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大西祝「私見一束」現代語訳

この評論「私見一束」は、いわゆる「教育と宗教の衝突」論争に関連するものである。まずこの論争について簡単に紹介する。明治政府は、明治22年に大日本帝国憲法を発布、翌23年には「教育に関する勅語」(教育勅語)を発布し、忠君愛国の考えを広めるため、全国の学校に配布して学校儀式などで奉読することを求めた。明治24年、第一高等中学校(後の第一高等学校、現代の東大教養学部)の嘱託教員であったキリスト教徒である内村鑑三が、教育勅語の奉読式で、勅語に拝礼することを拒むという事件が起った。いわゆる「内村鑑三不敬事件」である。これを機に国家主義の立場に立つ哲学者の井上哲次郎は、「教育と宗教の衝突」(26年)を書いて、キリスト教が反国家的宗教であるとして攻撃し、キリスト教徒との激しい論争に発展した。

井上哲次郎と大西はじめとの関係は複雑である。井上哲次郎は明治18年に哲学研究のために欧州に留学した。23年に長期の留学から帰国すると、直ちに帝国大学文科大学(東大)の教授に就任した。一方、大西は井上が欧州に出発した半年後に東大に入学し、外山正一とルートヴィヒ・ブッセの指導を受けて哲学を学んでいた。井上が帰国したときには大学院2年の時であるが、国家主義者の井上とキリスト教徒の大西の関係がうまくいくはずもなく、大西は論文「良心起源論」の東大への提出を見送って、24年には東京専門学校(後の早稲田大学)の招聘に応じて講師に就任した。このような経緯の下で、明治26年に発表された「私見一束」は、「教育と宗教の衝突」に対する大西の反論であるが、井上の名前を出すこともなく、冷静に議論を進めようという姿勢が印象に残るものとなっている。

大西の仕事は、2013、4年に小坂国継の編集により、哲学篇、評論篇、倫理学篇の3巻からなる『大西祝選集』(岩波文庫)にまとめられ、以前よりもはるかに容易に手にすることができるようになった。この現代語訳の底本としても、『大西祝選集Ⅱ(評論篇)』に所収のものを用いた。また、上述の大西と井上の関係についても、『大西祝選集』の小坂国継による解説を参考にしました。深く感謝します。

