『武者震いかどうかなんて知るか』解説
日常の中で何かいつもと違う出来事が起こった時、または能動的にそれを起こす時、その人の心の中では様々な感情が入り乱れているのではないだろうか。
悪い出来事はもとより、良い出来事でさえ、嬉しさの裏側で
「本当にうまくいくのだろうか」
「自分はこの出来事に見合うものを持っているだろうか」
など、不安になる要素は少しでもないだろうか。
そしてそんな時、人はどうするか。
そう、とりあえず己を鼓舞するのだ。それがたとえ空元気でも。
日々はいつでも本番の連続で、どんな小さな出来事であろうとも、時間を巻き戻してやり直しなんてできはしない。
前哨戦だと言い聞かしているだけで、本当はそんなものないのだ。
本番の前の力試し的な、悠長なことは言っていられない。
それでも震える心をどうやって治めるのか……そんな内容の詩である。
この作品は、詩が書かれた上にOHPフィルムのモザイクがかけられている。
それはなぜか。
心の中の恥ずかしい孤軍奮闘を見られたくないからである。
笑顔で大丈夫という内側の足の震えを見られたくないからである。
しかし、本人の健闘むなしく、こういったものは他人からすればなんとなく透けて見えてしまうのだ。
取り繕った表面など、少し光が当たるだけで内側が暴露される。
そのカッコ悪さも含めての、本番。
それが人生ではないだろうか。
「カッコ悪くていいじゃん、それごと楽しんでいこうぜ!」
と思えたら、しめたものだ。
だが、そもそもそんなことを思える人間は、端から隠したりなんてしない。
だから私はいつまでもカッコ悪いままなのであり、そのまま前進していくのだ。