【連載小説】『平凡な少女のありふれた死に方』第20話
友利先輩はおそらく文演部の中で一番変わった人だった。
というよりも、変わった人なのかどうかすらわからない。
彼は自分というものを持たず、常に誰か別の人物を演じていた。
これは決して比喩ではなく、実際に会う度違う人物であるかのような印象を受けた。外見や表情、口調、性格まで、すべてを変化させて、あたかも最初からその人物であるかのように振る舞って過ごす。しばらくすると今度はまた全てを一新して、全く別の誰かになり替わっている。そんなことを繰り返している人だった。
僕が最初に会ったときは、長い前髪で目を隠し、必要最小限しか喋らないような根暗な男だった。しかし、『本作り』が始まるとすぐに、そのシナリオ上での役の通り少し熱っぽい体育会系な先輩に変わっていた。
だから僕は一度も本当の彼を見たことがない。何か理由があるようだったが、それを誰も明かそうとしなかった。
「まあ、彼にとっては自分探しみたいなものかな」
一度白坂先輩に尋ねたときは、そんな風に語っていた。実際僕も『本作り』を通して似たようなことを感じていたので、そういうものかと納得してしまっていて、以降は特に追及しようとも思わなかった。
だから彼の印象は、印象が定まらないことだった。その意味ですごく変わった人だったし、会って話す一人一人の彼は何の変哲もない普通の人だった。毎回こちらとしては違う人のように感じるのに、彼は関係性を変えずに接してくるので、慣れるまでは違和感が拭えない。
何より凄まじいのは、その演技の自然さだった。彼はつまり常時演技をして、役になり切って過ごしているわけだが、そこに作り物感を感じさせることは決してない。あたかも最初からそういう人物だったかのように錯覚させられる。その圧倒的な演技力故に、僕たちは彼という異質な存在を自然に受け入れてしまっていたのだろう。
「昔、演劇をやっていたんだ」
何かの話の流れで、彼は昔の話をしてくれた。あまり自分の話をしたがらない人だから、意外に思ったのを覚えている。
「演技が好きなんですか?」
てっきり演技が好きでたまらないから、日々の生活すらも演技をして過ごしているのかと思った。その方が彼の持つ狂気が理解できる気がした。
「好き、ではないな。でもきっと得意なんだと思う」
彼は少し考えてから、いや、と静かに首を横に振る。
「俺は昔から自分の意思というのが薄いんだよ。自分の欲望とか感情とか、そういうものがよくわからなくて、自分が何に従って何をすればいいのかわからない。物事全てがどうでもいいし、なるようになれとしか思えない。だからいつも他人に合わせて、社会に合わせて、自分というものをできるだけ消すように生きてきた」
器用さと生きづらさを併せ持ったような印象はそういったところから来ていたのかと、彼の言葉を聞いて何となく納得した。どんな役を演じていても、彼は完璧なまでにその人物自身だった。それは彼自身の存在がどこにも感じられないということでもある。この世界のどこにも居場所を持てない。彼はそういう生きづらさをずっと抱え続けていた。
「だから誰かになり切っている方が楽なのかもな。その誰かがやりたいことに従えばいい。舗装された道を安心して進むことができる。何もルールがない〝自分〟という存在とは違って、理解がしやすいんだよ」
そう言って自分自身を分析する間も、彼は友利成弥ではない誰かのままだった。
「正直、先輩の感覚はよくわかりません」
ある意味、僕とは真逆なのかもしれないと思った。常に自分のことしか考えられない僕は、誰かになり切ろうとするときも、どこかに〝西村景〟が存在してしまう。自意識過剰で、自己中心的で、自己陶酔が過ぎる僕には、自分よりも他者の方が理解しやすいなんて想像もできない。
「でも案外、俺は君と似てると思うよ」
彼は唐突にそんなことを言って、無邪気な笑みを向ける。その顔を見てつい、「まさか」と声が漏れた。
「他人に興味が持てないって意味では、俺も君も同じだ。自分にも興味を持てない人間と、自分にしか興味を持てない人間。一見かけ離れているように見えても、根っこの部分はかなり近いところにある」
「そうでしょうか……」
どうにもレトリックのように感じてしまい、あまりピンとは来なかった。
「でも僕は先輩みたいに器用じゃないですよ」
「確かにね」
自虐めいたことを返すと、彼は声を立てて笑った。
「まあ器用すぎるってのも、意外と上手く生きられないものなんだよ」
そのとき一瞬だけ、彼の目は遠くの方を見つめていたような気がした。