現代語訳「私見一束」

大西はじめ 著、上河内岳夫 現代語訳

1.教育勅語と倫理説

 近頃、「教育勅語」に注釈をつけることが、すこぶる流行している。そうしてその注釈なるものは、もとより一私人が勅語の意義と見なすものに他ならないのである。一私人の見る所であるがゆえに、その勅語を解釈する趣旨において、かれこれ相異なる所が出てこざるを得ない。その意見を異にするために、互いに罵り合って「乱臣賊子らんしんぞくし」とまで呼ぶ者がいないわけではない。「乱臣賊子」と呼んで罵り合う必要は、もとよりないはずであるが、もし勅語に注釈を下そうとすれば、人によって多少その見解を異にする所があるのは、またやむを得ないことであるだろう。そうしてその注釈はいかなる点にまで及ぼすべきものであるのかについても、また意見を異にする所があるに違いない。もし他人がその私的に見る所をもって、勅語を解釈する自由があるのならば、私もまた私の見る所をもって、これを解釈する自由があると信じるがゆえにお願いするが、少し私の考える所を述べさせてほしい。私は、教育勅語は一定の倫理説を広くゆきわたらせるために、与えられたものではないだろうと思う。たしかに勅語は国民が守るべき個々の徳行を列挙したものではあるけれども、倫理を論じたものとは見られないからである。勅語が一定の倫理説を掲げたものではないことは、最も見やすいことであって、世間の人もおおむね同意する所であろうと信じるが、されども人はある場合は「勅語に従えば、倫理道徳の基本は云々である。他の道徳論はみな勅語の主意に反する」と言う。そうして、あたかも勅語と倫理説とを混同するような言葉を吐く者がいないわけではない。そのような論者であっても(物の分かった人々は)、もとよりあからさまに、勅語と倫理説とを混同しないだろう。されども彼らの吐く言葉には、往々そのような嫌いがないわけではない。かりに勅語において一つの倫理説を掲げているものと見るとしても、私は何らかの倫理説上の問題が、その中で解釈されたのを発見することができない。私が考える所をもってすれば、功利主義の倫理説もまた決して勅語と相容れないものとは言うことができない。勅語は「よく忠なれ、よく孝なれ」、あるいは「博愛を衆に及ぼせ」と教える。功利主義をとる者は、「功利を挙げるために、よく忠であり、よく孝なるべし、また博愛は衆に及ぼすべし」と言う。もし勅語が一定の倫理説を広くゆきわたらせるために与えられたものならば、ついにはある種類の倫理学者を穴埋めにせざるを得ないようになるだろう。これは決して学理考究の自由を保護する道ではないのである。勅語に倫理説的な意義を注ぎ込むのは、かえってその効用を狭めるものと言うべきであろう。忠孝を道徳の淵源と言うのも、これに倫理説的な意義を付さないことを必要とする。国民としては、その元首を敬って、国家の統一を計るのが、まず国民としての義務の須要な所であり、また子として一家に生まれれば、まず親を敬愛するのが、その子としての徳行の須要な所であると言うほどの意味に解するのが、最も妥当であろうと考える。私はこれ以外の(もしくは以上の)意義を付する必要を見ないのである。現今の文明の程度においては、国家の統一なるものが人類の進歩を促す道であるのである。かつまた我が国家の過去と将来とを考えて、忠孝にはよく注意する必要があると言うことは、あえて否定する理由はないだろう。されども、これほどのことを許容するのと、忠孝を「道徳の基本である」と放言するのとは、決して同一の意味ではないのである。勅語は、倫理説上は道徳の基本を示したものではないのであるから、その中に掲げてある幾多の徳行は、おのずから倫理学説上は絶対的なものとは解釈されない。倫理学説上で絶対的なものは、多くのいろいろな徳の基本となって、これを貫通し総括するものの他にはないからである。勅語には忠孝をさえも、絶対的なものであるとは断言していないのである(忠孝が倫理学説上で、道徳の基本とは言われない理由については、私はこれを『宗教』第15号で論じて置いた)。

 勅語は、何人もが承認し胸にとめて常に行うべき徳行を示したもので、別に事々しい注釈を待ってはじめて解釈されるようなものではない。たとえ全く注釈を付す必要はないと言うのではないが、なるべく手に届くほどの注釈にとどめて、倫理説上の根本的な所にまで論及しないのが、かえって勅語の趣旨にかなうものだろうと考える。要は、もっぱら実例に照らして、実行を励ますことにある。勅語に述べさせ給いたる所は、国家代々の元首が残させ給いたる道であるとある。しかもこの道は、特に我が国のみに限られる道ではなく、「これを古今に通じて誤らず、これを中外に施してもとらず[道理に反しない]」とある。ゆえに勅語に述べさせ給いたる所は、決して一国家一時代にのみ行われるべくして、他の国他の時には行われるべからざるような道徳ではない。広くこれを国内外に施して悖ることのないものである。忠孝と言うものは、どうしていずれかの国家に、いずれかの社会に必要のないものであろうか。ただ多少個々の場合において、その現れる状態を異にするだけである。そうして「忠なる者、孝なる者は、必ずこうこうの状態を取るべき者である」と言う説明は、勅語の中には存在しないのである。たとえ一定の場合においては、一定の応用の道を講じるのが肝要であるとしても、これはただ「その場合には、そのように応用すればよろしいでしょう」と一私人が思う所にとどまるので、勅語を応用してむやみにそのような状態のみに限るのは、決してその本旨を得たものではないのである。もし時勢を異にすると忠孝の説き方をも異にして、その当時の社会の進歩に悖らないのが、勅語の本旨であるだろう。もしそうでなければ、いったいどのようにして、よく古今を通じて悖らないことができるだろうか。むやみに勅語を名づけて、何々国の道徳、何々主義の倫理と言って、その根拠を限るのは、いたずらに勅語の趣旨に存在しない争いを惹起するものではないだろうか。勅語の趣旨に存在する争いであるならば、もとよりあくまでも惹起するのがよいであろう。けれどもこのようなことは、いわゆる藪を突いて蛇を出すものではないか。勅語を倫理上の主義の争いとするのは、よくないことである。倫理主義の争いは、これを個人間の自由な討究に委ねるのがよく、もし勅語を楯に着て、倫理説の場裏で争おうとする者があれば、私はこれを卑怯であると言おう。

