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「綺麗事」に対する価値観の相違
セクシー女優の三上悠亜さんがSNSで誹謗中傷を受けている事に対して、漫画家の倉田真由美さんが疑問を呈したという記事がありました。それを読んでいろいろ考えさせられました。
AV女優めぐる批判 倉田真由美氏が疑問「飯島愛ちゃんが存命の頃…」
7/3(水) 10:53配信
日刊スポーツ
漫画家倉田真由美氏(52)が3日までにX(旧ツイッター)を更新。セクシー女優に対する批判的なコメントに疑問を呈した。
SNS上では、実業家としても活動する元セクシー女優に対する批判的な書き込みも散見され、問題となっている。三上悠亜は、自身がディレクターを務めるアパレルブランド「MISTREASS」と、帽子ブランド「CA4LA」のコラボを発表したが、一部から批判的なコメントが寄せられ、6月29日にXで言及。「私にも人権があって職業の自由があるなかで、とてもじゃないけど人にぶつけていい言葉ではない言葉も私は今回目にしました。言葉には人を殺す威力があるんです」とコメントした。それでも誹謗(ひぼう)中傷が収まらず、法的措置をとる意向を示した。
こうした状況に、倉田氏は「AV女優が表に出過ぎることを批判する意見を目にする」と言及。「飯島愛ちゃんが存命の頃、毎日のようにゴールデンタイムのテレビ番組に出ていたけど、何も問題なかったよ。今より遥かにテレビの影響力がある時代だったけど」。2008年に36歳で亡くなった、AV出身の人気タレントを引き合いに、「職業差別って心の中でするのは勝手だしそう感じる人がいるのも理解できる、でも『表に出るな』を口に出して言うのはよくない」と、くぎをさした。
事の発端は次の通りです。
三上は自身がディレクターを務めるアパレルブランドと、ハットブランド「CA4LA」のコラボを発表し、ファンから喜びの声が上がっていた。その一方では、三上の経歴によってブランドイメージが下がったと主張し、「誰が買うの」「下品に見える」といった声がSNSであがっていた。
「三上の経歴によってブランドイメージが下がったと主張」
このように主張するのは、有名ブランドの愛好者の人たちでしょうか。あるいは株主かも知れませんが、文句があるなら企業に対して抗議すべきではないでしょうか。コラボを持ちかけたのは企業側でしょうから。
これに対して三上さんはこう言っています。
「今回のことだけに限らず、私は企業から頂いた仕事を真っ当してやらせていただいて、需要と供給で行っていることです」(原文ママ)と切り出し「私を使っても成果が出なければ企業も使わなくなると思いますので、それが結果でいいんじゃないでしょうか。私が世の中から必要なくなったら勝手に消えていきます」
また、有名ブランドに対して全く思い入れなどなく、三上さんに対する嫌がらせで発言している人もいるでしょう。有名人に対する嫉妬ややっかみ、嫌悪感でしょうか。
そういう人たちの根底には、「セクシー(AV)女優のくせに」と言う蔑んだ感情が秘められています。こういう人はセクシー女優に限らず、性を売り物とする性産業に従事する人たちも同様だと考えているはずです。
日本テレビが、アナウンサーとして内定していた笹崎里菜さんの内定を取り消した事があります。理由は「銀座でホステスのアルバイトをしていたから」です。
ホステスはいわゆる水商売ですから、「そんな人はアナウンサーに相応しくない」と言う事だったのでしょう。
冒頭の倉田真由美さんの記事に、次のようなコメントがありました。
まぁAV女優に限らず、テレビや経済界で目立ってる人は少なからず批判を受ける。 目立つ人を批判するのは弱い人間による嫉妬なんだから気にしなくて良いと思うけど。 でも法的措置を取るのはとても賛成します。
多くはこのコメントに賛成する意見でしたが、中には次のようなコメントがありました。
テレビや経済界はそうとしても、AVは流石に嫉妬とは別でしょ。批判が強くてももおかしく無いと思う。そう言う綺麗事ばっかり言ってる奴ほど信用ないよね。
このコメントに、少し考えさせられました。この人は「AV女優は批判が強くてもおかしくない、批判してはいけないと言うのは綺麗事だ」と言っているわけです。
先ほどの笹崎里菜さんの件について述べている、東京大学教授の意見を引用します。
1956年の売春防止法制定に至るまでの議論の中には、「売春は性差別である」という婦人解放論からの主張とは別に、キリスト教矯風会を中心とする女性たちから「売春は道徳的に許されない」との強い売春反対論がありました。
彼女たちは(キリスト教的な)道徳から考えて、性を売ることは許されず、売春婦というのは、(意に反した場合もあるとはいえ)堕落した、もしくは救済すべき存在だと考えたのです。売春をする女性を「醜業婦」と呼んだのは、そうした考えを反映するものです。
そして、今回の日本テレビの「清廉性が求められる」という発想は、このキリスト教矯風会の「醜業婦」という視線を思い起こさせる時代錯誤的なもので、非常に差別的な考え方であると考えます。そもそも何をもって「清廉性」と呼ぶのでしょうか?
