アタシというHSP【12】孫とアタシ
<ややこしい!>
私には中1と小5の孫がいる。
…と言うと皆さん無言になり、アタマの中で、
(え、ノラさんの息子さんは小4て言ってなかった?)
と、自らに問い、
(あ、そう言えば娘さんはアラサーって言ってたよね?娘さんのお子さん?)
と更に問い、
(色々と聞きたいけど聞いたら失礼かしら…)
と困惑の表情を浮かべる。
私的には今までも聞かれたことには全部答えて来たので困ることは何もないのだが遠慮されている感満載。
そのままにしておくのも悪いかなと思い、時系列で説明するのだが、聞き終わるまでに更なる疑問が湧くらしくなかなかの足止めをくらい、面倒になりつつ説明する羽目になる。
その一連の流れを飽きるほど経験しているので孫に絡んだ相談でも来ない限り、孫の話しはしないのだ。
ざっと説明すると、
私が21の時に産んだ娘(長女)はハタチで結婚を決め、その年の終わりに出産した。
2年後にもう1人出産した。
私は当時41歳で初孫、43歳で2番目の孫が出来たということ。
なので、私は現在55歳。長女が33歳、孫が13歳と11歳。
特に不明な点は無いはず。
私が若見えする訳でもなく、ただ早く孫が生まれた55歳のおばさん。
親子揃って早婚で出産も早かった…というだけ。
ここで人を混乱させるのがウチの末っ子、小4男子の存在。
私は、
『余生にパートナーが居るのも良かろう』
と思って40過ぎて現在の夫と再婚をしたのだが、自分でも驚愕の45歳の時に出産することになった。
当時、私は卵巣ガンの手術後3年が経過した44歳。
産後の長女が2人の孫を連れて自宅に戻った後のこと。
当時は、
*45歳で産むことになるという現実、
*産後、母子ともに健康でなかった場合、幼い子を2人抱えた若き長女一家や次女にも世話になる可能性があること、
*私がガンから3年経過しているとはいえ卵巣ガンだった為、術後10年は様子を見たいと医師から言われていた事(全摘ではなく、ガンの出た方の卵巣のみ摘出した為、片方の卵巣と子宮は残っていた)、
…など、なかなかカオスな状況だったのだが、
*前回の離婚の際、前夫の先祖に囲まれた時(←軽く読み流して頂けると幸いです)に、小さな男の子が出てきて私の前に立ち、一気にそれらを光で飛ばしてくれた事、
*妊娠4ヶ月で体内で亡くなった子がいた事(←この時もまた諸々が重なっていた為、なんだか身代わりになったのではと思うような時期)、
などから、もうこれは産む運命なのではと。
次女とは21歳差の子供が生まれるのか…と、ちょっと想像つかないなと思っていた。
さて、ここで混乱するのは孫たちへの説明で、
『自分たちの祖母のお腹に、おじさんか、おばさんが出来たらしい』
というのを果たして理解出来るのか。
当時41歳と43歳で私は祖母になったのだが、長女の夫も同じく若い時に子供を持ったご両親だったので、『さすがにおじいちゃん、おばあちゃんはまだちょっと』と申し出があり、自動的に私もノラちゃんと呼ばれている。
ノラちゃんはママのママ…までは分かっている。
ママのママが産んだ子供はママの弟…とか、
ママのママが産んだ子供は、僕たちの叔父さん…ここまでは考えてもいない様子で現在に至る。
子供の頃から会えば当たり前に遊ぶ仲なので、孫たちはウチの息子の兄のようなものなのだが、不思議なことに息子は孫を呼び捨てにする。
直感で自分が叔父だと分かっているのだろうか?
いや、次女に対しても呼び捨てなので息子なりの近しい人への呼び方なのかも。
…という訳で、長女が遊びに来た際に、私、長女、孫2人、次女、息子と歩いている時に知り合いに出くわすと非常に面倒臭い。
「長女と次女と息子と孫なんですよ」
と紹介すると、途端に混乱される。
一瞬にして、どれが誰の子供ですか状態。
そして誰と誰が繋がっているのかと目で追うの図。
悪いが全員血は繋がってるわ顔は似てるわなので、混乱させたまま、
「では、また〜」
となる。
ま、しょうがないよね。
娘が家庭を持ち、子供を産んだことと、私が45で21年ぶりに子供を産んだのは事実だし、これは再婚家庭でなくても起こりうる事なので諦めて頂きたい。
そんなこんななので、私が『ノラ』と名乗っているのは、一緒に荒波を超えてきた娘たちと、成長しつつある孫たちに、極力負担のないように、好き勝手書きたいからなのです。
あとは…、年齢ですかね。
なんかみんな孫までいる年上と知ると急に敬語を使い出したりして困る。
育ちが良いのは分かってますから、ぜひタメ口でどうぞと思って。
年齢や先輩後輩なんて学生時代までじゃない?