2.キリスト教問題

 この頃キリスト教が、教育勅語の主意に反しないか、我が国家に害がないかについて、すこぶる論争があるようである。このようなことは、思うに我々が自由に、真面目に討究すべき問題であろう。ただ左右を気にして、黙ってしまうようなことは、真心がある者がしてはならない所である。いったいどこの世に争いがなかったことがあろうか。争いを解く道は、黙ることにあるのではなく、思い切って争うことにある。いかにその見解を異にしても、心から真理のために、国家の真福のために論争することならば、互いに胸襟きょうきんを広くして、説く所を聞く必要がある。黙って一致を装う者よりも、語って反対に立つ者が、真に尊敬すべき、愛すべき友ではないだろうか。私はここで詳論することができないが、ただ一通り私の見る所を告白することは、また今の論争に益がなきにしもあらずと考える。あるいは私が言おうと思う所を、誤解する者もあるかもしれないが、誤解されることを恐れて黙ってしまうのは、私が好む所ではないのである。この頃の論争を見ると、種々の問題が混雑しているようである。問題を混ぜ合わせるのは、いたずらに論争を不明にさせると考える。キリスト教と言うことが、すでに広漠としたことで、ただこれを攻撃すると言っても、その攻撃の的とする所に種々の差別がある。現今の我が国において、キリスト教徒と自称する人々の気風に、面白くない所があるのを攻撃するのと、キリスト教の教理を攻撃するのとは、全く同一のことと思ってはならない。また同様にキリスト教の教理を攻撃するという中にも、従来欧米で行われてきた神学の説を攻撃するのと、バイブルに書かれている所を攻撃するのとは、その間におのずから差別があるだろう。欧米で行われてきた神学の説の中で、どれほどがバイブルの説く所と合致し、どれほどが後世の学者が付加する(あるいは誤解する)所であるかを、ここではもとより論じる暇はない。ただ、それとこれとを同一視すべきではないと言うことに、注意しておくだけである。またキリスト教の教理に反駁するにも、哲学上の位置から論じるのと、我が国体の上から論じるのは同一のことではなく、宗教哲学上から見て、キリスト教の教理を維持すべきではないと言うのと、現今の政治教育の上から、(政略上)これを抑制すべきだと言うのは同日の論ではない[全く違っていて比べものにならない]。またキリスト教に社会道徳を改良する効能があるのを拒否するのにも、キリスト教徒がしばしば吹聴するような、[諸病に効く]万金丹まんきんたん的な効能があることを否定するのと、多少の効能があることをさえも否定するのとは、別論であるだろう。また欧米のキリスト教(すなわち西洋の風俗に浸透したキリスト教)と、そうではないものとの区別も立てられないわけではない。欧米のキリスト教と、昔ユダヤに起こった原始キリスト教との間に、差別があるのも勿論である。「キリスト教を日本的に化すべからず」と言っても、「日本化したとしても、キリスト教はやはり無用有害である」と言うのと、「そのように化したキリスト教は、もはやキリスト教と名づけてはならない」と言うのと、また「キリスト教はどのようにしても日本化することができないものである」と言うのとは、同日の論ではない(もとより日本的に化すという意味についても議論があるだろう)。「キリスト教というものは、ついに永く文明国の宗教として存在するべきではないものである」と言っても、「それを目にして一日も早く刈って除くべきもの、またどのようにしても跡形もなく滅し去るべきものである」と言うのと、「キリスト教は今日のような一大宗教として、いついつまでも文明人民の信仰をつなぐことはできないものの、また決して摩滅も忘却もするべきではない貴重な遺物を人文上に残すものである」と言うのとは、もとより別論であるだろう。また現今のキリスト教会の組織と、キリスト教の活力精神とを混同すべきではないのである。

