長男は絶賛イヤイヤ期です。 3歳ですが、 イヤイヤ期+HSC?+赤ちゃん返り(妻妊娠中) イヤイヤを集めてみます。 毎朝の当園 ・着替え→イヤ ・メガネ(去年からつけてます)→イヤ ・マスク(保育園で3歳からは努力義務)→イヤ ・靴を下駄箱に→イヤ ・上履き→イヤ ・教室→イヤ 帰宅 ・帰る→イヤ ・リュック→イヤ ・車に乗る→イヤ ・車から降りる→イヤ ・手洗い→イヤ ごはん ・野菜→おいしくない!! ・汁物→おいしくない!! ・肉→おいしくない!! ・魚→おいしく
紙パンツ廃棄です。 【ひといちばい敏感な子】 いわゆる『HSC』ってやつですね。 ここ最近よく聞く言葉かもしれませんが、 もしかしたら、息子が該当するのかな。 なんて、考えることがあります。 ただのイヤイヤ期な気もするんですが、 自分の息子だといろんなこと考えてしまいます。 障害児、者との仕事を長いことしていると より考えてしまうなと感じます。 今でいうと、 保育園に行くのを毎朝嫌がっているんですが、原因が上手く掴めません。 「〇〇くん待ってるよー?」 →
息子は偏食です。 (3歳イヤイヤ期、妻妊娠中赤ちゃん返りのダブルパンチもあり) 家で食べられるもの カレー、ハヤシライス、パン、ピザ、スパゲッティ、ふりかけごはん、ポテトフライ、果物 以上。 肉、魚、野菜は普通に食べさせても拒否。 おだてに、おだて お楽しみにゼリーや果物で釣って どうにかこうにか、1口、2口肉や魚は食べる。 野菜は断固拒否。 ちなみに保育園では頑張っていろいろ食べているらしい。 いろいろと試行錯誤して、カレーに分からないくらい入れて溶かしてみたり
福祉の仕事をしているとこの言葉はよく出てきます。 どれを使うのが正解なのか、という議論になったことがある人は同業者はいるかと思います。 その中で出てくる意見としては、 その人が障「害」ではないから、 障「がい」と明記した方が良い。 「碍」は【さまたげ】という意味になるから、 その人のさまたげになる為、 障「碍」と明記した方が良い。 これ以外にも様々な意見があると思うのですが、 当人たちの意見を僕はあまり聞いたことがありません。 というか、長く働いている僕も 直球ストレ
僕は福祉の世界に足を踏み入れてから15年ほど経ちます。 人生の半分ほどは携わっていることになります。 「福祉」と聞いて連想されるものは 「老人」「介護」「障害者(児)」 このあたりだと思います。 その中でも僕は主に「障害」と関わりを深く持っています。今でもそうです。 「障害」というと世間一般的には 「身体障害」「車椅子の人」などを思い浮かべるのでしょうか。間違いではないですが、 僕は「知的障害」「精神障害」の方たち、子どもたちなど、一見わかりにくい人たちとの関わりが多か
最後までご覧いただきありがとうございました。 初めてこのような形で投稿、作成させていただきました。 思ったまま、感じるままに文章にしました。 まだまだ素人感満載ですが、一人でも共感できると嬉しく思います。 親とのエピソードが濃いので妹や弟のことはあまり触れませんでした。 妹に関しては、 昔から仲が悪く、十数年会話をしていないのでまた違う意味で無関心かなと感じます。 弟は8つ離れていますが、家族の中では1番感情を向けられている存在です。 同性というのもありますが、弟も
基本的に自分の感情は出さないように生活をしてきました。 ほぼ全ての行動が顔色うかがっていたものでした。 怒りや憎悪というより、 記事の初めで述べたように「無関心」に近い感情だと思います。 一般的な親との違いはわかりません。 僕が大袈裟に思っているだけなのかもしれません。 ただ、自分の親に対して抱く感情としては、 おかしいのでしょうか。 環境が良くなかったのでしょうか。 僕の今の感情を変えることはかなり難しいと思っています。 しかし、息子たちから見ればおじいちゃん、お
