化対策に直接的な打ち手を進めることで、「自然増」を図ることができ、日本全体の人口減少にプラス効果を与えることができると提言する。
『日本におけるeスポーツ産業の発展方法の考察』世界でも有数のゲーム大国の日本で、eスポーツ産業が世界に比べて遅れている現状から、どうやって日本のeスポーツ産業を発展させるかを研究した。最新データに基づいた現状のeスポーツ産業規模と、今後の世界のeスポーツ産業の成長可能性を見出し、経済的意義に加えて、地方創生や教育的意義などの社会的意義があることも示した。そして、社会的地位向上のために、eスポーツの社会的地位向上のために、若い世代を中心に認知度を高める方法が有効であると考え、そのために教育にeスポーツを取り入れることを提案した。
これから社会に出る卒業生に伝えたいことがある。コロナ禍に見舞われ、ゼミは完全な対面では行われず、ハイブリッド形式で行われた。そして、前述の通り、この学年特有の難しさにも見舞われた。だが、それは決して単なる「緊急事態」からの避難だったわけではないということだ。
君たちは、苦難が続く中で、遠隔授業、ハイブリッド授業の手法の様々なバリエーションを学生主導で創り出した。これらは、コロナ禍が収まった後も、上久保ゼミの学びの手法として残るだけではない。そのすべてが、これから新しい学びの形となっていくだろう。君たちが、「新しい大学」を創ったのだということを、誇りに思ってほしい。
これから君たちが旅に出る社会は、想像を超えて変化していくことになる。時には、その変化に翻弄されて、うまく対応できないと悩み、苦しみ、悪戦苦闘することもあるだろう。しかし、それはすべて、新しい社会を創ることの一端を担っていることなのだ。何があっても、高い志を持ち、前を向いて人生を歩んでもらいたい。
私は、上久保ゼミを「日本一の社会科学のゼミ」と言って憚らない。国会議員であろうが、財務省のエリートであろうが、世界の民主化運動の闘士であろうが90分間容赦なく質問を浴びせ続けられる。こんな若者の集団が、このゼミ以外のどこにあるというのか。俗に「質問力が大事」という。それは、日本人が国際政治・ビジネス・学問の世界で闘う際、最も苦手としていることだからである。しかし、この若者たちが2年間、クリティカルアナリティクス(CA)に取り組み、身に着けてきた洗練された批判精神は、世界中のどこで仕事をしようと、負けることはない。
社会は厳しいところだ。自分たちが上に立つまで批判精神を隠さなければならないかもしれないが、常に自分が動かす立場になったらどうするかを考えておくことを忘れてはいけない。上久保ゼミで学んだことは、就職してすぐに役立つことだけではなく、社会のどこかで部下や家族を背負うリーダーになる時のためにあり、長い人生全体で成功を勝ち取るためにある。みんな、がんばってください。
2023年3月1日
立命館大学政策科学部 教授
上久保 誠人