博士後期課程に合格したことで振り返りながら考える教育機関とか学歴云々。
今日は自宅のPCからの投稿なので句読点が論文用ではありません、いつもと表記が違うのですみません。
まあ、タイトルそのまんまなんですけれど、昨日が院試の合格発表でして彼氏の家で一旦ネットで結果確認してから大学の掲示板見に行って、はしゃぐから写真撮ってって頼んで後で見たらなんか連写されてて苦笑した。GIF動画でも作る気かよ、そういうとこおもろくて好き。
まあ、冬季募集なども一応あるのですが、そっちは1人だったか若干名しか採らないしもう進学を決めていたので、夏期募集でろくに論文もなくポートフォリオと研究計画との口頭試問。冬季だったら修士論文のこととか研究内容あったんだろうけど。
今名前改変とかで色々と話題になった某公立大学なのですが(お察しいただけると思いますが)、私たちの今の名前の学歴は幻の15年にでもなるのだろうかという同期の声が非常に面白い。ロシアに例える人もいればガンダムのシャアに見立てた同期もいる。全く面白い視点だ。
うちの大学内でも学部というか研究科によって夏季募集があるところとないところがあるというまちまちなのが現状で、学部時代の同期(化学系)が今D1なのですが、試験は冬季募集しかなかったとのことです。まあ、ゴリゴリの理系とデザイン系とでは違うだろうし現に私たちのところの博士後期課程は定員割れしているのが現状で、あまり心配することもないと言われていたけれど、あまりに口頭試問の質疑がボロボロだったためヒヤヒヤしていた。試験の後、あまりに悔しくて、試験の見送りとか試験中も自分の研究室で待っててくれた彼氏に泣きついた。
まあ、彼氏にもそれくらいで泣いてるようじゃまだまだだからこれからいっぱい鍛えてもらいなと後で言われたし確かにそうである。面接官だった隣の研究室の教授にも、試験の翌週たまたま会った時にそういうの含めてドクターで鍛えていくのよ、なんて言われたし、助教にはそんな最初から完璧だったら大学院とか学校行くことないから!(笑)なんて言われた。
私は完璧主義者とも親に言われたことがある。そして確かにADHD的な一面もある。前のクリニックでの心理テストの結果ではグレーゾーンと言われ、今の主治医にもその傾向はありますね、と言われた。彼氏にも前注意したのに…とか文句を言われたこともある。実家に帰るという目的だったのに実家の鍵を忘れてバイトの制服も用意できないとかそんなこともある。何よりあれなのは、今の教授と話してる時に途中で違和感を感じると喋りながら考えることができなくて思考回路が破綻し、理解できなくなる。教授が何の話をしているのか全くわからないのだ。聞き返すし、教授も同じことを繰り返すだけ。時間を置いてから、もしかしてあのとき先生はあんなことを言いたかったのかな、と思い悩む。そして今回の院試の口頭試問でも、プレゼンは自分が用意したものだから大丈夫なのだが質疑は想定していたものとは違うものだったためパンクというか頭がこんがらがってうまく説明できず、まあ、先生たちの聞きたかった問いに対しての「答え」部分に達するまでまた起承転結で話そうとするので先生たちも「それはわかったから」という言葉を用いられて質疑に無駄な時間を使った。
そして昨日無事に結果として合格。鍛えてもらうことが前提だが私と彼氏の最低3年の遠距離も確定した。父との話し合い内容を彼氏に話して一応入籍は認めてもらえる状態にはなっていることも話した。この夏休みにまた彼氏のご実家にご招待いただいたのできちんと進路も決まったことだし、彼氏曰く入籍に関してはうちは問題ないと思うと言うが、入籍となれば二人の問題ではなくなるし家族が関わってくるので、やはり少し時間を置いてお互い落ち着いてから準備して入籍というのが好ましいだろうと思う。
まあその話は置いておいて、博士前期と後期とでは求められるレベルが勿論違うし地獄かものすごい地獄としか聞きません。それでも社会人枠だってあるし働きながら、お母さんをやりながら通ってる人もいる。経験者の話なので脅しでもなんでもない事実なんだろうけれど、ドクターを取ることに関しては疑問をよく感じる。
