小説「今夜も神は動かない」
気配を消していた私は、そのまま薄暗い廊下を通り過ぎようとした相手の死角になる、コンクリートの柱の陰から立ち上がった。
するりと歩み寄りながら、意味のない言葉を口にする。
「今夜も神は動かない」
振り向いた彼が私の存在に気付いて声をあげる前に、銃口をその顎の下に当て、絶妙の角度のまま、引き金を絞った。
短い、溜息のような音。
スタームルガーの小型拳銃LCPに、厚い板型のサプレッサー(減音器)を取り付け、さらに発射時の消音性を高めるため、本来存在しない、スライドロックの新造パーツを付けて、単発で撃てるように改造したものから放たれた銃弾は、溜息のような音だけを残して、顎の下肉から舌と上顎を貫いて、相手の頭蓋骨の中に納められた脳をズタズタにし、その内側で停まった。
計算通り、火薬の調整は上手くいったらしい。
一着100万は下らない英国製の背広を着けた人物が、ばたりと倒れるのを私は音を立てないよう、そっと支えて、近くの部屋に音を立てずに運びこむ。
ナイフやロープは意外に死ぬまで時間が掛かる場合があるし、抵抗を受けて周囲が汚れたり、派手な物音になったりする。
一瞬で終わらせるなら銃が一番楽だ。
死体を部屋の中に運び終えて、私はひと息ついた。
私は増設された、薄いスライド固定レバーを両手の指で押し下げて外し、薄いスライド自体をそっと引きつつ、まだ煙を上げて熱い380ACPの空薬莢を回収、次弾を装填した。
火薬の香りが廊下に漂い、背後の部屋に設置された集塵装置に吸い込まれてすぐ消える。
とりあえず成功したが、私の仕事は、最後まで何が起こるかは不明だ。
LCPのスライド固定レバーは外したままにしておく。
弾倉を外してポケットから一発装填して戻す。これで装填数は残り六発+一発。
そのまま作業服の内側に縫い付けたホルスターに納める。
ルガーLCPは薄い。サプレッサーも薄い板状のものだ。内ポケットにサプレッサー(減音器)ごと押し込んでも目立たない。
最近まではコルト・ウッズマンだったが、やはり22口径は心許なく、380ACP弾使用のLCPに換えたが、上手くいったようだ。
暗闇の中、私以外の生者の気配は無い。
ここは遠距離からの撮影を怖れて窓のない廊下である。
おまけに省エネ政策時代の名残で、この時間になると廊下にほとんど明かりはない。壁にはLEDのセンサーライトが点灯しているが、歩く者が途絶えてゆっくりと消えていった。
ここは古い、歴史ある党本部のビルだ。
二つ前の年号のころから、この国を取り仕切る政党らしく、内装はすべて重厚で重みがあり、隅々まで磨かれている。
ここがマスコミから、永田町の論理の中枢とよく言われて久しいが、その論理の冷徹さを象徴するような建物の中だ。
このビルの中には、今時珍しく監視カメラはない。正面入り口と裏の出口に配されているだけだ。
記録に残せば表に出る。政(まつりごと)においては、その危険性を最小限に抑えたい、という知恵の回る者が未だにそういうものの配備を渋っているのだという。
お陰で、今回、私の仕事はスムースだ。
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