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中森明菜さんの「難破船」は加藤登紀子さんが歌ってほしいとリクエストした曲
昨日、偶然BS-TBSを見ていたら中森明菜さんの特集をしていました。番組の途中からでしたが、懐かしい初期の頃の映像や彼女に関わった方々のエピソードが聞けてとても良かったです。
彼女がデビューした頃は歌番組もたくさんありました。当時私は多感な高校生でしたので、雑誌の表紙を飾るアイドルの一人として注目していました。
デビュー曲は「スローモーション」です。小泉今日子さんも同じ年にデビューしました。当時私は、彼女のデビュー曲「私の16才」と明菜さんの「スローモーション」のどちらがどちらの歌だったか、何故かよくこんがらがっていた思い出があります。
だいたい、2曲目がヒットして売れるパターンが多いようです。松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」は資生堂のCMソングでしたが、2曲目の「青い珊瑚礁」で一躍有名になりました。
明菜さんの場合も2曲目の「少女A」が大ヒット。キョンキョンの場合は5曲目の「まっ赤な女の子」でしょうか。
明菜さんの場合、デビュー曲の「スローモーション」がバラード調でしたが、次の「少女A」は一転して不良っぽい感じ。次は「セカンド・ラブ」その次が「1/2の神話」と言う風に「バラード」「不良」を戦略的に交互に出したそうです。
そうする事で、出す曲はどれも順調にヒットしていきました。あの頃、出す曲のどれもがヒットしていったのは、松田聖子さんと明菜さんくらいではないかと私は思います。
そして彼女は「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」で日本レコード大賞を受賞し、更には「DESIRE -情熱-」で2年連続受賞となりました。
さて、表題の「難破船」についてです。
1987年9月30日に、中森明菜の19枚目のシングルとして「難破船」がリリースされた。
加藤登紀子からの既存曲の提供で、加藤は中森に楽曲のテープを送り、「明菜ちゃんに歌わせたい」と切望したという。加藤は中森の22歳の誕生日祝いがテレビ番組で放映されているのを見て、この楽曲のシーンと中森の雰囲気がぴったりであると思い、加藤は中森に「しばらくこの歌を歌うのを止めるから、あなたが歌ったほうがいい」と、楽曲を送ったと明かしている。
加藤さんが20歳の時に失恋をした際、ノートに書き留めた曲だそうです。20歳の時にこの歌を作る加藤さんもすごいなあと思いますが。
明菜さん、この歌を歌う時は必ず涙が出るのだとか。彼女の人生を思うと、こちらも思わず泣きたくなってしまいます。
そんな明菜さんが活動再開してとても嬉しいです。今、一番気に入っているのがこの歌です。
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