高校3年生の11月頃でしょうか。 願書提出の時期も近くなってある日、 前々から専門学校へ行きたいとは話していましたが、 入学させることは難しい。と母親にられます。 …きたきた。あり得無さすぎて、言葉もでませんでしたね。 いろいろ言いくるめられ、言い返す子もできず。 いざ担任との3者面談になると、 どうしたいのかはっきりしなさい!とか いい顔してました。 あんたが金ないから無理って言ったんだろ。 って言いたかったけど、そんなこと僕にはできず。 言い返せる自信もなかったし
「お金がないから入学金と制服代が出せない」 衝撃の言葉ですよね。 意味がわかんないです。 中卒で働けってこと?どうすんの? ってなりますよね。 細かい部分の記憶はありません。 とりあえず、父親への信用がゼロになった瞬間です。 なんだかんだあって、伯父さんが助けてくれました。 昔からそうだったんですよね。 父親から約束を破られた時に、伯父さんが手を差し伸べてくれてました。 伯父さんのおかげで無事に高校入学できました。 1年目の授業料は立て替えてくれています。 2年目からは
僕が思う第一波というのが、中学3年生の高校受験の時期ですかね。 結論から言うと、公立の専門科に入学しました。 まず、私立は無理よと念押しされてましたね。 周りのみんなは滑り止めとして、一応私立の受験をするのが一般的だったようですが、僕は断固拒否してました。 確か受験料がかかったんですよね。 2〜3万くらいだったと思います。 担任からはなんで受けないんだって! 本当にしつこく言われてました。 私立無理だから、金かかる、 とは言えず。母親もかなりプライドが高い人でしたので
そんな父親と母親との間で育っていましたが、小さい頃の印象としては、ほぼ毎日のように喧嘩してましたね。 喧嘩というか、一方的に母親が父親に詰めてる感じでした。物投げたりもしてたし、包丁向けてるのも見たことある。 母親からの話しか聞いたことなかったんだけど、 借金してたとか、自分のクレジットカード勝手に使ってブラックリストに載ったとか。 当時はそんなの聞かされてたから父親は大嫌いだったし、幼い僕は母親の味方をしてたし、せざるを得なかったです。 そんな状況だったんですが、何故か
一旦父親の話は置いておき、母親の話です。 母親に関しては、現在に至っては、育ててくれた感謝はしています。大事にしてくれていたという実感もあります。 しかし、なんだか周りの人が思う母親への感情とはどこか違う気がしています。 家での母親は、基本的には人を見下すタイプでした。 色々なことにまず否定から入っていたと思います。 その対象が主に父親で、今思うとかなり悪口を言ってたと思います。 「気持ち悪い」とか「もう帰ってきたの?」とか。 そんな環境にいたら、子どもも真似するし、
僕の親の話をします。 一応、父と母がいます。 かぞくに対して無関心と前回お伝えしましたが、父のことは少し前までは嫌いでした。 父は会社員で勤めていました。 幼いながらの記憶ですと、2回くらいは転職してたと思います。 小学校3.4年生くらいの頃だったかと思いますが、ずっと家にいた時期がありました。 母親が当時言っていたのは、会社をクビになった、無職だと記憶しています。 その頃からでしょうか。 父は僕との約束を破るようになりました。 まあ、小学生がする約束なので、 ゲームを買
ここで言う「家族」は、 今の僕の妻と息子ではなく、 生まれ育ってきた親、きょうだいを差します。 このあとからは、 「家族(妻と子)」と「かぞく(実家)」で区別をします。 まず誤解をしない為に、 「好きになる」「愛」という感覚が無い訳ではありません。 僕にも妻もいますし、子どももいます。 もちろん「愛して」います。 かぞくに関しては、好きとか嫌いとか そういった感情はありません。 いわゆる、「無関心」というものでしょうか。 ちなみに、家族構成は 父、母、僕、妹(4つ下