 私に、ここで私が思うことを、ごく簡単に表白させよ。私は従来キリスト教徒と自称する者の中に妙な気風を持つ者がいて、そのために国家という観念を重視する人々に、悪い感情を抱かせたことを知っている。キリスト教徒の中に国家の統一ということには、余り注意しない者があることを知っている。近年に及んで東京都下の牧師会が、天長節、紀元節などには相集まって、天皇陛下の万歳を祝することを知っている。されどもこれは近年に始まったことを知らなければならない。要するにこの点においては、最近キリスト教徒の中に著しい変化があったことを認めなければならない。この変化はいわゆる国粋保存論に刺激されて起こったものであるということは、否定できない事実であろう。キリスト教徒が、この点において、彼らが心得こころえとする所を前後少しも変更していないことをいかに主張しようとしても、それは到底主張することができることではない。また、彼らの中で物の分かる者は、そのようなことを主張しないだろう。彼らの中で公平な者は、多少かの(ある点では甚だしく誤った)国粋論に対して感謝すべき所があるのを認めるであろう。されども、これは単にキリスト教徒のみに限ったことと言うことができない。一時西洋の文物を敬慕した者は、こぞってむやみに西洋風を吹かせたのではないか。今は「キリスト教は非国家的だ」などと大声で疾呼する人々の中にも、非国家的とあざけられるキリスト教徒にも劣らないほど、西洋に心酔していた人もあるだろう。久しく米国に滞在した者は、何となく米国に恋しい心地がすることもあるだろう、長くドイツに遊んだ者は、時々は日本の社会よりも、ドイツの社会に住みたいと思うこともなきにしもあらずであろう。ゆえにこの点においては、一口にキリスト教徒を排斥するよりも、むしろ懇々とキリスト教徒をさとす必要がある。されば彼らの中の、かの妙な気風は、今よりも益々減少するだろう。キリスト教徒の先達もまた、これには努めなければならないのである。思うにかの勅語を拝するようなことに故障を唱えた者があるのは、一つはかの妙な気風に基づく所があるだろう。されどもまた誤解に基づく所もあり、彼らが宗教上用いる礼拝という語と、その意義において混同される恐れがあることから、彼らは誤解に陥った所があるだろう。もし少しでも宗教上の意義を含めて、彼らが神とする者より他の者に向かって礼拝を加えよと言われれば、彼らは憲法を楯として、そのような不条理な請求に抗するに違いない。かの礼拝という語に、彼ら自らが宗教的な意義を付して、そうして彼ら自らが誤解に陥ったことは、全く彼らのみをとがめるべきではない。されども今日においては、彼らは、すべからくそのような誤解を捨てるべきである(学童にしばしば勅語を礼拝させることが、果たして勅語の主意からして実益があるようにする道であるかどうかは、おのずから別論であるだろう)。