海外で専門家を名乗ろうものならドクター(Ph.D)は持ってるのかって話になるし、日本で就活しようと思えば企業は修士の院生で十分だと言うし待遇は違う。実際留学していた時もフランスでは飛び級した生徒が多く、まあ、バカロレアさえ取得というかそのレベルで条件を満たしてしまえば大学に入学できるし17歳の大学生なんて腐るほどいた。逆に同じ教室に明らかに40代くらいのおばさんもいた。国立大なので学費は5ユーロほど。なんか奨学金も関係してるけど基本的に専門学校より国立大学になれば本当に安いし、だからこそ勉強しなければ自然と留年するし、現地の友達曰く1年生から2年生になったら生徒が半分になっていたという話は聞いた。学部での話である。
日本で考えると余程の事情がない限り留年はしないだろうしストレートで卒業することが大事/普通というか、実際私も留学を渋ったこともある。それは自分のいままでのストレート学歴が崩れてしまうという固定概念からだった。交換留学と言えど、私が行ったフランスの交換留学制度ができたのは私が学部3年次で、単位交換もできるし留学資格を得ても行くのは4年次の9月からで結果的に必ず1年落ちるのだ。4年次はカリキュラム上卒業制作に関してのゼミを通じた授業が通年単位なため4年次で留学となれば前期だけ出席して帰国してから後期を受講する。
結果的に留学して多民族国家にいて楽しかったし専門であるデザインや美学、語学だけじゃなくて今の研究にも関する分野もフランスに関わることなので何も不満はない。奨学金で渡航費も生活費も賄っていただけたので、家で負担したのは海外渡航の際の保険くらいだろうか。
そうして帰国して待っていたのは院試。卒業したらフランスの大学院に戻ろうと思っていて、フランスは9月始まりなのでその半年を埋めるためにうちの大学院に所属しようと思っていた。予定は未定というか世の中何が起こるかわからないというのを実感したのはその時なのだが、帰国して早々帰国ショックというか。
院試の夏季募集は帰国の1週間前に終わっていた。自然と冬季募集へ回されることとなり、フランスでは3点足りずに落ちたDELF(フランスの教育省公認の外国人向けフランス語語学資格…日本の日本語検定みたいなやつを政府が統率しているので完全に資格であり一回取れば一生物ってやつ)の大学レベル相当のB2を再度受験、とは言え日本では受験会場が少なくて東京2箇所、横浜は満席。やむなく2週間連続で名古屋で受験することになる。そして院試に必要な外国語は英語で、留学時の語学レベルなど無駄だというようにTOEICのスコア一点張りで、TOEICを人生で初めて受けることになる。教授は後期受験だから最低600ないとあれだし1回の受験じゃ心配だから2回は受けて、と言われてDELFの受験とキツキツのタイトスケジュールでのぞみ、720。教授に2回目受けた方がいいですか?って聞いたら不要とのことだった。あとはポートフォリオ製作。就活をしていなかったため実質ポートフォリオを作ったのは初めてだ。バイトも年末年始は主婦さんたちはお休みしてしまうのでフリーター&学生'sが総動員。(某レンタルショップなので年中無休)
結果としてパニック発作をバイト先で発症し、卒制も教授の指導が応えて片道1時間半の電車通学すら困難となり、母親を連れてとりあえず事情を説明しに一度学校へ行ったこともある。いい年して親と一緒に登校なんて。
近所の内科で血液検査をしても異常はなく、バイト先で頻発して心配された貧血でもないので治るでしょう、と言われたがその夜中にまたパニックを起こして市立病院に行ってまた内科へ行き、検査をして心電図を取り精神内科へと回されてクリニックを紹介され、とたらい回しの刑。結果的に一度高校の時に抑鬱でお世話になっていた大学病院に戻って今も通院中だ。快方には向かっているし自立支援医療も利用してなんとかやっている。
それでも大学院に入ってすぐの授業はキツいし実家からの通学はまだまだ克服できず、前期を終えて教授からの休学の勧め。ここでまず半年休学したのだが、鬱が悪化、戻れる自信もなくもう半年延ばして結局一年の休学となった。卒制の時に一度発症した突発性難聴も再発した。今でもたまに耳の調子が悪くなるときはある。
それでも復学し、研究はしたし復学したらしたでまた一年落ちているので結果的に2個下が同期となっている。そして気づけば大学にはもう今8年目だ。こんなはずじゃ…と思う時もあった。ストレートできて、まさか嫌いな病院にこんなに世話になるとも思っていなかった。それこそもう就職口すらないと思った。