そこからは大人同士だったり、子育てママ同士、別に敬語にこだわらなくていいよと思う。
なにせ私個人は親子問題や離婚だなんだと自分に起きたことを平気で書けるし、夫との不和についても書いている。
今までいろんな相談を受けて来て、本当に皆さん、よくぞやさぐれもせず、無事に生きて来られましたねと心底思うし、なんでそんなに自分を責めているのか、意味が分からなかった。
自分の正しさを疑い過ぎる真面目さに苦しんでいる。
みんなやさぐれたらいいですよと言いたいのではなく、傷ついているのになんで平然としていたいのか。
プライドを保つ為なのだとしたら、何の為のプライドか分かっててやってるのか自分に聞いて欲しい。
かと思えば弱ってるのになぜか、学び、学びと語ってたり。
応援してるテイでマウント取ってるのが見え見えなのに気づけないとか、
それがみっともないと人には言えているのに、自分がしてるのは気づいてないとか?
ここ最近とくに、
『どーーーーしたんですか、皆さーーん!』
と思うような相談が多い。
自分のことは自分で守れるのに、なぜ守らない。
自分の最大の味方は自分なのになぜ放置。
自分を喜ばせると聞いてやってみるのはいいけれど、それって借り物競争になってるけど?とか。
この時期だからかなんなのか迷走しがちな気がします。
そういう部分を説教ではなくて、自分ごとを晒しながら書くと気づく人が増えるのではと思って書いてます。
ほんと、おばさんになる為に生きて来たかもと思う今日この頃。
若い時に起きたことの全てを回収し、納得し、しれっと言えるようになるまで生き抜いた自分と、それを支えてくれた人々に感謝と愛しかない!
でも、もう返せない人たちもたくさんいるので、
私はやさぐれた文章を書き続けると思います。
彼らの代わりに受け取って頂けると嬉しいです。
ほんでですね、HSPさんて誠実じゃないですか…人から提示されると全て受け取って、全てに感謝しようとするところがあって、そして全ての面でつい、相手を誉め殺していい気分にしてしまい、気づいたら上から言われちゃって、なんだかモヤモヤしてたりする。
『いやちょっと待って、アナタ要らないものまで持たされてますけど…』
と思ったりするんです。
この部分が私は幼少期からやさぐれてて良かったなと思うところなのですが、相談の中にいつも見え隠れするこの感謝問題。
こうしたらいいですよと言われてそれを無理してまで遂行しようとしてしまう無駄頑張り問題。
妻とか母、娘たるものこうあるべきという上からアドバイスに辟易問題。
個人的に話して内面のお掃除や、自分の土台、思い込みの書き換えなどなど、視えたり祓ったり出来ちゃうのでご希望の方はお知らせ下さい。
いや、これから案内書くけども、ずっとスピ的な部分は、「いやいや」、「とはいえ…」と避けて来たのですが、めっちゃ便利だし、視えるもんはしょーがないと受け入れて、もうおばさんだし、実践で鍛えても来たのでそろそろ相談屋でもやろうと思って(←金取るよ!)。
今まで私の近くで存分にすごさを発揮してくれていた人たちを見ていて(←封印は解いちゃうわ、追跡出来ちゃうわ、過去世総ざらいで視てくるわと諸々出来るのに圧が無く、フツーだと言い張る人達なの!)、
『私って変わり者ではあるものの、凡人なんだなー』
と思って生きて来たのですが、どうやらみんなが視えてる訳でもなく、みんなが分かってる訳でもないんだなと。
実際、やさぐれてるのにヒーラーなんですよアタシ。
そしてこの年齢での覚醒というのは、調子に乗ったり、人気取りに励んだり、上から人を操作する欲もなく、話しができるのではと思ってます。
そういうの怖い、イヤ、って人に推す気もないでご安心を!
今まで通り、ブログの更新をお楽しみに!
では、
またね!
気づいたんだけど55歳ってアラカンじゃない?
びっくり!