掘っ立て小屋とドラゴンクエスト
(※この文章はホームページにあるものを改訂修正したモノです)
ドラゴンクエストは凄い作品です。
日本国内において、ファンタジー作品に与えた影響で言えば、指輪物語を凌ぐでしょう。なにしろ、ロードス島戦記よりも、スレイヤーズより早かったんですから。
何しろ86年当時、堀井雄二といえば「オホーツク殺人事件」の人、もしくは月刊OUTの「ゆう坊のでたとこまかせ!」の人だったんです。
長い髪の毛をなびかせ、眼鏡を煌めかせた、いかにも育ちが良くて頭の切れる、でも楽しいお兄さん……というのが私たちの世代が知っている堀井雄二さんの当時のイメージ。
何しろ発売当時の月刊OUTに「売れるかどうか判らないけど」という弱きの文章を寄せていたほどです。
すぎやまこういち、と言われれば「イデオン」の音楽の人、でした。
ドクター・スランプですでに時の人になっていた鳥山明さんはというと……ドラゴンボールはまだレッドリボン軍と戦ってるあたりのころ……いやまだ始まってなかったかな?
とにかく、思いもよらなかったところから物凄いモノが最初は静かにそっと、やがて地響きを立てて、天空へとそびえ立った、というのが当時の印象でした。
個人的には、ドラクエと言えば思い出すのは、今は牧志公園というおしゃれで可愛い公園になってしまった「七つ墓(ナナチバーカー)」と呼ばれ、私が住んでいたアパート裏に広がっていたバラックと木造建築との間にあるような古い古い家並み。中には堂々と「連れ込み宿」の看板を出している怪しい建物もありました。
その中のひとつに、M君という同年代の人が住んでおりました。
さて、その辺に住んでいる人たちは、そのバラックめいた家の外見に似合わず、実は結構なお金持ちで、戦後の復興期に儲けたりした人たちが、そのまま土地を買って住み着いたパターンでした。
家が木造のバラック紛いの構造なのはこの時期に建てた、というのと後述する理由があったからだと思われますが、当時の私はなんとなく「妙に貧乏くさいのか金持ちっぽいのか判らない地帯」と思ってました。
もう少し下ったところ土地は台風の大雨でガーブ川の氾濫で水没するのですが(ここには別の知り合いが住んでいて、台風の時期になると大騒ぎになってました)、ここは坂の途中を切り開いて作った場所なので、水の心配も無く、周囲が墓ですから静か。それに歩いて国際通りに出られて、ダイエーもまだ当時は健在、パラダイス通りにはいくらでも町屋のお店がある……というとても便利な場所でした。何しろタクシーに乗って「山形屋裏」もしくは「七つ墓の近くまで」と言えばそのまま近くまで来てくれる。
今や国際通りはお土産とファッションの店ばかりで生活空間ではありませんが、当時は立派なもんでした。
恐らく、当時は牧志の周辺は町工場も多く、そこに直接出向いたりするのには都合が良かったんでしょう(そこに住む人たちの多くがそこの熟練工=重役だったり工場主だったりしたそうです)。
ですが、M君はそれとは関係なく、離島の人でした。
彼が住んでいる家は六畳二間ぐらいのトタンの平屋で、戦後すぐに建てられた代物。入ってすぐ4畳半ぐらいの庭(といってもコンクリートで固めた場所)の真ん中には大きな木が生えていて、半ば建物自体がそれに寄りかかってるようなモノでしたが、実はこれ、離島への定期便なんかなかった戦後間もない頃、彼の出身である離島の買い出し部隊が寝泊まりするための中継基地だったんだそうです。
結局定期便が出るようになり、貨物制限とかも解除されたので、ここは「島から出てきて本当の学校に通う、あるいは仕事を見つけるまで若いのが下宿として使う場所」として残され、数年おきに人が入れ替わる、という場所。
で、M君のお父さんがここの所有者だったそうです。
だからMくんも、同居していたM君のお兄さんも実は、離島ではかなりいいところのご子息……だと後で聞きました。
M君はとても人柄が明るく、優しい性格の人で、同時に私と同じオタクでした。
お兄さんはオーディオマニアで、ボーズのスピーカーを私はそこで初めて見、「バブルガムクライシス」のサントラLPをそこで聞きました。
「耳と目と舌は贅沢すると後戻りが大変」だということをそこで知りました。そこで聞いたレコードを我が家の貧相なオーディオセットで聞いた時の落差ときたら……おまけに我が家のプレイヤーは遠い親戚の電気屋から父親が義理で買い、向こうも売れ残りを押しつけたためか、買ったばかりでありながらターンテーブルの回転数がおかしく(当時安物のオーディオセットのレコードプレイヤーの回転ベルトは固く、安物ですから回転数の調整も出来ず、テーブル裏に鉛の板を張り付けたり、あるいは使い込んでいくうちに緩くなってきて適正な回転数になってくるという妙な作りになっておりました)、早送りにしたような音になってしまってたんですな。
それで一度買った電気屋のオッサンを呼んで「両手一杯のジョニー」を録音したものと、レコードの音を聞き比べさせて「おかしいでしょ?」と言ったら「いや、大丈夫。僕はバンドでドラムをやっていたからね。問題ない」と謎の言い訳をしてさっさと帰ってしまいました。
その時「自分の使う電化製品は二度とここや親の義理ある所からは買わない」と誓ったものです。
閑話休題。
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