キリスト教矯風会と言うのは「日本キリスト教婦人矯風会」の事かなと思われます。
「彼女たちは(キリスト教的な)道徳から考えて、性を売ることは許されず、売春婦というのは、(意に反した場合もあるとはいえ)堕落した、もしくは救済すべき存在だと考えたのです。売春をする女性を「醜業婦」と呼んだのは、そうした考えを反映するものです」
キリスト教的な道徳観念から「性産業は卑しい職業である」と考えられているようです。
ところで、戦国時代のイエズス会は「日本人奴隷の輸出を黙認したのではなくて、積極的に関わっていた」と言う話があります。
(ご参考) 「大航海時代の日本人奴隷-増補新版」
(前略) 秀吉が伴天連追放令を出したのは、ポルトガル人が日本人を奴隷貿易にしているということを知り、それに激怒していたからだという見方も読みました。
果たして、歴史的事実はどうだったのか?というのが、私の大きな疑問であり関心事でした。 それで出会ったのが本書です。
そのまま真っ直ぐに、「大航海時代の日本人奴隷」の歴史を、第一史料から取り扱っています。
そして、「増補新版」がとても大切です。 「補章」として「イエズス会と奴隷貿易」が追加されており、まさしく、これが宣教師たちが奴隷貿易に関わっていたことに触れている内容だからです。 (中略)
日本のイエズス会と奴隷貿易の関わり そして「補章 イエズス会と奴隷貿易」です。秀吉の伴天連追放令(1547年)にある、ポルトガル人が日本人を奴隷として連れ去っていることが、伴天連の追放とつながっているのは、「この問題にイエズス会が深く関与していたからに他ならない」としています。
この関与を、イエズス会の準管区長ガスパール・コエーリョが、長崎市場でどのように売られているのかを詳細に記録しています。 彼は、それがいかに痛ましいことかを訴えています。
しかし、イエズス会の中では、これがキリスト教的に正当化されていました。「正戦」という概念です。 つまり、キリシタンの大名が戦って、戦争で捕らえられた人々を「合法的な奴隷」と見なすことにしたそうです。
しかし、実際が伴っていなかったそうです。 ポルトガル人が購入してよいのは、この「合法的な奴隷」に限られていたはずですが、厳しく精査されておらず、ガスパール・コエーリョは、今年の取引では、だれ一人として合法的にされた者はいないと記しています。
イエズス会はシステム的に関わっていたようです。 ポルトガル人は、奴隷をまず、彼らのところに連れて行きます。奴隷に洗礼を受けさせるためです。 そして、宣教師は、その場で合法であることの証書を発行したのです。
「キリシタンの大名が戦って、戦争で捕らえられた人々を「合法的な奴隷」と見なすことにした」
キリスト教的に言えば、キリスト教徒以外の異教徒は「蔑むべき存在」なのでしょう。
豊臣秀吉がイエズス会に抗議しています。
日本キリスト教婦人矯風会が言う「醜業婦(売春婦)」は、本人が望んで売られていったわけではありません。キリスト教はそういう悲しい境遇の人を救うべき宗教のはずなのに、蔑むとはどういう事でしょうか。
先ほどの「AV女優は批判が強くてもおかしくない、批判してはいけないと言うのは綺麗事だ」とコメントしている人も、キリスト教的観念の持ち主なのかなと思います。
人それぞれ「綺麗事に対する考え方は違う」と考えさせられた内容でした。
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