 キリスト教徒の中に弊風[悪い習慣]があることは事実である。されどもこれを攻撃するのとキリスト教の教理を攻撃するのとは、全く同一のことではない。今日、僧侶の中に堕落した者が多いのを見て、すぐに仏教の教理を攻撃するのは、キリスト教徒の中にありやすい習いであるが、これが不条理であるのと同じ意味で、キリスト教徒の弊風に対する攻撃とキリスト教の教理に対する攻撃を混同するのも不条理であろう。もとよりその弊風とその教理との間に、必然の関係があるかも知れず、されどもまたないかも知れない。私は西洋から渡ってきたキリスト教を信じる者が、まず西洋風に振舞うのを見て、キリスト教の教理それ自身が、そのような弊風と必然の関係があると断言するのは、大早計のそしりがあるだろうと考える。私はキリスト教の教理を窮めることができたとは言わないが、されども十年間余りバイブルを読んで発見した限りにおいては、その中に首肯できない事柄があるにもかかわらず、その教理は必ずしも我が国家を危うくする弊風を招来するものであると言うべき理由を知らないのである。詩歌的な開闢かいびゃく説を初めとして、黙示録の東洋的(オリエンタル)な想像に至るまで、種々雑多な事柄が記されているのを知る。単に些細な点だけではなく、重要な個所において解釈や説明がまちまちであることを知る。バイブル全体の見方さえもキリスト教徒の中にすこぶる異論があるのを知る。「バイブルを信仰行為の標準とする」などと言っても、到底一致を期しがたいことを知る。一言一句を前後の関係から、全体の主意から引き離して論じると、ずいぶん勝手次第な議論ができることを知る。バイブルというものは、要するにユダヤ人民の宗教的生活の記録に他ならないことを知る。キリスト教と名づけるものも、これはただ人類の歴史における一つの宗教的な現象に過ぎないことを知る。されどもその教理の中に、ことさらに我が国家を危うくするべきものがあるのを見ない、もしこれがあると言うのならば、同じ意味で仏教の教理の中にも、これがあると言うことができると考える。私は哲学上から見て(もとより私が見る所の哲学に他ならない)、キリスト教の教理をことごとく弁護することができるだろうと考えることはできない。バイブルにある所について言っても、また従来の神学の説について言っても、哲学上甚だしい非難を受けるべき所があると考える。されどもその教理を見て、我が国家を危うくするものであるとして、これを現今の我が国において押さえつけようとするのは、決して当を得たものではないと考える。宗教並びに哲学における論争は、多くはいまだ究極の決着に至らない問題に関するものである。それゆえなるべく自由な考究を許さなければならない。敵と味方が両立して互いに争うのが社会の進歩に欠くベからざることではないだろうか。学術・宗教の自由も国家の安寧を害さない限りにおいて保護すべきものであるとして、何かと言えばすぐに国家の安寧を担ぎ出して学術・宗教の自由を束縛しようとするのは、決してうまい策ではないと考える。上にあって政権をとる者は、この点においてその視界を大きくするようにしなければならない。そうでなければショーペンハウエルの哲学などを嫌う者の中には、それが厭世的であることを理由として、我が国家の進歩に害があるとして、これを説くことを禁じるべきだなどと唱える者が出てくるだろう。仏教が我が国の人心に益した所があると言えるならば、キリスト教はまた新たな分子を注入して、新たな活力を付加し、これによって我が社会の生活を富んで豊かなようにさせる所があると考える。キリスト教会というものは、いつまでその組織を維持できるかは、一つの問題であろう。私はもとより、これを永遠なるべきものと言う根拠を発見していない。キリスト教会のみならず今日の欧米の文明なるものが、かの古代ギリシア文明が遭遇した運命に遭遇しないと言うことはできない。されどもキリスト教会なるものが人文の進歩に益する所がないと言うのは誤りである。あたかもギリシア文明は益なしと言うのが誤りであるように(ローマ教会並びにギリシア教会については、論じるべき所があるがここでは省略する)。また、たとえキリスト教の教理を非国家的と批評するとしても、仏教の教理と比べてことさらに国家の統一を害する所があると言うべき理由を見ない。我が国体が今日のようにあるのを見て、これを一つに仏教もしくは儒教に帰するのは、思いもよらないことの甚だしいものである。仏教また儒教が行われていた他の国はどうであろうか。かつまた非国家的と言っても、ことさらに国家的な傾向を持たないと言うことと、全然国家的に反すると言うこととを区別しなければならない。「ない」と言うのと「反する」と言うのとは同一の意味ではない。「ないもの」は他のものによって補うことができるだろう、「反するもの」は、相合わせることができない。キリスト教の教理を見て「特に国家的な傾向はない」と言うことはできても(これは仏教についても言えるだろう、幾多の哲学についても言えるだろう)、「国家の統一に反する」と言うことはできない。キリスト教徒が、往々、「忠孝はキリスト教によらなければ、真実実行されるべきものではない」などと言うのは、もとより笑うべきことである。されども「教育勅語にある忠孝と相反する」と言うのは、キリスト教の教理の事実を曲げて言うものである。私の考える所は、おおむねこの通りである。

(明治26年3月、『教育時論』第284号)


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