面接に行けば留学はともかく、休学した理由は?なんて聞かれるのが目に見えている。逃げた訳ではないけれど、今の体で正社員としての「普通」の雇用で週5フルタイム勤務、時に残業なんて無理だ。デザイン事務所に勤務してなりたかったデザイナーになったとしても働ける自信はない。そんなことするなら研究してた方が楽しいし、勉強は嫌いじゃなかったし、自分の好きなことに関してだけだけれど。一個に執着すると本当に突き詰めないと気が済まなかった。絵を描くのは好きで休学中は作家として展示もしていたいたけれど、絵を描いている時もキリが良くなるまでとか完成するまでは絶対トイレに行かなかったり謎の集中力はあった。
そういうこともあって進学を決意。同期である自分より年下の子がインターンだの就活だのと話しているのが怖くもあり、それに比べて自分は…とも思った。人は人、自分は自分と母親には何度も言われた。今は下宿をして研究室にも週4〜5で通っている。自分の好きなことだからかこれはできるし気づいたら12時間研究室にいるなんてこともよくある。
それは私の人格的な個性的なことを合わせた就活のようなものだったんだろう。
日本での就活は、学部卒と院卒では月給が違う。この場合の院卒というのは大体修士までを指す。なぜ博士までも含めないのか。そもそも博士を卒業したところで逆に就職先がないというのは如何なものかとも感じることはある。専門家なのに。
そして院にいて思うのが、大体の進学者は院卒ということを学歴として残すことが目的であって、研究は付け焼き刃でも卒業さえすればと思っている人がいる。え、それって結局就職のため?となってしまうのだけれど、それは日本の就活形態にもいろいろあるのだから私が彼らを責める権利もないしする気もない。親にも教授にも、ドクター取ったら就職先なんて限られるし学校に残るかしかないとか本当に言われたし、今の研究室の助教にも覚悟してねと言われている。それだけの世界で戦った人材を企業もなぜ採用しないのか謎であるが、そして若手研究者が減り、いわゆる大御所の研究者が居座り続けポストが空かないのも現実。日本の研究の質が落ちていると言う報道をしているなら現状を知ってくれと思う。おそらく官僚たちでドクター出身はいないだろうから。研究者を育成することにもう少しだけ力を入れて欲しいとも思う。落合陽一の言うようにドクターでも奨学金で割といいもの(所謂学振主催のもの)で月20万と研究費が年間100万前後。勿論、次年度のドクター1年生を対象としたDC1に応募した。当時はそれを見て少しでも親の負担を軽くしたかったからだが、落合氏の海外のドクター生への奨学金の待遇の比較を見て愕然とした。少なすぎた。これでは研究者を志す学生も減るのもわからなくはない。なんとなくそんなことを考えているけれど、私はDC1落ちたらまた奨学金を探すしかないですね。あれ、大学で何人て制限あるし、そんなこと言ったら当たり前のように東大、京大、東工大が多い。(グラフ見た)
うちの大学は公立大で最近ようやくその奨学金を得られる生徒数が増えてきた程度であり、国公立は私立とは違うのでやはり一定数の博士課程生徒数が必要だし大学として業績を求められる。
だから良くも悪くも、定員割れしている中、口頭試問がボロクソだった私を合格にしてくれたのかもしれない。まあ、伸び代のある生徒だったとして考えるしかない。ものは考えようだ。
まあとりあえず進路決まったってことで彼氏が昨日お祝いで夜ご飯ご馳走してくれて近所でデートしてまったりしてきました。
ららぽーととかにデートで出掛けると必ずどこかの店で、このフォントいいけどなんて名前だったっけ…というフォント検索大会を二人で始めてしまう。あ、向かいの研究室にいる彼氏はプロダクトデザイナーの卵さんです。来年から某家電メーカーのデザイン部でデザイナーさんです。忙しい中一緒に遊んでくれて彼の時間という大事なものをいただいたので大変満足しております。
課題は色々あるけれど、目の前のことを一つ一つこなしていきたいと思います。
先ほど速達で書面でも合格通知書が届きました。
今日は少しまったりします。
来週からまた研究にいそしみますし、こういうオンとオフの切り替えができるようにならないと精神衛生上よくないので。